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原初、道というのはどうやってできたのですか?
道の起源にはどんな物語があるのでしょうか?人が大勢歩くことで自然発生的にできたものなのでしょうか?主な道は鉄道のように、権力者が地図をもとに作業員を徴集して造ったのでしょうか?道の成り立ちに関するあれやこれや、何でも、是非教えてください。
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>道の起源にはどんな物語があるのでしょうか? 先ず、道には「官道と私道」があります。 >人が大勢歩くことで自然発生的にできたものなのでしょうか? 縄文・弥生時代は、私道=生活道ですよね。 住居から、山野へ狩へ行く・河川へ漁に行く場合は「通常、同じ道筋を歩く」のです。 当然、土木工事を行ないませんから歩きやすい道筋を歩きますよね。 集落の皆が歩くと、徐々に道が誕生します。 弥生時代になると、他の集落へ行く(物々交換など)道も自然と整備されます。 >主な道は鉄道のように、権力者が地図をもとに作業員を徴集して造ったのでしょうか? 平安初期には、中央集権を進める為に「官道」が造られました。 畿内を基点に、全国の国府に赴任・帰任する国司が移動に使ったり、各地からの税を運ぶのに用いられました。 この官道は、権力者が地図(今の精度は無い)を元にルートを決めました。 労働力も税の一種でしたから、地元民は苦労したのでしようね。 これらの道が、南海道・西海道など「五畿七道」という官道(国道)です。 後は、条里制とか神社仏閣への参道として整備が進みます。 近代では、家康の5海道(東海道 、中山道 、甲州道中、日光道中、奥州道)整備が有名ですよね。 余談ですが・・・。 地方に行けば、○○道とか○○街道という名で旧道が残っています。 国道・県道・市道などの近くで、生活路・農道として(今でも)利用されていますよ。 時間があれば、自転車・バイクで走行するのも楽しいかも? ※旧道幅は、(国府近辺・馬宿近辺を除いて)軽自動車1台分の道幅です。 ※貼付画像は、碓氷峠の中仙道跡の道路です。人が歩いてるので、今でも草木に埋もれていませんよ。
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- Kon1701
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京都御所だったか? 普通に人が通ることのできる場所で小石が敷かれているところで、自転車が通る場所が自然に決まっている、というのがありました。ごく狭い幅ですが、自転車が走りやすいところをみんな通った結果更に走りやすくなったとか・・・。 これも一種の自然発生的な道なのかもしれませんね。
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これですね ↓ http://www.papersky.jp/2010/02/10/kyotogosho/ 素敵ですね。さすが京都(イメージ)!この道、行って味わってみたいな。 ありがとうございました。人が通ることでもっと人らしくなっていく道っていいですね。
1)「東の方に小さなくにがあるそうです。」 「よし、こっそり近くまで道を作れ!一挙に攻め込んでうちのくににしてしまおう」 2)「西の方におおきなくにがあるそうです。」 「そうか、そこまで道を作れ。うちの産品を持ち込んでおおいに交易を進めよう。」 3)「お姫様のお輿入れの道がありません。」 「そうか、この家をぶちこわしてひろい道を作れ。この和箪笥が通れる広さにせえ。」
お礼
こっそり近くまで造って攻め込む道、交易の道、和箪笥を通す道(^^)、権力と思惑と便宜と……古い道には道々に目論みがあって生い立ちがあるのですね。とても興味深いです。ありがとうございました。
- tanuki4u
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※ 鉄道 人間はアップダウンに強いのですが、鉄道というのは高低差をつけると動かなくなります。 なので、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E5%AE%AE%E6%95%AC%E6%AC%A1%E9%83%8E 「中央本線が甲州市で塩山駅方面に向けて北側に湾曲しているのは、1903年(明治36年)の開通時に敬次郎の政治力により、出身地へ線路を通したとの説がある」とありますが、斜度があるために当時の汽車の力を考えると大回りせざるを得なかっただけの話です。 人間はけっこう斜度に強いので、人間用には無理やり真っ直ぐの道を作ったりする。
お礼
整備されていない人の踏み固めただけの獣道、整備された街道、権力者が作ったまっすぐな道、そして平坦な場所を選んでインフラ敷設される鉄道、また造られる最短距離の道。いろいろな道がありますね。。とても面白いです。ありがとうございました!!
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%91%E3%82%82%E3%81%AE%E9%81%93 人間も獣なので、けもの道を他の獣同様に活用。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E3%81%AE%E5%8F%A4%E9%81%93 古代というのは結構 権力でゴリゴリなので、真っ直ぐなんだそうだ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E8%A1%97%E9%81%93 中世になると、地形に応じて(けもの道の発想に近い) 古代の道と中世の道が交わるところ・・・ なんてのを ブラタモリかタモリ倶楽部で国分寺あたりを主題にやっていた。
お礼
古代と中世の資料、面白いです!ありがとうございました。 鎌倉街道の尾根道は、騎馬が並んで2列通れる位の道幅、だったんですね。狭い。 今地上は道だらけですが、昔は道の方が少なかったんでしょうね。。 「道」はさぞ画期的だったことでしょう。 一番最初に草をかき分けて進んだ人のことを考えると気が遠くなります。 ブラタモリの国分寺編、是非見てみたいです。
- Him-hymn
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ユダヤ教の発想です。へブル語で「デレク」という言葉は、「踏みつける」という動詞からできたことばです。草原でも山でも、人が踏みつけて道ができます。これは自然発生的と言えそうですね。 漢字「道」については http://homepage2.nifty.com/mogmog/column-5.htm ↑からの引用です。 2つの説があるようです。なぜ「道」という漢字が「首」からでてきているのか。 1. 古代中国では、自分の領地をへいで取り囲み、そこから外へ抜ける道には敵の首を埋めて、攻め込まれないように「まじない」をしたとする説。 2. 敵から討ち取った生首をちょうちんのようにぶら下げ、「まじない」がわりにして外に通じる道を進んだとする説 以上、ご参考になればと思います。
お礼
自然発生的な道、領有にまつわる容赦ない”道”‥‥。 Him-hymnさんのご回答を参考に、ちょっと調べてみると、、、 http://www.amazon.co.jp/絵で読む漢字のなりたち-金子-都美絵/dp/4811807383/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1354640382&sr=1-1 『古い時代には、他の氏族のいる土地はその氏族の霊や邪霊がいて、災いをもたらすと考えられたので、異族の人の首を手に持ち、その呪力で邪霊を祓い清めて進んだ。その祓い清めて進むことを「導く」といい、祓い清められたところを「道」といい、「みち」の意味に用いる』とありました。道の字に持っていたイメージとはかけ離れていて、、、あまりのことに、目が点です。 いやはや、勉強になりました!有り難うございました!!!
お礼
”道には「官道と私道」があります”。この竹を割ったようなお答え、非常にすっきりしました。そうですよね! 縄文弥生の生活道、平安初期から造られた中央集権のための官道、条理制の道、祈りの道。 そして現在、国土交通省によって造られる経済優先のための道路(?) 余談、旧道ツアー、とっても楽しそうです(ため息がでます)美しいですね(昔の道が好きです)。 素晴らしいとても楽しいご回答をいただきました。誠に有り難うございました。