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秀吉は無学だということについて

秀吉は無学だったんですか? 書状も残してるし多少は学問をしていたのでは? もし学問を学んだとしたら、どこで誰から学んだんですかね? 秀吉と学問について知ってることを教えて下さい

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noname#224207
noname#224207
回答No.8

>秀吉は無学だったんですか?書状も残してるし多少は学問をしていたのでは? 「学」とか「学問」ということについてどのようなイメージをお持ちでしょうか? 「論語読みの論語知らず」という言葉をお聞きになられたことはありませんでしょうか? 「実学」という言葉をお聞きになられたことはございませんか? >どこで誰から学んだんですかね? 「独学」という言葉は御存知ですね。 人から教えてもらわなくとも、学べるのではありませんか。 今まで、何でもかんでも人から教えてもらってこられましたか? ご自分で経験されたり、調べられたり、お考えになられたことはありませんか? 書物を読んでそこに書かれている事柄を沢山記憶していても「学」があるとは言われません。 知識を沢山集めるだけの作業を学問とは呼びません。 もし、これが「学」であったり「学問」であるならば、パソコンのHDDやCDの方が「学」があることになります。 知識を組み合わせるだけならば、コンピューターの方が遥かに優れています。 おそらく、質問者さんの方がアリストテレスや聖徳太子よりも沢山の事柄を御存知でしょう。 夜と昼があるのは地球が回っているからだということを御存知ですよね 病気はウイルスや細菌によって引き起こされることは御存知ですよね。 まさか、神様や仏様の成せる技だとはお考えで有りませんでしょう。? 古代中国に慧能という人いました。 お寺で薪割りなどの雑用の下働きをしていました。 ある日、お寺の師匠が弟子に問題を出しました。 一番優秀だとされた弟子が回答しました。 それをそばで聞いていた慧能は、字の書ける弟子に頼んで、自分が考えたことを書いてもらって師匠に見てもらいました。 それを見た師匠は、慧能に跡を継がせることにきめました。 これが後に禅の六祖と称された人です。 秀吉も書物に書かれた知識なぞ不要だったのでしょう。 戦国乱世の中で人々を統治して行くのに必要な事柄は、信長や周りの人達の行動や自分の経験から学んだのでしょう。 後は色々と考えながら試行錯誤をしていったのでしょう。 実社会における「学」とか「学問」というのはこのようなものでしょう。 秀吉が無学だったとは言えないのではないのでしょうか。 松下幸之助も本田宗一郎も大学なぞ卒業していません。

zensyu
質問者

お礼

もちろん教わらなくても学ぶことはできます。 書物などより現実の世界の方が遥かに物事を教えてくれます ただ経験に偏りすぎてしまうことも実学だけだとあります 例えば311の津波 今まで堤防を超える波がこなかったから、それ以上の波はこないとか タバコの害について知っていなければ、 タバコは数回吸っただけではガンにならないので健康に悪いなんて思いもしないでしょ?周りにそういった人がたまたまいなければなおのこと 例えば文字なんかは習わないでも自分で作り出せるかもしれません。ただ試行錯誤して作るより習った方が効率がいいですよね 戦国時代の武将たちは本を読んで記憶するだけの頭でっかちの人間辞書ではなく 自分で本にない新しいことを考えられる本物の頭の良さを持った人たちです 知識と実学と新しいことを生み出せる力を併せ持った男たちがウヨウヨしてた時代ですよね? そんな人たちの中を実学それのみで生きて天下を取れるのだろうかと疑問に思いました。 彼が政治や軍事を書物に頼らず極めることは可能です ただあの時代は競争なので

その他の回答 (9)

  • lv48
  • ベストアンサー率28% (153/535)
回答No.10

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%96%A4%E7%AB%8B%E5%BF%97%E4%BC%9D%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA 太閤立志伝というゲームで疑問が解決すると思います。 戦以外の時間は、ひたすらスキルアップの時間です。 お金やプレゼントで、文化教養・武術を自分より能力の高い人に師事してレベルアップします。 現代のサラリーマンも同じですね、学生時代の知識より、会社に入ってからのスキルアップが全てです。 秀吉が師事 金春安照 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%98%A5%E6%B5%81 千利休 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%88%A9%E4%BC%91

zensyu
質問者

お礼

実際そんな感じだったのかもしれませんね

回答No.9

秀吉の時代識字率(字の読み書きが出来る割合)は3割程度です 武士ならともかく農民の出の秀吉が最初から学問を得ていたとは考えにくいですね ただ 簡単な読み書きぐらいは出来たでしょう 秀吉は今川に仕える前(信長に仕官する前は今川に仕えてましたね)に針売りの行商に出ています 当然商売をするには学が必要です そこである程度は学んだのではないでしょうか? 下手な勉強より実際に商いをして得た知識の方が後々の秀吉には役立っている気がします

zensyu
質問者

お礼

なるほど

  • nene-k
  • ベストアンサー率42% (118/279)
回答No.7

皆さんおっしゃるように、無学では天下は取れません。 出自が出自だったために、殿様クラスの息子たちのように、名のある先生から学問として習わなかっただけで、上司や友人を介して、徐々に学んでいったんだと思いますよ。 あと、No.1さんが、どこでそのお話(秀吉は字がヘタ)をお聞きになったのか知りませんが、秀吉はかなり達筆ですよ。 以前、くずし字を習った時に、自筆の手紙を見ましたが、素人目にみても達筆でしたし、教えてくださった専門家の先生も、「戦国武将の中では屈指の達筆」と言っておられました。 また、あの北大路魯山人が、歴史上の人物の中で、一休宗純と良寛と秀吉を新三筆に選んでいます。 それこそ、幼い頃の秀吉は、達筆な先生から字を教えてもらう機会も無かったでしょうから、商人のように各国を巡ってネットワークを広げ、やがて信長に仕えて出世するうちに、それも学んでいったのではないかと思います。

