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「よう」と「でも」の役割は?日本語文法のニュアンスを解説
- 日本語の文法において、「よう」と「でも」は特定の意味を持ち、文のニュアンスを変える役割を果たしています。
- 「よう」は、依頼や提案を表す際に使用され、相手の了承を求める意味があります。
- 「でも」は逆接を表し、前提を否定することで相手との意見の対立を表現します。
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質問者が選んだベストアンサー
1. 「ただいまから⚪︎⚪︎さまの近くまで参ります。もし、お時間がおありになるようでしたら、ほんの少しお伺いしてもよろしいですか」 : この場合の「よう」は、「不確かな、または婉曲(えんきょく)な断定の意を表す。」という用法です。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/226613/m1u/%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%A0/ 「時間がおありになる状況でしたら」のようなニュアンス。 時間があるかないかを明確に示したいときには、「時間がおありになるなら」と「よう」を付けずに言います。 似たような例で、 「お気に召さないなら、他の製品とお取替えすることも可能です」という文は、「不満があるなら~」という意味ですが、これを婉曲的に言いたい場合にも、「お気に召さないようなら、他の製品とお取替えすることも可能です」のように表現することができます。 2. 「⚪︎⚪︎会議も近いので、ご指導をいただきたいのですが、お時間があいたときにでも、ぜひ、よろしくお願い致します」 : この「でも」は、下記辞書の、 2-3 物事をはっきりと言わず、一例として挙げる意を表す。「けが―したら大変だ」「兄に―相談するか」 という用法です。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/152508/m1u/%E3%81%A7%E3%82%82/ 「たとえば、お時間があいたときに」という意味。 つまり、「指導する日時をこちらから指定するという厚かましいことはしませんが・・・」というニュアンスが込められているわけです。 3. まあ、他のみなさんの言うとおりで、これらの例文は、ビジネス敬語としては、あまり適切とは言えません。 「お時間がおありになるようでしたら」「お時間があいたときにでも」の部分が、婉曲的とはいえ、「相手に時間がある=相手は暇だろう」という認識に立った発言だからです。 また、「ほんの少しお伺いする」という表現も間違いです。 じゃあ、何と言えば良いのか、と言われると、シチュエーションによっても微妙に異なるので、なかなか難しいのですが、たとえば、次のような文も考えられます。 「ただいまから⚪︎⚪︎さまのお近くまで参ります。差し支えなければ、少しだけお邪魔いたしたいのですが、よろしいでしょうか」 「何かとお忙しいところ、まことに恐縮ですが、⚪︎⚪︎会議も近いので、ぜひご指導を賜りたい(いただきたい)と存じます。お手すきの際にでも、何とかお願いできないでしょうか」 「差し支えない」も「お手すきの際」も、相手が暇であることが前提になっていますが、「時間がある」「時間があいた」と直裁に言うよりは婉曲的に表現することができます。
その他の回答 (4)
- bakansky
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お礼を拝見。 日本語に 「足元にも及ばない」 という決まり文句があるのですが、#4 の hakobulu さんの回答を拝見して、その思いを抱きました。 私には、#4 にご質問への回答が十分に示されているように思われます。 > 「申し訳ございません。少々、お電話が遠いようなのですが」の「よう」ならまだ理解できます。「お電話が遠い」は相手のよくない行為についての指摘です。でも、ここの「時間がある」は相手の悪い行為ではなく、どこも悪くありません。なぜ「よう」をつけるという配慮が必要なのでしょうか。 「「お電話が遠い」は相手のよくない行為についての指摘です」 とのことですが、私は 「電話が遠い」 ということが 「相手のよくない行為」 であるという考え方をしません。相手の声を聞き取りにくいのはこちらにとって好ましいことではありませんが、「相手のよくない行為」 であるとは思いません。場合によっては相手が小声で話しているために聞き取りにくいこともあるかもしれませんが、機械的な原因が理由である場合もあるかもしれません。前者の場合であれば、「よく聞き取れないので、少し大きな声で話していただけませんか?」 などという注文を相手に投げかけます。 「お電話が遠いようなのですが」 という言い方は、「電話が遠いから、あなたの言っていることが聞き取れません」 ということを、それこそ #4 の回答者の方が適切にも表現しておられるように 「婉曲」 に述べたものです。直接的な表現を用いると、相手に対する 「礼を欠く」 つまり 「ぶしつけ」 であるという印象を与えます。相手に 「好感」 を与えたいと思う場合には、日本人は、直接的な表現を避ける傾向があります。この例における 「よう」 は、直接的な表現を避けて、婉曲な感じを与える目的で挿入されています。 同じことが、「お時間がおありになるようでしたら」 という例における 「よう」 にもいえると、私は考えます。
お礼
