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大阪文字について、ご存知の方!
現在書かれている『大阪』というのは昔『大坂』と書いていた そうですが、『坂』⇒『阪』になったのはいつから、なぜそうなったの でしょう~。 素朴な疑問です。 歴史に強い方是非教えてください。 お願いします。
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すでに皆様からの回答がある様子ですから、 関連URLを貼り付けさせて頂きます。 浄土真宗の第8代宗主蓮如は、1496年現在の大阪城がある場所に、後に大坂本願寺(石山本願寺)となる大坂坊舎(石山御坊)建立に着手しました。その頃、上町台地の突端にあった小坂(おさか)という地名が、「おおさか」の語源といわれています。<大阪市/室町時代> http://www.city.osaka.jp/profile/rekishi/osaka_rekishi2.html 道標や灯籠の文字を逐一検討した林秀雄氏は、「阪」の字を使った一番古いものは住吉大社の表通りにある石灯籠で、天明6年(1786)の作だという。そして文化・文政頃には「阪」の字がかなり使われるようになったと考証している。江戸後期の狂言作者浜松歌国が文化5年(1808)に執筆した『摂陽落穂集』には、「ある人のいはく、大阪と書くに坂の字を用ゆること心得べし、坂の字は土偏に反るといふ、土に反るとあるゆへ忌みきらひ、阜偏に書くべしとなり」とある。そして次第に混用時代になる。<『大阪の町名(清文堂/昭和52年発行)』より> http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/qa/qa1.html#news01 <大阪府広報報道室/おおさかなんでも質問箱6年度作成分より抜粋> http://www2s.biglobe.ne.jp/~tbc00346/component/tyuu.html
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- doya
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こんばんわ 変わったのは、江戸時代から明治時代になった時です。 つまり、明治政府が変更したということになります。 変更理由は、「坂」→ 転がる、縁起が悪い ということで、「阪」の字を持ってきたと言われています。 以上のことは俗説で、大谷晃一氏の「大阪学」(新潮文庫) あたりを読むと、詳しい説明が載っていると思います。 (昔読んだのですが、本の内容は忘れてしまいました) それでは、失礼します。
お礼
いわれはいろいろとあるようですね。 ご協力ありがとうございました.
- nyozegamon
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「坂」つちへんは土に還る又は、土につくという意味合いもあって、縁起が悪いと言われていたそうです。 「阪」こざとへんに変更すれば、発展すると言う意味もあり、現在も二通り使用されています。 間違って使っているという説もあり、特に条例もなく大阪府知事の印も両方使用されているそうです。
お礼
現在の大阪府知事の印鑑も両方使われているとは!びっくりしました。 まだ『坂』の名残は現在でもあるのですね。 ご協力ありがとうございました。
お礼
詳しく教えていただきましてありがとうございました。 とても勉強になりました。