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助詞「が」と「に」の違い。小学4年生のテストで。
- 小学4年生のテスト問題「三つのお願い(ルシール・クリフトン作」からの出題です。友人のビクターが二つ目のお願いで去り、「わたし」は三つ目のお願いで友人(ビクター)が戻ってくるように願う場面です。
- 問題の質問「どんなお願いがかなったのですか」との問いに、うちの子は「ビクターがもどってきてほしい」と記入しましたが、「が」の使用方法が不適切として「に」に訂正され(正答「ビクターにもどってきてほしい」)、10点の配点から2点ひかれていました。
- 先生に聞いたところ、「「が」だと日本語としておかしいですよね」と言われました。私は「が」でも自然に感じられたのですが、「「が」にするとビクターが主語になってしまう」というようなことを言われました。
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#6です。 まだ締め切られていないようなので、もう少し補足させていたいだきたいと思います。 まず、辞書を引くと「が」というのは主体を表わすとか対象を表わすとか書かれていますが、要するに、「主体として特定する」「対象として特定する」という用法なのです。 つまり、主体としてでも、あるいは対象としてでも構いませんが、特定しようとする意図がある場合に「が」を使うわけです。 特定するにはするだけの、つまり、強調するだけの要素が必須でなければならない、という点が重要ですが、そこまでの説明は辞書にはないかもしれません。 何らかのご参考の一助となるように期待しつつ、「が」の特定という用法について私見をもう少し述べさせていただきます。 大事なことは、設問自体が、 「どんなお願いがかなったのですか」という文であるということです。 当然ですが、答えは【○○というお願い(がかなった)】という内容でなければなりません。 #6でも申し上げたように、 「ビクターが戻ってきてほしい」という表現の場合、 「(戻ってきて欲しいのは)ビクターだ」というニュアンスになります。 そうすると、 【「(戻ってきて欲しいのは)ビクターだ」というお願い(がかなった)】 という意味になりますよね。 しかし、「わたし」の願いは、「戻ってきて欲しいのはビクター」ではなく、「ビクター(という人間)が戻ってくること」のはずです。 似ていますが意図は微妙に異なります。 前者の願望の対象は「戻ってきてほしい人物」であるのに対し、 後者の願望の対象は「人物が戻ってきてほしいこと」です。 これを一緒くたにしてはいけません。 若干異なるシチュエーションですが、「が」の特定用法についてご理解いただくために、もうひとつ例をあげさせてください。 本当に喉が渇いているとき、人は「ジュースを飲みたい」とか、「お茶を飲みたい」とか思わないでしょう。 砂漠で一週間ほど放浪した人間は、間違いなく、「水が飲みたい」と言うのではないかと思います。 「水を飲みたい」と言っても同じ意味になるわけですが、「が」を使うことによって、「飲みたいのは水だ」ということを特定的に、つまり強調的に表現できるわけです。 おいしい味の付いている液体とか、そういうことはどうでもよくて、ともかく純粋な水分としての水で喉を潤したい、という生物としての自然な欲求がそこに表現されています。 「水を飲みたい」と言う場合には、「飲みたいと希望する、その対象は水である」といったニュアンスで、言ってみれば冷静な願望表現です。 「水を飲む」ということに関する願望ひとつとっても、「が」を使うかどうかで、これだけの違いがあるわけです。 砂漠を放浪した人間にとっては、「水が」でなければなりません。 しかし、大して好きではないコーヒーを勧められたような場合に言うのは、「水を」のはずです。 どうしても水でなくてはならない、という切迫感が前者のほうに大である、とい点にご留意ください。 「ビクターがもどってきてほしい」という表現には、もどってくるのがビクターであってほしい、という暗黙のニュアンスが込められていることになります。 これが違和感を醸成させる最大の要点かもしれません。 しかし、もどってくるのが誰か、ということが「わたし」の胸中に去来しているわけではありません。 「ビクターにもどってきてほしい」という表現の場合は、ともかく「もどってくる、という事態」に対する願望が優先されていることになります。 「ビクターがもどってきてほしい」というのは、あくまで、「お願いそのもの」です。 ですから、 「どんなお願いをしたのですか?」であれば、この解答でも良いと思います。 