何度もご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。おかげさまで、わかるようになりました。
- he-goshite-
- ベストアンサー率23% (189/802)
>質問文に不自然な表現がありましたら、 ということなので, >文中の「よう」と「でも」の役割はよくわからないのですが、 ここでの「は」の用法は不適切です。ここは「が」を用いるべきです。 このままでは, 文中の「よう」と「でも」の役割 について以外はすべてよくわかるが, 特別に, 文中の「よう」と「でも」の役割 に関して, (以前に話題としたことがあった(読者(または聞き手)にとって既知である)が,ここでふたたび話題として取り上げると) 「よくわからない」 ということを表す場合に適する表現になってしまいます。
お礼
不自然なところをご丁寧に教えていただきありがとうございます。「は」と「が」は私にとって永遠の課題になるかもしれません。今回の使い方がなぜ間違っているのか、よく理解できました。今後気をつけます。
- bakansky
- ベストアンサー率48% (3502/7245)
#1 の回答をされた方が強い調子で断言しておられますが、私も同じような感想を抱きました。 日本語そのものを研究し、分析するために質問されたのであれば別ですが、ビジネスで用いる表現という面から見ると、適切な文が示されているという気がしません。 しかしせっかくなので、簡単な説明を書いてみます。 > 「お時間がおありになるようでしたら」と「お時間がおありになりましたら」 最も直接的な表現は 「時間があるなら」 です。 2つの表現の間に意味の違いはほとんどありません。極めて丁寧な表現の仕方。 前者の 「よう」 は口調をやわらげる働きをしていると見ればいいと思います。後者は前者の 「よう」 を取り除いた形。 > 「お時間があいたときにでも」と「お時間があいたときに」 最も直接的な表現は 「(あなたに) 時間 (空き時間) が出来た時に」 「・・・ にでも」 は 「時間があいたときに」 と言いきらずに、話し手の願望 (私のために時間を割いて欲しい) を曖昧にする効果を期待した表現です。「・・・ にでも」 という表現は、「あなたがその気になった時でいいですから」 というニュアンスを持たせて、ある行動をする時については相手に任せるというメッセージを送っています。 対して 「お時間があいた時に」 は、場合によっては 「私はここであなたに時間の余裕が出来るまで待っていますよ」 という意味に取ることも可能なので、前者よりもやや強い表現ということになります。 しかし、さすがに今日の日本のビジネスの世界で、こんなことをこんな言葉づかいで口にする場面はないかもしれませんね。
お礼
ご丁寧に教えていただきありがとうございます。時代も変わりましたね。いろいろとても参考になりました。「よう」 は口調をやわらげる働きをしているのはわかりました。申し訳ないのですが、なぜここでその働きが必要があるのかまだよく理解できていません。「申し訳ございません。少々、お電話が遠いようなのですが」の「よう」ならまだ理解できます。「お電話が遠い」は相手のよくない行為についての指摘です。でも、ここの「時間がある」は相手の悪い行為ではなく、どこも悪くありません。なぜ「よう」をつけるという配慮が必要なのでしょうか。その感覚の理解は少し難しいような気がします。もう少しご意見を伺えれば幸いです。
- ゆのじ(@u-jk49)
- ベストアンサー率30% (1233/4073)
全ての用法は通用しない。 >「ただいまから⚪︎⚪︎さまの近くまで参ります。もし、お時間がおありになるようでしたら、ほんの少しお伺いしてもよろしいですか」 これでは、先方は暇なので、いつ行っても構わない筈ということになるので、不快な気分にさせる。しかも、用件を告げず突然の訪問ということでは、不信感が増すので、とりあえず、失礼な奴と断定して、来訪を断ることになる。 >「⚪︎⚪︎会議も近いので、ご指導をいただきたいのですが、お時間があいたときにでも、ぜひ、よろしくお願い致します」 日時調整を丸投げしているようで不愉快。一応、自身の希望日時を二、三、挙げるのでなければ、なかなか会う日時が決まらない。完全丸投げの場合、先方は、「では、ΟΟで宜しいでしょうか?」と問い合わせる必要が生じていて、はなはだ、面倒。つまり、なかなか決まらないことを丸投げしているということは、口先だけの指導要請で、本心は、指導など不要と考えているということになりかねない。 結論。こういう悪文をビジネス用語だと考えるのは間違い。 >「お時間がおありになるようでしたら」と「お時間がおありになりましたら」、「お時間があいたときにでも」と「お時間があいたときに」 こういう言葉を中国人の貴方に投げかけられたら、たいていの日本人は、無視する。反応しない。ある程度、希望日時を二、三、言うことが大切。その中から、ひとつ、日時を0選択して貰えたら有難いという言い方が良い。 両者とも、大人のビジネスマンであり、そんなに暇を持て余していない筈という前提であれば、「時間があれば」という表現は失礼であると気付かなくてはいけないということ。 あとは、書名、著者名をこの種の質問文に明記してはいけない。両書ならばともかく、間違いなく恥さらしな書名を明記して、著者に恥の上塗りをさせることは無い。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。ご意見は大変参考になりました。
お礼
ご丁寧に教えていただきありがとうございます。おかげさまで、理解できました。