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プロタゴスの相対主義について

「人間は万物の尺度である」と主張したプロタゴラスの相対主義についてなのですが、こちらで否定されている絶対の「真理」の意味とは、正しさや道理といったもので、人によって、それらは違うということですか? 下記でいう(1)の意味で、〔哲〕の意味では、ないですよね? (1)正しい道理。だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。 (2)〔哲〕(価値を慮外にして)事態の真相。真。その基準については諸説ある。(1)思想と事物の一致、すなわち判断や命題が存在と正確に対応すること(対応説)。(2)ある命題(思想)が他の諸命題と矛盾せず整合性があること(整合説)。(3)プラグマティズムでは、ある思想が有効な働きや結果を示すこと。 ⇔偽

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回答No.1

(1)は普遍的という修飾がついていますので、これが相対主義に反することは確かですが、質問文において「真理」の前に「絶対の」という修飾を付けていらっしゃいますので、(2)の意味だったとしても論理的には全くおかしくなく、それどころか、(1)の意味だとすると、絶対的と普遍的がかぶっていることになってしまいますので、ここはむしろ(2)の意味として理解すべきかと思われます。わざわざ哲学用語と示されていることですし。

noname#5797
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

noname#5797
質問者

補足

回答有り難うございます。つけたしと、質問の仕方が悪かったようなので、訂正です(汗)。 プロタゴラスのいう絶対の「真理」はないとは、 正しさや道理は、人それぞれであるという意味ですか?です。 つまり、(1)でいう、絶対の「正しい道理」は、ないということですか?です。 また、客観的基準が分からないということは、何が間違っているか等、分からないわけですよね? よって、「だれも否定することができない、普遍的で妥当性のある法則や事実」は、 ないということですか?です。 (1)正しい道理。だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。 哲学用語も載せましたが、全く深い意味はありません(汗)。goo(国語辞典)で、真理という言葉をひいたら、(哲)の意味も書いてあったので、載せてみただけです。 も、申し訳ありません(^^;;;。 宜しくお願い致します。 プロタゴラスの相対主義で使われている、絶対の「真理」はないの「真理」の意味は、 一般の国語辞典に載っている意味、ここでは、(1)ですか?

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