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平安京に住んでいた皇族について

天皇家の系図を調べていて思ったことなのですが、 平安京に天皇家が住んでいた時代は非常に長いですよね。 その間、兄弟や配偶者の多かった天皇も歴代多くいらっしゃり、皇族がどんどん増えて、一部は姓を賜って臣下に下るなどありましたが、それ以外の皇族の方たちは、どのくらいの血統(親族)まで平安京に住むことができたのでしょうか?(それには慣習や決まりがあったのでしょうか?) また、住むことができなかった方たちは、その後どうされたのでしょう。平安京以外にも、皇族が住む場所が当時もあったのでしょうか。 ご存知の方いらっしゃいましたら教えてください。

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  • bisromani
  • ベストアンサー率57% (80/140)
回答No.1

何世か離れたら都を出て行かなければならない、という決まりはなかったと思いますよ。 逆に、公家は原則として都にいなければいけなかったと思います。東京へ名目上は「行幸」 として遷都したとき、京都留守番役を命じられた冷泉家以外の公家は、みんな天皇に従って しぶしぶ東京へ移住したのですから。 江戸時代には、経済的な理由から新たな宮家はほとんど創設されず、宮門跡になることが 多かったようです。つまり、門跡寺といわれる格式の高いお寺に入るわけですね。尼寺もあります。 代々、法親王(出家した親王)が門跡を務めたというお寺がいくつもありますよね。若いうちに 出家すれば、建て前上は子供はいないので、跡継ぎという問題はなかったと思います。 なお、皇室典範を調べてみたところ、嫡出の皇子、嫡出男系の皇孫は、男子なら親王、 女子なら内親王で、三世以降(つまり天皇のひ孫以降)は王・女王の称号になると のことですが(第6条)、何世になったら皇族身分を離れるとは書いてありませんでした。 ただ、11歳以上になれば、本人の希望と皇室会議の承認により、皇族身分を離れる ことができるそうです(11条)。 平安時代は確か四世で臣籍に下ることになっていたと思うのですが・・・ もっと詳しい方、いらっしゃいませんか?

mannma
質問者

お礼

詳しいご解説、ありがとうございます。<(_ _)> なるほど、ご解説をきっかけに、自分でも調べられる範囲を少し調べてみようかと思います。 平安時代の皇族、宮家、摂関家などの血縁につきまして、もしお薦めの資料などございましたらご紹介ください。 引き続き回答を募集させていただきます。

その他の回答 (1)

  • ZRT
  • ベストアンサー率26% (196/730)
回答No.2

一休さんの様にお寺に出されたのでは無いですか(^^)男の子は、女の子は政略結婚で各地の豪族に嫁いだようですね、ちなみに、当時は 都落ち と言って平安京以外に住む事を言っていましたからね!

mannma
質問者

お礼

ありがとうございます。 ということは、世の中に「もとを辿れば皇族」という家系も結構あるということですね。。。(^.^) 当時でも家柄や習慣の違いがもとで夫婦仲がうまくいかなかったり、なんてことも山ほどあったんでしょうねー。

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