あとは、単にレナの心情に関する解釈の問題になり、文法的な問題は発生しません。 しかし、 「どんなお願いがかなったのですか」という質問である以上、 【○○というお願い(がかなった)】という形でなければ整合性がとれなくなります。 繰り返しになりますが、 「ビクターがもどってきてほしい」というのは、あくまで「お願いそのもの」であって、「お願いの内容説明」ではないという点が大事です。 「水が飲みたい」というのは「お願いそのもの」です。 「どんなお願いをしたのですか?」であれば、「水が飲みたい」でよいでしょう。 しかし、水を飲むことができた段階で、 「どんなお願いがかなったのですか」と尋ねられたら、「水を飲みたい(という願いがかないました)」のように表現(説明)するのが適切なわけです。 2点減点というのは妥当なところではないか、という気がしますが、お子さんの解答が全く間違いというわけではないのです。 ただ、これを正答とするためには、 『「ビクターがもどってきてほしい」という願い』 のように直接話法として表現する必要があると思います。 これなら、その先生も減点はできなかったはずです。 とはいえ、 「どんなお願いがかなったのですか」に対して、 「ビクターがもどってきてほしい」というのは間違いだと解釈するのが妥当であるということは確かでしょう。(設問の仕方が妥当であるか否かは、この際、別の問題です。それが妥当であるか否かということと、日本語表現そのものに対する解釈が妥当であるか否かということは全く別の問題ですのでご注意ください) このあたりの微妙な差異を肌で感じてもらうには、やはり名作と呼ばれる作品に親しんでもらうようにするのが近道ではないかという気がします。 年齢を問わず、日本語が乱れる傾向にありますが、言葉というものは、その表現の微妙な差異によって世界情勢すら変化させるほどの力を持っています。 お子さんのためにも、視野を広げる方向でご一考いただくほうがよろしいかと存じます。 専門家ではないため、一貫した回答内容にはなっていないかもしれません。 腑に落ちない点に関しては、ご遠慮なく補足なさってみてください。 その内容次第では、新たな視点でのご説明が可能かもしれません。 可能な範囲でお答えさせていただきたいと思います。 また、他の方からの新しいご見解も期待できることでしょう。 なかなか難しい問題であるのはたしかだろうと思います。
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- hakobulu
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#11です。 申し訳ありません。 ちょっと訂正です。 × 「いい友だちがいなくなって、さびしいよ。ビクターがもどってきてくれないかな。」 と言ったとすれば違和感の残る表現になるはずです。 ○ 「いい友だちがいなくなって、さびしいよ。ビクターがもどってきてくれないかな。」 と言ったとすれば「もどってきてほしい」という願望自体が弱まった表現になるはずです。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#9さんのご指摘を受けまして、再度おじゃまいたします。 端的に申し上げると、 >「が」でも「に」でもかまわない : ということは決してありません。 #7さんもお示しになっている下記サイトから要所を抜粋しつつ、その違いを再度検証してみましょう。 http://www16.ocn.ne.jp/~ondoku/gr4mitunoonegai.html (1)一番目のお願い事 「寒さ、なんとかならないかな。」 (1)願い事の結果は 「ほんのじょうだんだったのに、ひょいとお日様が顔を出した。」 (2)二番目のお願い事 「あんたみたいな人、ここにいてほしくないよ。」 (2)の願い事の結果は 「ビクターは、コートをつかんで、表へかけ出した。」 (3)三番目のお願い事 「いい友だちがいなくなって、さびしいよ。もどってきてくれない かな。」 (3)の願い事の結果は 「ビクターがにこにこしながら、すごいいきおいで(レナのところ へ)走ってきた。」 ------------------------------- この(3)で、レナが、仮に 「いい友だちがいなくなって、さびしいよ。ビクターがもどってきてくれないかな。」 と言ったとすれば違和感の残る表現になるはずです。 「もどってくる」ということに関する事柄(願望)を強く述べるためには、焦点を他に移動させてはいけないわけです。 「が」は特定用法なので非常に目立つのです。 