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超心理学の現在
例えばこのページ; http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/3-7.htm によると、 「オリンピックやニューイヤーなどの世界的なイベントがあると, たびたび乱数が偏るという観測結果が報告されている。」 ということですが、このへんの話が本当だとして 超心理学が世間的にまじめに取り組まれていないように 見えるのはなぜなんでしょうか? もしも本当なら脳科学者あたりがこぞって参入して、 毎年日経サイエンス辺りで特集組んでいてもよさそうな気がしませんか? 1.メカニズムが解明されていない。 2.あったとしても効果が弱すぎて実用的でない。 ぐらいは思い付きますけど・・・
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地球意識や超能力が他の科学の理論と矛盾するからというのが、いちばん大きな理由だと思われます。科学を特権的に見なくても、もっとも緩い自然主義にさえ反しているからと言い換えてもよいと思います。 たとえば(こうやって挙げることで気分を害されたら申しわけありません)、「本当の意味での乱数は、この世に存在しない」に対して、「量子雑音を使えばいいのでは」というのは、科学的ではありません。少なくとも、それを説明するのにどうして量子雑音が必要と考えられるのか、つまり量子とその現象との因果関係についての意見が呈示されなければならないと思われます(メカニズムを完全に説明しなくとも)。 気象学者アルフレート・ウェゲナーの場合、プレートテクトニクスと現実の観察された事実との関係についての意見が立てられていました。単に少数派だっただけで、地質学者のなかにはウェゲナーの理論を支持する者もいました。しかし、仰るとおり、肝心の大陸移動のメカニズムがわからなかったので、ほとんどの地質学者の支持を得ることができなかったということのようです。 さらに、ウェゲナーのほうが既存の科学とおそらく矛盾していないのに対して(既知の理論では説明できないことは証明されていますが)、この地球意識や集合的意識は、矛盾するように思われます。 また、超心理学とよく比較される心理学や社会学では、「心」や「社会」が実在するかどうかは、メタ理論的な問題であり、心や社会が実在的ではなかったとしても、実験や調査などを行う道理があることになります。 対して、超心理学では、超能力を前提をしないことは難しいです。超心理学側のスーザン・ブラックモアはサイ仮説なしでも研究が可能と主張していますが、サイ仮説がないとそもそも超心理学的な実験をする意味がないということになってしまいます。 それだけといえばそれだけなので、逆にいうと、超心理学に興味のある人が集まれば、学会も組織できます。真面目に取り組まれていないわけではないでしょう(日本ではあまり根づいている分野とはいえませんが)。現に、アメリカ合衆国では、アメリカ科学振興協会に超心理学会が加盟しています。 伊勢田哲治(2003)『疑似科学と科学の哲学』(名古屋大学出版会)「第3章 目に見えないものも存在するのか? ――超能力研究から」では、超心理学を手引きとして科学における実在論を考察しています。
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- transaction
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>さらに、ウェゲナーのほうが既存の科学とおそらく矛盾していないのに対して(既知の理論では説明できないことは証明されていますが)、 自分の書き込みですが「当時の既知の理論では説明できないことは証明されていましたが」の間違いです。現在ではないです。 ここで書いたことは、だいたい伊勢田さんの本に書かれていることです。
>量子雑音を使えばいいのでは? 別にいいですけど、信憑性はゼロになりますよ。 なぜなら、量子雑音とは、さまざまな要因を除いてもやっぱり残ってしまう「正体不明のノイズ」だからです。 正体不明ということは、「本当に乱数かどうか」も正体不明です。 ゆえに、量子雑音は「乱数ではない」ことを証明することはできない代わりに、「本当の乱数かどうか」を証明することもできません。 >やっぱりそうなんでしょうか。 たとえば一般相対性理論は、世界中の科学者達が100年かけて「どうやら正しいらしい」ことを証明してきた理論です。 しかも現在でも、世界中の科学者達が「間違いを指摘して名を上げてやろう」と虎視眈々と日々「理論のアラ」を探しつづけています。 『そこまでやっても間違いが出ない』からこそ、『今のところとりあえず信用されている』んです。 本当に正しい理論というのは、ただ1人の研究者がたかだか2、30年やったところで完成できるものではありません。 だからこそ、「きちんとした証明と理論展開」を行って、周囲の科学者達についてきてもらわないといけないわけですよ。それができなければ、その科学者には科学者としての価値がないといえます。 もちろん、だからといって「間違ってる!」と言い切ったりするのは素人の所業ですけどね。
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引き続いての御回答ありがとうございます。 >量子雑音は「乱数ではない」ことを証明することは >できない代わりに、「本当の乱数かどうか」を証明する >こともできません。 なるほど、そうしますと、 量子論の基本的な結論を否定することになってしまいますね。 つまり、「超心理学的現象(特にここでは乱数当て)」と 「量子論」は両立しないと、おっしゃるわけですね?
