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私とは
iPhoneでは、お礼ができないみたいなので、お礼をかかせていただきます。 no1さん 私とは ではなく、人間とは の質問なのかもしれません。 私とは、自分と、他人が作り上げたもので、いくつかあるものなのかな? だから、私とは何かを知りたかったのではなく、人間とはなにかを知りたかったのかもです。 人間とは、否を認めること。悟り。 それができていないから、私という、相対価値で作られたものを認められないのかもしれません。ありがとうございます。 no2さん 生きている それを守る意識 そうなんですよね。万物みな、そうなのですよね。 〉他のものを認識して、おのれの存在を探り、協調と対立を図る 他のものも、生きていて、それを守る意識なのならば、協調も、対立も、なかなか生まれにくいのかなと。 自分の命を脅かす他があれば、別ですが。 つまり、 他のものを認識して、己を探り、特に生きるのに害がなければ、協調も、対立も図らなくていいということでしょうか? 見当違いなことかもしれません。失礼なことだったら、ごめんなさい。
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今日は。 「私とは」? 回答者が定義いたしますと、この質問をされた 「アナタと言う動物です」。 (鉱物ではない?かは、お逢いしていませんので?) ワニやペリカンのインターネット使用は、今の処回答者の 周りにはいません。(地球には居るのかもしれません) 定義の前提が市町村、県、日本、バーミューダ、地球、 太陽系、銀河系、果ては宇宙、で「アナタ」が変わります。 つまり、絶対不変なものでは在りません。 絶対個体が存在しない、と言われています宇宙。 100日赤い花は無い。(造花でも)の日本ですから 「アナタ」は今こうしてこの文章を読む間に、既に 「アナタ」では無くなっているのでしょうね。 動物のヒト細胞は、ほゞ1年間で総入れ替えがされます。 と聞きます、1年前とは違う「アナタ」だと言えますね。 ヒトは何にでも定義付けをしたがります、不安なのでしょうか? 古来より哲学者は「ヒト」について定義付けに汗をしています。 “毛の生えてない二本足歩行をする動物”と定義したと記録にあります。 しかし、ハネを抜いたニワトリが「ヒト」ではないと認められてから、 「ヒト」とは?のままです。 質問者さんの出番です。