適切に使うと効果的ですが、誤って使うと本来表現しようとしたものとは別の意図になってしまいます。 「もどってきてくれないかな」がレナの願いだったので、 「どんなお願いがかなったのですか」という問いに対しては、 「もどってきてほしい、というお願い」ということになります。 「もどってきてほしい」の目的語として「ビクターに」という名前が補足的に付加され、 「ビクターにもどってきてほしい、というお願い」が正答になる、という構図。 #9さんがおっしゃるように、「というお願い」という部分は省略しても許容範囲でしょう。 ただ、 「ビクターがもどってきてほしい」というのは、【お願いの表現そのもの】なので、省略したという意図が通じにくくなるのだと思います。 「どんなお願いがかなったのか」という質問に対するダイレクト性がない、とでも申しましょうか。 先生が言っていたという主語云々も、おそらくそういったことに関連しているのではないでしょうか。 たしかに、意味は通じるのですが、だから良いのだと判断してしまうのは好ましくないように思います。 微妙な意図の差異を理解することは重要です。 前回も述べましたが、 「どんなお願いをしたのですか?」であれば、この解答でも良いと思います。 「何をお願いをしたのですか?」という質問ですから、 「ビクターがもどってきてほしい(と願いました)」のような表現は自然だからです。 しかし、これは、「したお願いはなんですか?」という質問とは意図が異なる、という点に留意することが大事です。 「あなたは何を言いたいのですか?」と 「あなたの言いたいことは何ですか?」の意図が異なるのと同様だと思います。 前者は「何が言いたいのか」をたずねており、後者は「言いたいことは何か」をたずねています。 どこが違うのだと思われるかもしれませんが、たとえば、戦場で銃弾に当たった瀕死の戦友がかすかに口を動かしているのを抱き起こしながら、「言いたいことはなんだ?」と聞く人は稀だろうと思います。(状況によってはあり得ますが) ほとんどの場合、「何が言いたいのだ?」と聞くはずです。 微妙ですが、この意図の差は大きいと言えるでしょう。 「どんなお願いがかなったのですか」の場合は、 「かなったお願いは何ですか?」という質問です。 「どんなお願いをしたのですか?」の場合の、 「何をお願いをしたのですか?」という質問とは異なります。 前者は、「○○(という内容のお願いです)」という形で答える必要があり、 後者は、「○○(と言ってお願いしました)」という形で答える必要があります。
お礼
ありがとうございました。 大変参考になりました。
- OKAT
- ベストアンサー率38% (247/639)
No.9です。参照した番号が一つずつずれていました。失礼しました。 No.7→No,8 No.6→No.7
お礼
了解いたしました。
- OKAT
- ベストアンサー率38% (247/639)
No.7の方の論理の展開は見事ですが、ちょっと腑に落ちない点があるので、書込みをします。 「どんなお願いがかなったかなったのですか」という設問について言えば、「かなった」の部分は(「かなわなかった」のではないという点での)共通認識ですから、問うているのはそのお願いの内容です。No.6の方がおっしゃるように、「が」でも「に」でもかまわないでしょう。 例えば、神社に参りをして後、「どんなお願いをしましたか」と聞かれたとき、「結婚できるようにというお願いです」あるいはもっと端的に「結婚のこと」答えるのがむしろ普通でしょう。従って前記の設問には、「ビクターが戻ってくるように、というお願い」と答えるのが正答でしょう。まあ、この解答ででなくてももっと幅広く評価すべきと思います。 だいたい、小学校では中学校のように専門教科を教えるのでなく、ほとんどの教科を教えるわけで、おそらく「指導の手引き」のようなものを持っており、場合によっては「テスト問題の例」なども持っていると思います。(先生方、バラシてすみません) かつて「漢字の筆順」に関して、「筆順の手引き」が配布されていて、その手引きを作成した人物が「先生方があまりにも忠実に、この手引きによって教えすぎた結果、あまりにも窮屈なものになってしまった」と発言されていました。(だから、筆順なんかどうでもいいと言ってるわけではありません)
お礼
ご回答ありがとうございました。 四年生には難しい議論に発展しましたが(汗)、皆様が意見を出し合ってくださって、わざわざ先生に(軽くですが)問うてしまった自分も、間違いではなかったかなと思っております。
- kine-ore