残念ながら、質問文中にあるレポートは全く無価値です。 実験その物に価値がないと言っているのではなく、このレポートだけを「ポン」と見せられても、「こんな実験、ワケの分からない結果が出ても当たり前じゃん」としか答えようがないのです。 なぜなら、まず第一に「本当の意味での乱数は、この世に存在しない」からです。 乱数とは、文字通り「乱れた数」なのですが、この世の物質は全て一定のリズムを持って活動しているため、『本当の意味での乱数を発生させることはできない』ことが数学的に証明されています。 つまり、この世の全ての乱数発生装置は「擬似乱数」を作成しているにすぎず、またこのレポート内にある「RNG装置」が『ある一定の条件にさらされると偏りが生まれる』のは当たり前のことなんです。 乱数実験は、最低でも数種類程度(できれば十数種類)の、発生方式の全く異なった装置を作成し、それらを同じ条件で使用しなければ意味がありません。 そういう方式で実験を行い、それでも『全く異なっているはずの装置なのに、規則性のある偏りが生まれる』のであれば、それは何らかの力が働いたといえます。 が、ただ1種類だけの装置を用い、それが妙な結果をもたらしたとしても、それは実験が成功したとはいえないのです。 また、『PK』というエネルギーについても、『念力。またはそれに類する物』という説明しかありません。 これじゃあ説明が漠然としすぎていて、『PKとは何か』を説明したとはいえません。 『証明(または説明)』という言葉は、『全く異なった人生を歩んできたはずの、ある程度知識教養の高い人物達全てが、全く同様の理解を示すことができる文章類』のことをいいます。 10億人の人間がいたとして、その中のたった1人でも納得できない人がいたとすれば、それは「説明が不充分だった」ということになります。 これは、心理学界でも工学界でも、またはアパレル業界や芸能界などでも全く同様です。 ゆえに、質問文中の「真面目に取り組まれていないのはなぜか」という質問に対する答えは、「石川幹人なる研究者(または同様の研究をする人々)がメカニズムの説明を充分に説明しようとしていないから、他の人間は取り組みようがない」ということになります。
お礼
ありがとうございます。 >「本当の意味での乱数は、この世に存在しない」 量子雑音を使えばいいのでは? >『本当の意味での乱数を発生させることはできない』 >ことが数学的に証明されています。 ポアンカレの意味でですか? http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/3-5.htm によると、 「単純RNG(ストロンチウム90による2値出力RNG)と複雑RNG(電子雑音RNGによる2値出力を100回ほど行なってその結果を多数決で最終2値出力にするもの)をも比較した。」 そうですから、熱雑音と量子雑音で実験やってるみたいです。 熱雑音なら、ポアンカレサイクルで説明するとしても 量子雑音は無理じゃないですか? >メカニズムの説明を充分に説明しようとしていないから やっぱりそうなんでしょうか。 大陸移動説もメカニズムが分からない時代、 偶然でかたづけられてましたからね。
お礼
ありがとうございます。 こんな議論で気分を悪くするほど 自分の意見に固執するタイプではありません。 お気になさらずに。 >それを説明するのにどうして量子雑音が必要と考えられるのか、 量子雑音は、現在のところ完全に確率的な現象だと考えられているからです。 もしも、量子雑音が完全には乱数でないとすると 量子論を根底から書き直す必要があります。 >この地球意識や集合的意識は、矛盾するように思われます。 具体的に何に矛盾すると思われますか? 因果律には矛盾しそうですが、 これは物理学の基礎法則か?と言われるとよく分からないですし。 >日本ではあまり根づいている分野とはいえませんが この質問のポイントはここかもしれませんね。 「なぜ超心理学は日本にあまり根付いていないのか?」