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歴史の教科書での「大阪」という表記について

東京と大阪は、江戸時代以前の地名はそれぞれ、「江戸」、「大坂」です。 しかし、現在の小学校や中学校の歴史の教科書では、東京については正しく「江戸」になっているのに、大阪のほうは江戸時代以前でも、明治以後の「大阪」の表記になっています。 なぜ教科書では、江戸時代以前でも「大阪」で、つちへんの「坂」ではなくこざとへんの「阪」が使われているのでしょうか?

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noname#224207
noname#224207
回答No.5

Wikipediaにこんなことが書いてありました。 ○漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する。一説に「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌ったとも、単に、役人の書き間違いから定着したともいう。 江戸時代でも「大阪」と書いていたことがあるようですね。 小中学校の場合は判り易さを重視して記述されています。 都道府県名や市町村名は歴史的に頻繁に替わります。 (つい最近も市町村合併で大きく変わりました) これを一々時代ごとに使い分けていたのでは小中学生は混乱するだけです。 蛇足 「東京については正しく「江戸」になっているのに」とお書きになれれていますが。江戸の範囲を御存知でしょうか。 現在の東京とは異なります。 三多摩という地名呼称を御存知ですか、現在の23区以西の地域を表します。おそらく70歳代以上の下町育ちの人達は今でも日常的に使います。(東京とは区別して意識されておられます。)

その他の回答 (5)

  • izuhara
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回答No.6

教科書執筆者に聞いたわけではないので、推測になりますが、 山川などの高等学校の教科書では「大坂」となっていますから、小中で「大阪」で記述されているのは義務教育の教育レベルにあわせたためではないでしょうか。 小中学校の社会科レベルでは、「大坂」であったことを理解させることを要求していない、そういった細かいことよりももっと大きな視点での大雑把な歴史の理解が求められている。それゆえに「大坂」は捨象されているではないかと。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1973/9604)
回答No.4

Nanatsuya さん、こんばんわ。 確か、明治初期に大坂の坂の字が「土に返る」という意味に通じて縁起が良くないところから、阪に変更になったと効いています。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3

http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/387/1/56-1-kyoiku-13.pdf 小学校中学校の教科書がないので当たれませんが 上記の資料では教科書の引用として「大坂」を出しています。P175 ちなみに手元には「もういちど読む 山川日本史 2009年出版」がありますが、江戸時代はざっと読みましたが「大坂」ですよ

参考URL:
http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/387/1/56-1-kyoiku-13.pdf
  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/kentei/05051801/16-47/16-47-44.htm 大坂の役に関しては 大坂となっているようです。

  • heisenberg
  • ベストアンサー率23% (591/2556)
回答No.1

>>◇なぜ教科書では、江戸時代以前でも「大阪」で、つちへんの「坂」ではなく    こざとへんの「阪」が使われているのでしょうか? 「大阪」は、元々、「大坂」と書いていました。 しかし、「大坂」の「坂」は、「土に反(かえ)る」、つまり、「土に返る」ということで、「縁起が悪い」ということで、「大阪」と書くようになったのです。 この変更は、確か、秀吉か家康の時代にやったように思います。 秀吉や家康の時代に変更したのですから、「江戸時代以前」でも、既に、「大坂」なんですね。

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