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古典文学についての質問です。
古典の古文や漢文は、大変な苦労をして文法や語法を研究されて、今、私たちは学んだり楽しんだりできる と教師から教わったのですが、実際どのようにして文法や語法を研究したのでしょうか。 知っている方はなんでもいいので、教えていただけないでしょうか。
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- TANUHACHI
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ご質問にある「文法や語法」は現在の学校教育で行われている文法であり語法です。宣長が明らかにしたものとはいえません。宣長は勝手に古典を解釈しただけに過ぎず、それは彼の価値観に基づく「一つの考察」とも言えます。外来文化(中国の漢文化や漢意・からごころ)よりも「やまとごころ」を優位なものと理解した結論であり過激さすら漂います。 実際に現代の私たちが目にしている「漢文」も原文(返り点やそれを示した文字が施されていない白文)のままでは自然な日本語として読むことが困難であることから、既に奈良時代や平安時代以後に様々な注釈書が作られています。 現在私たちが日常的に使っている「助詞」もその一つで、元々はヲコト点と呼ばれる形で漢文を訓読する際に「補助として漢字の四隅に着けられたもの」が左下から右回りに読んだ時に「て・に・を・は」となることに起因するとも説明されています。 実際に鎌倉時代の文献を見てみますと、墨書された原文に朱でこれらの読み順や読み方が示されていることで、当時の読み方を知る手掛かりともなります。 明治時代の人が江戸時代の作品を読んだ時には、当時生きていた人に話を聴いてそれを手掛かりとした様に、その前の時代に生きていた人から伝え聞いてそれを記して後の世に残していく形で現在に伝わっています。 エジプトのロゼッタ・ストーンが古代エジプトのヒエログリフだけで書かれていたならば、その解読は困難でしたが、そこにギリシア文字が記されていたから、エジプト語とギリシア語の関係を知ることができたことと同じです。 こうした分野は文学よりも書誌学や考証学・国語学などと呼ばれ、歴史学にとっても関連領域とされています。テクストを詳細に検討し校訂を施し、言葉の変化してきた過程の考察を第一義とする分野です。 国文学はどちらかといえば、文学解釈に重点を置くため、内容に対する研究は盛んですが、伝本の種類などはどちらかと言えば日の当たらない領域に属します(もちろん研究はされますが、それでも内容の研究に比べればとの意味です)。 突然にして前の時代に生きていた人が全員死亡してしまったなどのケースはまず希で、何らかの形で何人かは生き残り生活を営んでいたなら、その時代の言葉も残ることになり後世に伝わることとなります。
はじめまして。不勉強故、憶測なのですみません。古来より学者達が古い資料を集めて苦労して検討されたのかもしれませんね。文法を誰がどうやって編み出したのか解りかねますが、先人達が研鑽に研鑽を重ねた苦労の賜物だと思います。因みに古事記・日本書紀、源氏物語などを本居宣長が研究して国文学の地位を高めたそうです。男性の教養の必須として漢文が大事だったそうですが、国文の研究が盛んに行われ大事にされたおかげで私達日本人は日本語を話し書き日本の古典を学んで日本の魂を誇りを守れるんだと思います。以上個人的考えですみません。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、先人たちの苦労の積み重ねで、見事な結晶が出来上がったのですね。 本居宣長さんは偉大な人だったんですね。 国文学を勉強してみようかな。
お礼
長文での回答ありがとうございます。 < ご質問にある「文法や語法」は現在の学校教育で行われている文法であり語法です。宣長が明らかにしたものとはいえません。宣長は勝手に古典を解釈しただけに過ぎず、それは彼の価値観に基づく「一つの考察」とも言えます。外来文化(中国の漢文化や漢意・からごころ)よりも「やまとごころ」を優位なものと理解した結論であり過激さすら漂います。 そうなんですか。ちょっと勉強していきます。 < 実際に現代の私たちが目にしている「漢文」も原文(返り点やそれを示した文字が施されていない白文)のままでは自然な日本語として読むことが困難であることから、既に奈良時代や平安時代以後に様々な注釈書が作られています。 現在私たちが日常的に使っている「助詞」もその一つで、元々はヲコト点と呼ばれる形で漢文を訓読する際に「補助として漢字の四隅に着けられたもの」が左下から右回りに読んだ時に「て・に・を・は」となることに起因するとも説明されています。 その時代にも注釈書がたくさん作られていたんですね。 ヲコト点 は聞いたことあります!聞いただけなんですが。 助詞 のルーツなんて考えたこともなかったです。 言葉の通りに利用されていたんですね。 < 実際に鎌倉時代の文献を見てみますと、墨書された原文に朱でこれらの読み順や読み方が示されていることで、当時の読み方を知る手掛かりともなります。 そうなんだ。一回見てみたいものです。なんという書物なのでしょうか? < 明治時代の人が江戸時代の作品を読んだ時には、当時生きていた人に話を聴いてそれを手掛かりとした様に、その前の時代に生きていた人から伝え聞いてそれを記して後の世に残していく形で現在に伝わっています。 ここです。私が知りたかったのは。質問が下手くそでごめんなさい。 そうやって語り継がれて今に至ることを想像すると、わくわくしますね。 < エジプトのロゼッタ・ストーンが古代エジプトのヒエログリフだけで書かれていたならば、その解読は困難でしたが、そこにギリシア文字が記されていたから、エジプト語とギリシア語の関係を知ることができたことと同じです。 へ~、全然知りませんでした。すごい情報ありがとうございます。 TANUHACHI様は歴史学などにものすごくお詳しいのですね。 私の友達の中にあなたのような方がいると、話が楽しくなりそうです。 貴重なお話、ありがとうございました。