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哲学書(『全体性と無限』)の読み方について
今レヴィナスの『全体性と無限』を読んでいるものです。 先日知人にそれの英語訳を頂き、英語訳と日本語訳2つを見比べて読もうとしたのですが なかなかうまくいきません。 本自体の難解さもあるとは思うのですが、一文一文を交互に見比べるという作業にも問題があるように想います。 そこで質問なのですが、難解な書物を原書や英語訳と日本語訳同時に読み進める場合、 みなさんはどのようにしていらっしゃいますか? また『全体性と無限』を読む場合現象学の知識は不可欠ですか? お教えいただければ幸いです。
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私の場合は、道元の「正法眼蔵」をいちいち日本語(古語)とその英語と日本語訳をパソコンに書き込んで英語版の誤訳のあら捜しをしようと思っていましたが、遅々として進まず、140歳まで生きなければできないことがわかり、日本語を重点的に読んでいっています。それが終了したら、英語に行くつもりです。そのほうがスピードが速いです。 同じように「資本論」とかカール・ポランニーの「大転換」とかを同じようにやっていましたが、前者は英語から(まだ途中)、後者は日本語訳からやり直しました(まだ途中)。また日本の小説の「金閣寺」や「雪国」なども英語と日本語両方でやっていましたが、日本文学の英訳はやはり見劣りがしてきましたので、やめてしまいました。「雪国」はそれでも英作などには参考になりました。 レヴィナスは興味はあるのですが、まだ日本語訳すら手つかずです。読んでいないものがいうのもおかしいと思いますが、レヴィナスの出発点はフッサール、ハイデッガーですので、現象学的知識は必要だと思いますよ。いずれ生きていたら読んでみたい哲学者です。
お礼
ご回答誠にありがとうございます。 正法眼蔵とは渋いですね。 いつか仏教についても知りたいものです。 やはり一文一文交互に精読していくのは時間がかかるようですね。 確かに日本語で大枠を掴んでから構造のわかりやすい英語で、 という順序の方が頭の入りはよさそうです。 私はまだ大学生でもない若輩で英語だけでも困難なので なおさらそのほうが良いようですね。 ハイデガーは最近木田元氏が講義録を翻訳されているので そちらからになりそうです。 フッサール、ハイデガー、そしてレヴィナスという流れはわかっているのですが、ハイデガーよりもずっとレヴィナスに興味が湧いてしまいいきなり『全体性と無限』を買ってしまいました・・・。 学問である以上興味も大事ですが真摯に向き合いたいものです。