zensyu
質問者

お礼

秀吉が達筆だなんて考えたことも無かったです

回答No.6

天下は、「学」だけではとれません。 「運」が多いに関係しています。 高松城の水攻めも、織田信長の本能寺の変による死によって、 相手に信長の死を知らせないうちに 降伏の条件を緩くし、清水宗治の切腹だけ受け入れさせ 急いで姫路城に戻ります。 これも、秀吉に運が有ったからですね。 身内への手紙は ひらがなばかりで、誤字脱字も多かったそうですから 「学」がある、、、とは言えなかったでしょう。 ただ、世渡りの「学」は、素晴らしいものだったと思いますが、 これも、機転を効かせて利用しないと出世はできなかったでしょうから、 勉強の「学」は無くても、時勢の世渡りの学はあったのでしょう。

zensyu
質問者

お礼

そうですね。世渡りの学や運は凄いですよね。 ただ天下取りに必要な軍事や政治はどうやって身につけたのか気になったのです。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.5

学と言うか、教養は無かったように思います。 頭が良かったのは疑う人も居ないでしょうが、兵法書に通じていたとか、論語を諳んじていた等は聞きませんし、当時の常識の陰陽道も無視している箇所が見受けられるそうです。(意識的に無視したのかもしれませんが)

zensyu
質問者

お礼

うーんなるほど

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.4

低い(貧しい)身分から立志伝中の人物において、日本史の東の横綱は秀吉、西の横綱は田中角栄で異論はないと思います。その2人、タイプ的には同じだと思うんですよね。 同じように低い身分から出世した福島正則は根っから勉強が苦手なタイプだったらしく、生涯においてひらがなしか読めなかったそうです。また、本田忠勝でこんなエピソードがあります。家康が立札を立てたのですが、漢字交じりで難しい言葉遣いでどんな決まりなのか分かりづらい。そこで忠勝がその横に「これをまもらないやつはおれがしかる。ほんだ」と書いたらみんな守るようになったなんて話が残っています。ひらがななら読める人は多かったみたいですね。 とはいえ秀吉もあそこまで出世した人ですから、仕事に支障がない程度には読み書きはできたでしょうし、なにより頭は理系だったと思うので(経済にものすごく明るい)、「学(学識)はなかった」としても「頭が悪かった」というわけではなかったと思います。 どこで誰に学んだのかといえば、当時は公けの学校はなかったのですから、「どこかで誰かに学んだ」のでしょうね。なにしろ学識豊かで京都や公家のしきたりにも詳しかった明智光秀が「どこで誰にそれを学んだ」のかは不明だってのはありますからね。 出世していく段階で、ひとつの部隊を任される立場ともなれば文字が読めなきゃ仕事にならなかったでしょうし、彼はいわゆる武将として槍一本で出世したわけではないので、読み書きはできたでしょうし、たぶん数学関係はかなり強かったんじゃないかと思いますよ。 でもそれをいったら同じ身分であったはずの弟秀長なんてもっとどうだったんでしょうね。割と分かりやすい成り上がり者である兄秀吉に比べると、秀長は竹中半兵衛や千利休といったようなインテリにも一目置かれていました。インテリってのは学がない人をバカにする傾向があるので(実際に半兵衛や利休は秀吉をバカにしてるフシがあります)、そういった人たちにも一目置かれたってことは秀長はそれ相応に勉強ができたであろうってことですよね。

zensyu
質問者

お礼

秀吉は確かに凄く頭いいですよね ただ無学で頭の良さだけで天下とれるものなのかなと思いまして

  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.3

嫁さんとか母親には自筆で書くだろうが 公式な文書は基本的に祐筆さんが作る書状です 秀吉自身の能力なのか?母親の識字能力によるモノか? 大政所宛の書状はひらがなで綴ってあったと記憶している その程度なら、誰に習っても同じ

zensyu
質問者

お礼

読み書き以外はどうだったんでしょうね?

回答No.2

今晩は。 秀吉山窩(さんか)説というのがありますね、定住する場所を持たずに日本中の山に住んでネットワークは相当なものだったみたいですね。 その兵力を信長に認められたから召し上げられたという説ですね、山窩のなかでも地位が上だったので学はあったのかもしれないですね。 一夜城も山窩の力で造ったと考えれば納得することですね。 人の上に立つ者は学があると思いますよ。 秀吉 山窩の王族説 ↓ http://www.geocities.jp/jiyoudan3_55/hideyosisangaou.html

zensyu
質問者

お礼

はじめて聞きました 流石に全くの無学で天下は取れないと思いますよね

  • born1960
  • ベストアンサー率27% (1223/4397)
回答No.1

 秀吉は比較的自分で書いたものが残っているそうですが、仮名も多いし、誤字脱字も多いそうです。 秀吉に限らず、中世以降、武将や政治家などの公式な文章は「右筆」の手によるもので、花押しただけだと思います。

zensyu
質問者

お礼

なるほど

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