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>「どんなお願いがかなったのですか」との問いに、 この設問は、やや分かりにくい言い回しなのではないでしょうか。 このような言い方なら、普通は「お願いが<どうかなったか>」と表すでしょう。さもなければ「第3のお願いは<どんなものだったか>」とでもすれば、生徒たちへのいたずらな誤解の誘発はなかったでしょうに…。 1)もし「(お願いが)かなった」という結果を問うていると感じる生徒であれば、三つ目の願い事の結果(結末)は「ビクターがにこにこしながら、すごいいきおいで(レナのところへ)走ってきた。」のですから、「ビクターがもどってきたこと」と記したくなるでしょう。 2)「かなった」うんうんは単なる付け足しで、ただ「どんなお願い」なのかという三つ目の願い事の内容を問うているのであれば、それは「いい友だちがいなくなって、さびしいよ。もどってきてくれない かな。」ですから、「ビクターよ、もどってきてくれ。」であり、「ビクターにもどってきてほしい。」や「ビクターがもどってきてほしい。」と記すでしょう。 参考:「三つのお願い」の音読授業をデザインする」 http://www16.ocn.ne.jp/~ondoku/gr4mitunoonegai.html http://www.saga-ed.jp/kenkyu/kenkyu_chousa/h23/01%20sho_kokugo/documents/mittu_bansyo_3.pdf >「が」の使用方法が不適切として「に」に訂正され、 1)の願いの結末でなく、2)の願いの内容の場合でも「に」に比べて「が」の使用が劣るという、とくに「「が」だと日本語としておかしいですよね」との説明にはいささか疑問があります。 この設問が「三つ目のお願いは何ですか」であるとすれば、それは「いい友だちがいなくなって、さびしいよ。もどってきてくれない かな。」ですね。 もちろん「「が」だと日本語としておかしいですよね」とはやや不用意な発言だと思われます。 次のように、それぞれの生徒の個性としての感じ方の異なり具合、受け止め方の違いによって、いろいろな表し方があることを心得ているならば、「に」のみに10点満点を与えるやり方が適切とは決して思えません。 強いて言えば「ビクターよ、もどってきてくれ」のほうが、「に」よりもより相応しいのではないかと感じますし、「が」では2点減点となるべきだとも思えません。 むしろ原題の「Three Wishes」からして、「wish 何かを手に入れようとする、あるいは達成しようと望む心」(「ランダムハウス英和大辞典」小学館)なのだから、三つ目の願いとは、これこそ誰かに願い頼みねだるといった依存・依頼心からではなく、ゼノビアの内なる「心からの自発的な望み」なのだという点こそが、この音読授業の「キモ」なのではないでしょうか。 1.自分の心の中に向かって<念じる形で>望んだ。 「(ビクター、君がいなくなってさみしいよ。)ビクターよ、もどってきてくれ。」 ビクター<よ>、もどってきてくれと心底から望んだ。 2.(ビクター向けの)<呼び掛け>でのお願い ビクターのほうに向って、ビクター<に>もどってきてくれと、(呼びかけの形で)願った(頼んだ)。 3.第三者に向けての<祈願の形での>お願い(おねだり) (神様、コイン様)、どうかビクター<が>もどってきてくれるようお計らいください。 (神様、コイン様)、どうかビクター<へ>もどってきてくれるようお伝えください。 (神様、コイン様)、どうかビクター<に>もどってきてくれるようお伝えください。 参考:「光村図書4年(下)の物語教材「三つのお願い」の発問」 http://www.geocities.jp/bzbzbzkoji/4nen/mittunoonegai.html
お礼
ご回答ありがとうございました。 先生のおっしゃる「日本語としておかしい」というのはちょっと言いすぎと思っていたわたしの心に寄り添っていただいてうれしく思います。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#2です。 >「(ほかの誰でもない)ビクター「が」もどってきてほしい」とビクターを特定(強調)するのは、意図にかなっているように思うのですが、いかがでしょうか。 : そうですね。 おっしゃりたいことはよくわかります。 無意識に使い分けている内容を説明するのは、たとえば、関節のひとつひとつの作用を明きらかにしながら歩き方を説明するようなもので、なかなか難しいことであるのは確かだと思います。 「ビクターが戻ってきてほしい」という表現の場合、 「(戻ってきて欲しいのは)ビクターだ」というニュアンスになります。 