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元となった天皇が居ないのに何故後○○天皇はいる?

こんばんは ちょっと思ったので 皇統系図を見ても 小松天皇は居ません なのに後小松天皇は南北朝の時代にいますよね? 同じく 後奈良天皇に後水尾天皇や後西天皇など元となった天皇?がいないのに後○○とつく天皇が数名居ます… 他の後がつく天皇はほとんど 元となった天皇がいると思います だとしたら 元がいないのに後をつける意味はなんでしょうか?

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  • spiko14
  • ベストアンサー率21% (237/1099)
回答No.1
azuki-7
質問者

お礼

後水尾と後小松は解り申しましたが…後奈良だけはわかりませんでした

azuki-7
質問者

補足

ありがとうございました 初めて出会えたのでベストアンサーにしました

その他の回答 (4)

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.5

「元となった天皇が居ないのに」というけれど、皇統系図を見ながら、追号を決めたわけじゃないから、何も不思議ではありません。先帝の異名でもあだ名でも芸名でもペンネームでも何でもいいのです。後小松天皇は本人の遺詔によって「後小松院」と追号が贈られた。先帝にあやかりたいという思いがあったのだと思います。azuki-7さんが見ている皇統系図の天皇の名前は現代歴史家が、歴代天皇の追号や諡号をかき集めて勝手につくったものであって、当時の天皇家が保持していた系図での歴代天皇の名称とは必ずしも一致しないものです。当時の時代に呼ばれていた天皇の名前と、現代に一般的に定着している天皇の名前は必ずしも同じじゃないんです。先帝の諡号を直接拝借するのは恐れ多いという考えがあったのかも知れません。そこらへんの感覚はプリティ長嶋みたいな芸名がまかり通る恐れを知らない現代人にはなかなか理解に苦しむところかも知れませんが。私はいつもいうことですが、歴史は現代人の頭のレベルには合わせてくれないものなのです。

azuki-7
質問者

お礼

後世に付けた名前ですね ありがとうございます

回答No.4

第100代 後小松天皇   ⇒第58代光孝天皇を小松帝と別称したことから、後の字を加えたもの。 第104代 後柏原天皇   ⇒第50代桓武天皇の別称柏原帝に、後の字を冠した追号。 第105代 後奈良天皇   ⇒第51代平城天皇の別称奈良院に後の字を冠したもの。 第111代 後西天皇   ⇒第53代淳和天皇が兄の嵯峨天皇から受禅し、     在位10年で嵯峨天皇の皇子・仁明天皇に譲位したという     境遇が似ているという点で、淳和帝の別称が西院帝であったため、     後の字を加えた。     しかし、大正時代に宮内省に設立された「御歴代史実考査委員会」で、     天皇の尊号は「○○院」という追号の「院」の字を省き、     「○○天皇」と呼ぶことに決定したことに伴って、     後西天皇と呼ぶことに決定した。     そのため、大正15年以降は、後西院天皇とは言わないことになった。     西院帝に後の字を冠して後西院帝と呼ぶことは、、     貞享2年2月29日に決定されたという経緯から見ても     「院」の字を取ってはならず、後西院天皇と呼ぶのが正しい     と主張する学者もいる。

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございます そういう事もあるのですね

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.3

後西天皇は西院天皇 (淳和天皇) に由来します. ので, 本来「後西院天皇」とすべきだという話もあったりします... って, これも Wikipedia に書いてある. 後奈良天皇の諡号については, 「平城」が漢風諡号であるとして加後号を避けたのかも.

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございます しかしウィキペディアを見ると ? と思う記述も多々あります 100%は信用できないのかもですね

noname#164139
noname#164139
回答No.2

>追号の「後奈良」は平城天皇の別称奈良帝にちなむ。 添付のwikiの中にありますよ。よく読みましょう。

azuki-7
質問者

お礼

ありました☆ でもややこしいですよね だったら 後平城天皇で良くないですか?