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日本史とフランス革命。
日本史の中で、フランス革命のような市民革命みたいなものは聞いたことがありません。 (明治維新は革命という説と革命ではないという説がありますが・・・) そこで疑問が二つあるのですが、まず一つ目。 ・天皇と国王の違いとは何でしょうか? ・歴代天皇がフランスの国王に国民によって処刑された例はないのでしょうか? 二つの目の質問は、天皇と国王を類似したものと前提としています。 また、家臣や政敵などによる暗殺は除きます。 どうぞ、よろしくお願いします。
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革命というものが民衆蜂起が条件と考えるならば日本では革命という歴史はありません。 少なくとも歴史上このような思想、理念は日本には存在しませんでした。 継体天皇の場合も天皇家での権力争いに過ぎません。 明治維新にしても民衆の力は利用されただけで、民衆側に世直しの希望は存在しましたが国主の形態を変える程の決意も熱意もありませんでした。 これは天皇が政治的に無力であった時代が長く、神事を司る存在にすぎなかったという記憶が国民の常識となっていたからだと思います。 この為天皇が国民の憎悪の対象とならなかったので天皇を死刑にすることはなくせいぜい流刑くらいしか歴史上の例がありません。 しかもそれは時の権力者が行ったもので国民とは無関係です。 このようなことは日本の特殊事情がからんでおり、外国の場合と比較できるものではありません。
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- harepanda
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ヨーロッパ圏とアジア圏には同じような言葉づかいがあって、王というのは普通の王様のことであり、皇とか天皇とか皇帝とかいう言葉を使うと、王の中の王で、普通の王よりもランクがひとつ上のものなのです。 ヨーロッパ的には、フランスには王はいましたが皇はいませんでした。ヨーロッパにおける皇とは、ローマ帝国の皇帝のみを指す言葉で、それ以外の国の代表である世襲君主は王であったり、それよりも格下の公や伯だったりします。(ヨーロッパには今でも公国がありますよ)。皇の肩書きは西ローマ帝国滅亡とともに、西ヨーロッパではいったん死に絶えます(東ローマでは生き続けます)。が、その後、西ローマ帝国の皇帝の肩書きは、伝統的にドイツ諸国家間で受け継がれるようになるのですが、要は選帝侯と呼ばれるそれぞれの家系の間で皇帝の肩書きの取り合いをするのです。結局、ドイツは分裂状態が続き、「神聖ローマ帝国(実質はドイツ諸国家の雑多なあつまり)」という国は、最終的に、ナポレオンに解体されます。 東アジアの場合ですが、各国に王がいて、東アジア社会の中心である中国の世襲家系のみが、本来の皇であり、それ以外の周辺国の代表者は皇ではなく、王です。ただ、日本は例外的に、大王(おおきみ)という言葉から天皇という言葉に切り替えを行いましたので、現在では数少ない皇の肩書き持った世襲君主となっています。明治時代の始めに、日本が朝鮮にも開国をしてはどうかという書簡を送ったときに、「朝鮮が皇と認めるのは中国の皇だけだ。日本人が天皇を名乗るのはおかしい」といって開国を拒否したということもありました。 2番目の質問の意味がよく分からないのですが、日本でもフランス革命のように天皇が市民により処刑された例はないのか、という質問であれば、多分、ないです。古代史の古~い話を引っ張ってくればあるのかもしれませんが、そんな時代のこと、誰もわかりません。ただひとつ明確に言えることがあって、「万世一系」という言葉は虚構である可能性が高いとうことです。少なくとも、継体天皇の時に、家系が入れ替わっている可能性が大です。継体天皇は「国体を継ぐ」天皇という意味で、そのものずばり、権力の簒奪者の意味です。一応、皇族の親戚だと名乗って軍隊を率いて、それ以前の皇族を追い落としたようです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 質問の間違いの部分については、No,1の方のお礼の部分に記載させて頂きました;済みません; 皇帝や天皇は王様より上なんですね。初めて知りました。 ヨーロッパにはもっと皇帝がいそうな感じがしましたが、そうではなかったのですね。 アジアではやはり、中国が権力を持っていたようですね。 二番目の質問はそうです!天皇が国民によって処刑された・・・という意味なのです。 答えはないのですね。古代史は色々あやふやそうですしね・・・ その時代なら、家系が入れ替わっていてもおかしくなさそうです。
- caesar-x2
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簡単に言って、日本の歴史に似た歴史が他の国にないように フランスの歴史に似た歴史も他の国にありません。 それぞれ独自性がある。 だからAみたいなものがBでもあるだろうという考え自体が間違い。 詳しく見れば見るほど相違点が見つかるのは当然のことで、 大雑把にみれば何だって同じになる。 要するに比較は余り意味を持ちません。 天皇と国王の違い、というもの問題がある。 というのは天皇が日本の皇室のみをさしている固有のものであるに対して 国王というのがさまざまな国、さまざまな政治体制でありえるものであり、 比較できません。 普遍的な国王という制度・地位はありません。 どの国かあるいはどの時代の国王かを限定しないと比較すら不可能であり、 また最初に言ったように違いがあるのは当然。 個別の案件であり、日本における状況を他の国の状況に当てはめられないのは明白。 天皇と他国の国王の違いとは、制度的違いを論じることは出来ますが、 この場合、あなたは歴史展開を問題にしているので、 それは天皇や国王の問題ではなく日本の歴史がそう動いたということの 結果でしかなく、制度的問題ではないのはないので、そこから答えがでるはずもありません。 「歴代天皇がフランスの国王に国民によって処刑された例はないのでしょうか?」 ???意味不明ですが、 歴代天皇がフランスの国王”のよう”にかな? 答えは「ない」の一言で終わりです。ほかに付け足すこともありません。 革命が起こったこともない。 ちなみに明治維新を革命かそうでないかというのは、 革命をどう定義するかで変わる問題であり、革命という概念も 必ずしも一様ではないのであって、明治維新に全く異なる本質があるわけではありません。 要するに評価基準が違っているので、表現が違うというだけ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 まず、質問の間違いについて・・・ 「歴代天皇がフランスの国王に国民によって処刑された例はないのでしょうか?」 ↓本当はこうです; 「歴代天皇がフランスの国王のように国民によって処刑された例はないのでしょうか?」 ・・・の間違いです;済みませんでした; そうですね。同じ歴史を持つ国なんてありませんね。 それに、革命をどう定義するかでも見方が変わってきますね。 勉強になりました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 革命を民衆蜂起として捉えるなら、日本には革命はなかったのですね。 やはり、何を定義づけするかで変わってくると。 明治維新で民衆が立ち上がらなかったのがずっと不思議でした。 もう国民も天皇に権力がないことを知っていたのですね。 だから、憎悪も沸かない・・・なるほど。 流刑のほかに暗殺も時の権力者によるものですよね。