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日本と新羅の遣唐使の朝貢品の比較。
日本も新羅も遣唐使を派遣していますが、朝貢品はどのような物ですか。 日本と新羅の朝貢品を比較すると、どのようなことが言えますか。 例えば、日本の方が技術が進んでいるとか、あるいは最高級品の中から選んだわけではないので、比較すること自体ナンセンスだとか。 東野治之著『遣唐使船』(朝日選書)には、新羅には唐に誇れる技術や製品があった、と書いてあったと思います。 よろしくお願いします。
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唐と新羅の関係性、そして新羅と日本の関係性という観点から。そして朝貢品というのは朝賀の儀式に参列することに意味がありましたから、朝貢品の比較がただちに文化程度や技術力を示すのに十分だとも思えませんが… とりあえず『延喜式』によれば銀・絁・糸・綿といった品々が送られていたと伝えられます。全国から集まる「調」を使って贈り物にしたんでしょうね。 そして新羅から日本へといった具合で、唐と品目の差はあるのでしょうが、ウイキによれば http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A3%E6%96%B0%E7%BE%85%E4%BD%BF 【移入された文物】 新羅から移入された文物は、前述の金の他にも銀などの金属、高級織物、ラクダ、オウム、クジャクなどの珍しい動物もあった。また、正倉院宝物の鳥毛立女屏風の下張りに使われた『買新羅物解』を根拠に、香料、薬物、顔料、染料、器物、調度なども移入され、そのうち必要品を朝廷が確保した後、余剰品は希望者に払い下げられたとする見解がある だそうです。 その様な中、技術力という観点を考えた場合、朝貢品の種類というより、モノによるんじゃないですか? 例えば技術力の一局面にすぎませんが、海洋民族としての日本という国は、それ相応に造船技術が発展するのでしょう。遣唐使の船は、その構造の詳細は詳らかにされておりませんが、およそ一隻当たり150人前後が乗り込み4隻で出航しているという事で、その規模の外洋船の築造は、当時としても高度な技術が必要でしょう。遣唐使の時代の渤海や新羅といった国々はおよそ100人前後の船で航海していたそうですから、造船技術などには格段の差があったと考えられます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね。造船技術では唐、渤海、新羅より進んでいたと思います。 渡海する必要性こそが造船技術を進歩させたのでしょう。 遣唐使船には、唐の港で船を修理するための舟大工を乗せていたはずです。 日本の技術に自信があったのでしょう。 また、「技術力という観点を考えた場合、朝貢品の種類というより、モノによるんじゃないですか?」とのご見解ですが、そのとおりだと思います。 >『延喜式』によれば銀・絁・糸・綿といった品々が送られていたと伝えられています。 調べてみます。