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“王政復古”という用語。

幕末維新期に尊皇派が「王政復古」と叫んでいますが、卑弥呼の時代はいざ知らず、日本には「王」という名の統治者はいなかったと思います。 すると“王政復古”と叫んだ連中は何を目指したのでしょうか。 天皇を日本国王として、英仏蘭のような君主制にしたかったのですか。 「王」より「天皇」の方が上位であるという考えはなかったのですか。 それとも、“王政復古と言えば語呂が良いから”という程度の話ですか。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • izuhara
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回答No.4

「王」政復古ではなく「王政」復古と捉えてください。 「王政」で一つの意味を持ちます。 つまり、帝王・国王が行う政治であり、日本では単純に天皇による政治を示すだけです。 「王道」という言葉と同じように、ここでの「王」には君主のランクとしての王(皇帝より下位)の意味はありませんので、何かしらのイデオロギーを含んだものではありません。 あえて「王政」の「王」の意味を考えるならば、それは「王」の意味の一つである、国の統治者、がふさわしいでしょう。 昨年の大河ドラマで紛糾した「王家」も同じですね。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >「王道」という言葉と同じように、ここでの「王」には君主のランクとしての王(皇帝より下位)の意味はありませんので、何かしらのイデオロギーを含んだものではありません。 なるほど、納得しました。

その他の回答 (5)

  • poomen
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回答No.6

#1 です >の国書で日本の王は「天皇」であり、隋と対等である立場をはっきりと表明したと私は理解していました。  そうです。天皇号というのは中華帝国による華夷秩序(冊封体制)からの離脱のために作られた言葉です。しかしいったん離脱してしまってしばらく立ってしまうと「天皇号」を用いる必要がなくなってきます。元々対外向けの言葉だったからです。  なので都の朝廷、公家社会の中では平安の中頃から帝、禁裏、主上は退位後「○○院」と地名で呼ばれるようになっていきました。あなたのおっしゃるとおり幕末に天皇号は復活しています。

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 >しかしいったん離脱してしまってしばらく立ってしまうと「天皇号」を用いる必要がなくなってきます。 >元々対外向けの言葉だったからです。 なるほど、そういうことですか。 天皇の称号が使われなくなったわけがよく解りました。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.5

天皇による 王道の政治 徳川による 覇道の政治 この二項対立として捉えているから http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8A%E7%8E%8B%E8%AB%96 尊王論 尊皇論 どちらも そんのうろん と読むように 皇政復古 で こうせいふっこ と読ませても何ら問題はないが、王道<>覇道の比較でなので、王政復古が正しい。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >天皇による 王道の政治 >徳川による 覇道の政治 なるほど、納得しました。

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.3

王政復古の意味は徳川幕府の否定です。それだけです。摂政でもない。関白でもない。将軍でもない。上皇でもない。天皇の親政に戻しますよという意味が通じればそれだけで良いのです。 王政復古、国威挽回、尽忠報国といった4文字熟語のスローガンです。 19世紀の中頃から政局の中心は江戸でなく、京都に移っています。15代将軍の徳川慶喜は一度も江戸城で執務できなかったぐらいです。 当時は、京都の天皇か、徳川将軍の二者択一です。王政といえば誰にでも天皇のことだと分かったのです。 王といえば、当時は琉球国王がいましたが、それでは復古の意味が通りませんし、天皇を差し置いて琉球国王が統治権を握るなど誰一人も想像もしません。王を徳川慶喜と解釈しても、復古の意味が通りません。 王政復古、それは4文字だからこそ意味が通る言葉なのです。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >王政といえば誰にでも天皇のことだと分かったのです。 分かるように仕向けたからだ、と思っていました。

回答No.2

天皇は「王」です 明治天皇への親書には「日本国王睦仁」とありましたから

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • poomen
  • ベストアンサー率34% (784/2278)
回答No.1

 王政復古の宣言文について、内容をご存じですか  これだけですよ ・将軍職辞職を勅許。 ・京都守護職・京都所司代の廃止。 ・江戸幕府の廃止。 ・摂政・関白の廃止。 ・新たに総裁・議定・参与の三職をおく  要は権力機構からの徳川家の排除、公家の排除が目的です。で、倒幕派の下級公家および薩摩・長州の下級武士によって権力を握り国家を運営するというだけの内容です。  具体的な政体や統治機構などまだ全然考えてもいないしイメージもない。ただひたすら徳川氏と藤原摂関家の排除を目的としたただの宣言です。尊王攘夷派が唱えたというのも????ですね。  それから「天皇号」についてですが、江戸時代の末期に死後光格天皇という諡号が使われるまでおおよそ700年ほどの間 「天皇号」は様々な古文書や史料には出てきません。使われていなかったんです。  例をあげれば「白河天皇」とは当時読んでいません、「白河院」です。あと白河院を指すときは 帝、禁裏、お上、主上などの言葉しか使いません。○○院を○○天皇と呼ぶようになったのは明治政府が「天皇中心」の政治制度を確立してから、過去に遡って書き換えてしまったんです。    リンク先などを呼んで参考にしてください http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%8E%8B%E6%94%BF%E5%BE%A9%E5%8F%A4 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >王政復古の宣言文について、 >これだけですよ 表向きはそうであっても、本音は別にあるのかな、と思って質問しました。 >具体的な政体や統治機構などまだ全然考えてもいないしイメージもない。 >ただひたすら徳川氏と藤原摂関家の排除を目的としたただの宣言です。 よく分かりました。 「天皇」の称号については、隋の煬帝に出した国書に「東の天皇、敬みて西の皇帝に白す、云々」とあったと思います。 「皇」の文字は、中国の皇帝だけを表す文字でしたが、この国書で日本の王は「天皇」であり、隋と対等である立場をはっきりと表明したと私は理解していました。 また、「皇国」という用語も幕末によく使われています。 そこで、『大日本史』を編纂した水戸家の連中がそのようなことを知らないはずはないので、なぜ「王政」と言ったのか、という意味で質問しました。

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