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卑弥呼が亡き後トヨという親族女性が女帝になった理由
中国の魏志倭人伝に、かれているとおり、 また 日本国の三世紀、当時 邪馬台国とよばれていた日本を支配していたと 歴史の教科書にかならずでてくる女帝 卑弥呼「ヒミコ」ですが。 歴史の本にかかれているとおり、卑弥呼は有能な霊視者で 一生 独身で、夫をもたなかった理由は 何ですか? また、男弟と呼ばれる 男衆が、女帝 卑弥呼の政治を補佐し、日本を平和におさめ統治していたが。 女帝 卑弥呼が死んだあと、女帝でなく、 男王を立てたが、日本国中が あらそいで、 おさまらず。 女帝 卑弥呼の血縁のトヨ「台与」という 女帝を国民が王に えらんだ、 理由は何ですか?
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- chiha2525_
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卑弥呼、の呼ですが、これを「コ」と読むようになったのは平安以降と知られているので、卑弥呼をヒミコと読むのは間違いです。では、呼は何と発音されていたかというと、おおよそ「オ」「ヲ」(「フォ」という説もあり)と考えられています。つまりヒミオちゃんです。 名前はともかく、彼女の役割はシャーマン、いわゆる巫女だったことは疑いないでしょう。ヤマト王権のほうでも斎王の逸話などが有名ですが、神聖に処女性を求めるところはあるでしょう。そういえば、坊さんも神父も結婚は基本的に禁止だったでしょうか。 台与に変わった経緯は、もう1つの質問のほうに書かせてもらいました。男王が悪いとか内乱とか、ごもごも言ってるのは全部ウソです。きっとw 『卑弥呼んときゃたんまり御返しが来たのに、男じゃなしのつぶてだよ。魏の皇帝は女好きなんだよきっと。次は台与が王様ってことで使い出すべ。』って感じじゃなかったかと思っておりますw
- fujic-1990
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「女帝」や「国民が王にえらんだ」など、お使いの言葉・表現にいくつか異論がありますが、なぜそれがおかしいかというような事にはあえて触れないこととします。 > 独身で、夫をもたなかった理由は 現代風の人権から考えると問題なのでしょうが、現在でも、女性が男性とHをすると、「汚された」「傷物にされた」という表現があります。 当時はもっとそのような考え方が強かったものと思います。 「ひみこ」とは「姫巫女」のことだという説があるくらいですので、神の言葉を伝えるには純潔であることが要求され、また本人もそう思っていたものと思われます。 その結果が、「独身」なのでしょうね。 > 女帝を国民が王にえらんだ、 ベースはやはり、神をおろし、神の声を伝える(伝えられる)のは女性だという考え方でしょうね。 また、各国の指導者は男です。自分と同じ男性が王として指導した場合、自分たちがそうであるように、またその王も自分の国の利益を優先して考えるのではないか、と疑ったという事もあるでしょう。 特に、王が決めたこと(例えば他国との戦争)が失敗すれば、その責任はその王にふりかかります。失政が重なれば、彼に対する不満も高まります。 「神の声が聞けるのは、やっぱり女だよねぇ」ということになったのであろうと思います。
補足
御回答ありがとうございました。 私が読んだ歴史の本は、小和田哲男「おわだてつお」 さん、責任監修で、 この著者のプロフィールは1944年、生まれ、1972年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了、ののちに、静岡大学教育学部教授、文学博士と著者にある、2008年三笠書房出版 日本の歴史がわかる本で、 私が質問した内容は、 すでに、その本に書かれています。 これを義務教育の小学生が 歴史の勉強をしたいというので、 事実確認したいから、聞きました。 大変失礼ですが、あなたは、この文学博士で、教授であられた著者の 小和田哲男さんのような、 研究者として、歴史の教科書の責任監修をしているかたですか?
補足
御回答ありがとうございました。 私が読んだ歴史の本は、小和田哲男「おわだてつお」 さん、責任監修で、 この著者のプロフィールは1944年、生まれ、1972年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了、ののちに、静岡大学教育学部教授、文学博士と著者にある、2008年三笠書房出版 日本の歴史がわかる本で、 私が質問した内容は、 すでに、その本に書かれています。 これを義務教育の小学生が 歴史の勉強をしたいというので、 事実確認したいから、聞きました。 大変失礼ですが、あなたは、この文学博士で、教授であられた著者の 小和田哲男さんのような、 研究者として、歴史の教科書の責任監修をしているかたですか?