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常と無常について
学校の現代文の課題についての質問なのですが 現代文で無常であるが常である季節の事物をとりあげて説明しなさいという課題出ました もともと現代文の教科書にある文章からきているのですが その文章の内容は 京都の神社の前にコンビニが立つということは無常なことである というところからはじまり (だが、当時の人にしてみれば二条城を立てることもコンビニのように無常なことであった)→そこから最終的には今までの発展の過程を考えそれは常のことである という結論に至るよな話でした 私の国語力ではこの説明が限界なのですが;; 無常であるが常であるもの… たとえば皆さんならどんなものを思いつきますか? 皆さんの柔軟な意見をお聞きすることができれば 私も私なりの答えが出そうなので 良ければ思いついたことを解答していただけると嬉しいです^^
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もう私の近くの田園にはまんじゅしゃげが咲いています。 この非常に目立つ派手な花は普段そのあたりに何の気配もなく、 ある日突然といった風に出現します。 これは常であり無常であるというような自然現象のように私には思えます。 まんじゅしゃげ、あるいは彼岸花といいますが、文化風俗的には余り好まれない(ちょっと不吉というかいまわしいといった感じの)花のようです。雑草に属していて、栽培している人を私は知りません。
こういう考察をする以前に,粗雑な質問文です。 まず,理系的に趣意を説明すれば: タイムスケール(時間尺度)の問題です。短いスケールでみると,なにか突発的なことが起これば,それが異常なできごと(常をやぶる=無常)のように認識される。しかし,長いスケールでみると,次々に新しい変化がおきるから,変化することが当たり前(常)なのだと認識される。 例をあげれば: 台風は,通常の気圧配置を数日間だけ突発的にやぶる「気象」として無常である。しかし,毎年平均何個の熱帯低気圧が発生し,そのいくつかが台風として日本を通過するという長年の経験的則からみれば,日本の「気候」としては当然のこと,すなわち常である。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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この世のことは全て無常であり、しかしそれは常にしてあるものであるという受け取り方ですよね。 “行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し” という水の流れは所詮はこの世の常である。 これは仏教の思いでしょうが、中国思想はちょいと感情が違うのでしょうが、 【子在川上曰、逝者如斯夫、不舎晝夜】 (先生は、川のほとりで述懐された。逝くものはかくのごときかな。昼夜をおかず) 自分が過去現在ときた。しかして、時に過去を懐かしみ、旧友にもあいたと思うが、地上にいる旧友も今は幼いときに、ともに山川であそんだ人とは異なっている。 ずぅっと自分も友も同じで七百歩のところに70数年いるが、もう昔のお互いはいない。いるのにいない。なにもかも許しあっているのに、かのはだかんぼうで戯れた、お互いはいない。