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古典の授業の目的は何ですか?
古典の授業の目的は何ですか? 古典文学に触れる意味はなんとなく推測がつきますが、文法だの句法だの古語だの詰め込んで、古文を読めるように叩き込まれる意味が解りません。 しかも、中高6年じゃ大したこと習わないじゃないですか。 テストで聞かれる内容は、習った範囲で解けるような配慮されまくった注釈まみれの古文漢文の読解。 テストで聞かれるんで文法書片手に暗記などしますが、注釈まみれの古文が読める、というのは必要な技能なんですか? 何処で使うんですか? 全ての高校生に叩き込むほど重要なことですか?
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補足
おっしゃる通り私は国語のテストが大嫌いです。 時間は足りないし答えははっきりしないし、結局実力がないので確実に点を取るにはテクニックで乗り切るしかなく、記述の答えを書きながら情けなくなります。 しかし、国語力がないせいでうまく伝わらないだけで、テストのために授業を受けるのだとは思っていません。 ただ、テストは授業のチェックなのだから、テスト問題は授業の目的を達成できているか問うものであるはずです。 授業の目的を達成した者に良い点が取れるようにテストはできている、はず。 テストのために授業があるわけでなくても、授業の内容を受けてテストが作られるのだから、内容はリンクしていて然るべきです。 英語の授業で先生は、「英語読めるようになれよ。」と言います。 テストで、「英語読めるようになったか?」と聞きます。 英語が読める人は良い点を取ります。 数学の授業で先生は、「微分できるようになれよ。」と言います。 テストで、「微分できるようになったか?」と聞きます。 微分ができる人は良い点を取ります。 古典の授業で先生は、「 。」何か言います。 テストで、「初見の古文を、注釈を活用しながら、文法的・内容的に理解できるようになったか?」と聞きます。 初見の古文を、注釈を活用しながら、文法的・内容的に理解できる人は良い点を取ります。 数学や英語の例に従えば、空欄には「初見の古文を、注釈を活用しながら、内容的・文法的に理解できるようになれよ。」という一文が来るはずです。 しかし、その能力は数学や英語と同列に扱われていながら、数学や英語の求めているものに比べればはるかに実用性が低く、さらにテストでは問われない「心を豊かにし教養を高める」ということの方掲げる目標として言葉が綺麗です。 それでもテストは「注釈はつけてやるから初見の古文を読解しろ。」と言い続けるので、受験生はそれに対応せねばならず、授業はそんな受験生に優しい内容です。 源氏物語は、古典の中の敬語の使い方を学ぶ教材であり、漢詩は、句法と修辞をマスターするための教材である。 テストはそう言っているような問題を出します。 平安貴族の恋模様も、孔子のありがたいお言葉も、全く理解も共感もできなくたって、「修辞と句法と文法と古語」テストで聞かれるのはそれだけです。 国語の先生は、そのテストを解くすべを授業します。 テストと授業の内容が一致するとして、テストの内容が重要ならば、私は何故そんなものが重要なのか解りません。 重要でないなら、なぜ重要でないものを習うのか、理解できません。 テストと授業の内容が何故だか一致しないとして、授業の内容が重要で、テストの内容が重要でないというなら、なぜ重要でもないことをテストするのか解りません。 重要な授業の内容の方をテストにすればいいのに、そうしないで文法事項を問う理由が解りません。 重要でもないテストに、授業が圧迫されているなんて、もっと理解に苦しみます。 学校生活は楽しいですよ。 言うだけ言いましたが、勉強する理由を考える時間より、勉強する時間の方が短いし、ものを考えている時間より、部室で遊んでいる時間の方がずっと長いので・・。 中学生の頃はかしこぶりたくて、「何かを知るって楽しい、数学って美しい☆彡」とか考えてたんですが、高校に入って勉強が嫌いなことに気づきました。 勉強が本当に好きで「将来はK大の理学部に行って研究職に就きたい。」と言っているような人たちを見ていて、「私は勉強が嫌いだな。」と。 世界は広く、私は小さく、できることなんかたかが知れている。と思ったら、そんなことに負けないで宇宙への夢を追っている友人が、とても遠くに見えました。 尊敬するけど、私には無理。めいいっぱい努力する原動力になるほどのドキドキを感じない。 別に他にやりたいことはありますが、それに勉強が実用的な道具として必要なだけで、少なくとも勉強そのものは嫌いです。 「未知の領域へのロマン」みたいなものを、持ってると勝手に思い込んで、勉強を楽しんでいる振りに必死でしたが、よく考えなおしてみたら、全く未知の世界への高揚感など持てていませんでした。 ピーマンをプリンに見立ててなんとか食べる、といった、楽しく取り組む工夫ぐらいしますが、やっぱり勉強嫌いです。 計算するのも応用するのも暗記するのも理解するのも、何も楽しいと思えない。 思う努力はしますが、勉強は嫌いなものとして付き合っていくつもりです。 嫌いなものとうまく付き合っている人は他にもいますから、それでなんとかなるのではないかなあ。と。 将来、勉強は楽しい、と声を大にして言うような人から「バーカ」って思われたりするのは悔しいですが、それぐらいは我慢します。