しかし、「わたし」が本当に言いたいことはそうではないはずです。 では何かというと、それは「戻ってきてほしい」ということです。 「ビクターが」と特定(強調)してしまうと、この「戻ってほしい」の意図は結果的に薄められてしまいます。 他の例で考えてみましょう。 音痴の B さんが、みんなの前でクリスマスソングを歌うことになり、一生懸命練習しています。 そばで聞いていた歌の上手な A さんが大笑いしながらダメだしをするので、B さんは思わず、「そんなに笑うなら A さんが歌ってほしい」と怒りました。 この場合、B さんの最も大事な意図は「 (歌ってほしいのは)A さん」ということなので、「 A さんが」と特定して表現するわけです。 決して「( A さんに)歌ってほしい」ということが最も大事な意図ではない、という点に留意が必要です。 一方、最初から、歌の上手な A さんにぜひ歌ってもらおう、という全員の合意があるような場合には、 「クリスマスソングは A さんに歌ってほしい」などという表現になるはずです。「(A さんに)歌ってほしい」というのが、最も大事な意図になっています。 「(歌ってほしいのは) A さんだ)」という意図ではない点に留意が必要です。 「に」は、「歌ってほしい」という願望の対象を示す格助詞です。 つまり、願望の対象として A さんを「指定」しているとも言えます。 「が」の「特定」の用法との違いが微妙なのでややこしいのですが、まとめると次のようになると思います。 「○○が△△」という場合、 △△の対象として「○○」を非常に強く特定することになる。 非常に強い特定なので、△△の意味する内容は、結果的に薄れてしまう傾向にある。 「ビクターがもどってきてほしい」の場合、 「もどってきてほしい」対象として「ビクター」が強く特定されていることになるが、強く特定するあまり、「もどってきてほしい」という意味が結果的に薄れてしまっている。 それは、「わたし」の意図するところではないはずです。 あくまで、単純な対象指定用法である「に」を使用して、 「ビクターにもどってきてほしい」のようにすると、 「もどってきてほしい」という本来の意図が生かされた表現になります。 ただ、以上は、一素人の感覚として述べています(学問的に正式な根拠が特にあるわけではない、という意味です)ので、その点は悪しからずご了承願います。
お礼
再度言葉を尽くしてのご回答ありがとうございます。 「が」の使用にこだわるあまり、回答がもとめる本来の意図をみうしなっていたように思います。
- kandumetomato
- ベストアンサー率53% (8/15)
私は「が」でいいと思います。 文法的な根拠が無くて申し訳ないのですが、以下のような例文が思い付きます。 (1)明日遠足なので天気が良くなってほしい。 (2)運動会は嫌いなので雨が降ってほしい。 (1)も(2)も「天気に良くなってほしい。」「雨に降ってほしい。」とは言わないと思います。 これは、願う相手が具体的な誰かではなく、状況に対して願っているから、なのではないかと思います。 一方で、下記(3)のように具体的な相手がいる場合は「に」なのではないかと思います。 (3)お父さんにクリスマスプレゼントを買ってほしい。 今回の質問の場合、お願いする相手はよく分かりませんが、おまじないか何かなのだと思います。ビクターに対してお願いしているわけではないので、「が」になるのではないかと思います。 ・「に」の場合。 ビクターに戻ってきてほしい。→戻ってきてほしいと、ビクターにわたしが願う。 (願う相手はビクター。) ・「が」の場合。 ビクターが戻ってきてほしい。→ビクターが戻ってくることを、わたしが願う。 (願う相手は現在の状況。)
お礼
ご回答ありがとうございました。 同じような感覚の方がいて安心しました。
- one_and_only
- ベストアンサー率15% (104/687)
確かに考え始めると悩みますね(汗)。 >「(ほかの誰でもない)ビクター「が」もどってきてほしい」とビクターを特定(強調)するのは、意図にかなっているように思うのですが、いかがでしょうか。 テスト問題に戻って考えてみましょうか。 >「どんな願いがかなったのですか」 ↑この願いが「誰の願いなのか」を考えると、 言うまでもなく「わたしの願い」ですよね。 なので、回答の主語も「わたし」になるはずです。 ということは、回答をフルに書くと 「私『が』ビクター『に』戻ってきてほしいと願っていたこと(思い)」 --になる。 先の回答でも書いたように、日本語は時として「省略」してしまうので、主語の「私が」を省略した形の 「『ビクターに戻ってきてほしい』という願いがかなった」という回答が正解だ --という説明で理解していただけるとうれしいなあ。 >「が」とするならば、「ビクターがわたしのところにもどってきてほしいという願い」と書けばよかったのでしょうか。 それも正解だと思いますが、誤解を恐れずに言っちゃえば「オトナの考え方」だと思います。 小学4年生に、そこまでの書き方(答え方)を求めるのはムリがあるような気がしますよ。
