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常に自分の中に答えを求めなさい。

コピペ「常に自分の中に答えを求めなさい。 周りの人や、周りの意見や、周りの言葉にまどわされていはいけません。」 にわかには信じられないです。みなさんは常に自分の中に求めた答えを活用しているんですか?またこのコピペについて何か思うことがあればどうぞ。

みんなの回答

  • Mychuo
  • ベストアンサー率23% (8/34)
回答No.23

自分の中に求める答えの中にも式の働きがあるとして、そこに周囲の意見という別の式が入ってきたらこんがらがってしまうから、周囲に惑わされないように、ということ。 >皆さんは常に自分の中に求めた答えを活用しているんですか? 自分の求めた答えを活用するというより、活用する対象があるから答えを出すのではないでしょうか。 要するに、自分の中に求めた答えを、必ずしも何かに対して活用するわけではないということ。 そして自分が周囲の関係を考慮するのなら、常に自分の中に答えを求めたとしてもそれは、周囲との関係を考慮していないわけではないということになります。

  • Tefu_Tefu
  • ベストアンサー率27% (87/322)
回答No.21

こんばんは 幼少の頃 自分の無限の可能性は 誰からも評価されるものだと信じていた しかし 自分が楽しんですることが必ずしも他人から褒められないことに気が付いた むしろ 他人を楽しませれば褒められる 自分が楽しんですることは 他人は楽しくないのだろうか? そうらしい 他人は有限な存在であり 全てのものは有限な存在であるからなのか? なんということか 自分も有限な存在ではないか >常に自分の中に答えを求めなさい。 有限な存在である自分は より強く無限な可能性を感じる 自分の世界は 誰も理解できないだろう この世界を楽しむのは 自分の想像と創造にある 今日も他人に理解できない楽しいことをして生きていこうかな~ 全てを説明する事も不可能ですしね 時間が足りないよ~ 自分には 自己流が一番良いらしい 自分ですることは何でも楽しいよ(^-^)

noname#202739
noname#202739
回答No.20

信じられないってどういう意味ですか? 信じる信じないの問題じゃないでしょ。 賛成とか、反対ならわかりますけど。 言ってることはその通りですが、自分の考えは環境や他者からの影響も受けている。 「真の自分の考え」を見つけるのはなかなかむずかしいって思いました。

回答No.17

 回答の中に“信念”という言葉を見つけました。  この言葉をコピペ文に挿入して「常に自分の中の“信念”に答えを求めなさい。・・・」とします。  それを“良心”と変えてみると「常に自分の中の“良心”に答えを求めなさい。・・・」に成ります。  時と場合によっては“勇気”が必要な言葉です。

回答No.15

あなたに見えている宇宙とは、「自分の中」です。 「自分の中に答えを求める」とは、そうした「自我仮説(記憶 (過去=超光速)=時間軸)と時空仮説(予測(未来=光速下) =空間軸)」の相補分化としての物理を把握するように、 という事につながるのでしょう。 そうではなく、お金や権力といった社会的二次的価値や、 虚栄心や自己顕示欲といった他人の評価への依存により、 他律的に生かされる時、“自己の外なる独立した存在性” や“言葉で作られた価値”を、先入化させてしまうのです。 その結果、「外の声に惑わされず自分の内に答えを求め なさい」という話になるのです。

noname#214841
noname#214841
回答No.14

>>常に自分の中に答えを求めなさい。 >>周りの人や、周りの意見や、周りの言葉に >>まどわされていはいけません。 ここはQ&Aサイトなのですが、喧嘩を売つてゐるのですか。

回答No.13

湧き上がる疑問は、その疑問の中に『既に答えは既に用意されている。』という事実があります。 私は何者でしょうか?と、禅の師匠に質問をするなら、お前は何故?そう思うのだ!が答えです。 師匠が直接答えを示す事はないかも知れませんが、そういった疑問が湧き上がる人間の『心のメカニズム』を知り尽くした人達を『禅匠』と言っています。 自分に湧き上がった疑問は、他人からの答えは何にもならない事を知っているからです。誰でも『自分の心の中で湧き上がる疑問でも悩みでも』自分で解く以外、仕方ない事を知っている人を『禅匠』と言っていたようです。

回答No.12

 こんにちは。  ▽ 常に自分の中に答えを求めなさい。  ☆ という指針が妥当であると考えて それにしたがった場合に 周りの人びとのいだく見解と同じ内容を答えとして結論づけ選択することもあり得ます。  そうだとしても 決して  ▽ 周りの人や、周りの意見や、周りの言葉にまどわされてはいけません。  ☆ という指針を妥当だと思う判断と矛盾しません。  つまり 自分の中に求めた答えが 周りの意見と同じ内容であったということはあり得ます。ただそれだけのことです。  つまり 自分かほかの人たちかの区別は さほど重要ではありません。判断の中身が問題であると心得るべきところです。  

  • hannya-gl
  • ベストアンサー率17% (6/35)
回答No.10

「常に自分の中に答えを求めなさい。周りの意見や言葉に惑わされてはいけません。」 この言葉に限り、誰が言ったか?、になりそうです。 作者には、人に聞かずとも、答えを知っている。ではなく、答えに通じる、考え方、つまり、知恵、を持っていなければ、言えない言葉になります。それでなければ、周りや人の意見は、すべて間違っている。と認識しているか。後者は賢者は愚者に学び、愚者は賢者に学ばない。たぐいでしょう。 さて、人は自分の中に、正しさ、を知る能力をもっているか。西洋では、ベルグソン、の哲学的直観、 哲学=考えることを鍛錬するなら、知識がなくともむ、直観的に答えが分かるようになる。知らない事は考えられない。を脱する、というようなこと。 東洋では、陽明思想の、良知、人間は、心、とではなく、知恵と行動を一致させるべきであり、 我執を離れ、赤心(赤子の心)で見るなら、何が正しいかの答えは分かる、そういう能力、良知、が備わっている。 陽明思想というと、すぐ、三島由紀夫の行動に結びつけられるようですが。彼がより執着していたのは。 「武士道とは死ぬ事と見つけたり」の葉隠れ、の方だった。のでは? ギリシャの本だったかによく、誰々の孫にしてだれの子、プラテス。というのがありますが。 祖父から親から子へと、遺伝子的記憶がつながっているのか?   もしこれが、釈迦や老子のことばなら、 「自分の中に、理法、老子なら、道(とう、たう)を悟りなさい」でしょう。 論語を持ち出した後で老子を出したり、支離滅裂ですかね。

  • 2014japan
  • ベストアンサー率22% (35/159)
回答No.9

シチュエーションが違います。 こういゆう勘違い、とても多いですが、これこそがコピペの問題点だと思います。

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