お礼
丁寧なご説明ありがとうございます。 主語から省略せずに書けば、間違えなくてすんだのかもしれませんね。 記述の問題は答えがゆらぐので、教えるのが難しいです。
- princelilac
- ベストアンサー率24% (1618/6634)
「に」が正しいです。 >20代前半の新米先生 この言葉に差別的な、誘導尋問ようなものを感じます。 若くて経験の短い人でも、自分よりも言語感覚が鋭いということではないでしょうか? ただ説明は難しいですね。まずは質問者さん自身で「が」と「に」の差を説明してみてください。 小4の子供に「主語が…」などと説明しようとするのは、骨折り損の草臥れ儲けになると思います。 『このような場合には、このような言葉遣いをする』と、教えるべきだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 「に」が正しいと教えます。 新米先生は余計でした。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
助詞というものは、わたしたちは無意識のうちに使い分けているので、なぜそのように使い分けているのか、と改めて問われると返答に困る場合が往々にしてあります。 結論からいうと、『「が」だと日本語としておかしい』という先生の感覚は間違っていません。 「○○が△△」と言う場合、「が」は△△という動作・状態を「特定」するための助詞として使われていると捉えてよいでしょう。 そして、大事なことは、特定する用法を使うには、それなりの理由が(無意識的にせよ)存在している、ということです。 何かを特定する場合、そのことを強調したいという無意識の意図が働いていることが殆んどです。 たとえば、腹を押さえて唸っている患者に対して、医者は「お腹が痛いですか?」と聞くでしょう。 こうした状況で「お腹は痛いですか?」と聞く医者はまずいないはずです。 お腹を押さえて唸っているのですから、そこ(お腹)を特定して「痛いですか?」と聞くのが自然な表現になるわけです。 「どんなお願いがかなったのですか」に対しては、 「(かなった)願いは何か?」ということを答える必要があります。 答えは、「(ビクターに)もどってきてほしい」という願いです。 「ビクターがもどってきてほしい」でも意味は通じるのですが、正確な答えとは言えません。 なぜかというと、この表現の場合は、 「もどってきてほしいのはビクターだ」と特定(強調)する意図になってしまうからです。 つまり、「(願望としての)もどってきてほしい」という肝心の焦点がかすんでしまうわけです。 「わたし」の願いの焦点は、 【ビクターが】ではなく、 【もどってきてほしい】という点であることが重要です。 「ビクターが / もどってきてほしい」という文を前半後半に分けた場合、どちらか一方だけより口にできないとしたら、どちらをとるか・・・。 こうした視点からつめることもできるでしょう。
お礼
丁寧なご回答ありがとうございます。 >>「もどってきてほしいのはビクターだ」と特定(強調)する意図になってしまうからです。 とありますが、文中で「わたし」は、 あんないい友達は、なかなかいない。 「いい友達がいなくなって、さびしいよ。もどってきてくれないかな。」 と祈ります。 「いい友達にもどってきてほしい」のですが、それは友達なら誰でも良いのではなく、ほかならぬビクターなのです。 「(ほかの誰でもない)ビクター「が」もどってきてほしい」とビクターを特定(強調)するのは、意図にかなっているように思うのですが、いかがでしょうか。 うちの子がそこまでつきつめて考えて答えをだしたとは、とうてい思えませんが・・・。 子どもの点数はどうでもよいのですが、わたし自身が間違った答えに感じられなくて・・・。 まだ、いまいち納得できません・・・。
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お礼
お礼が遅くなりましたが、言葉を尽くしていただいて、感謝しております。 何度も読み返しておりました。 子どもは読書大好きですが(現在「インヘリタンス(下)」を夢中で読んでおります)、自然な言語感覚が身に付くように、「名作」も勧めてみようと思います。