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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:縄文時代の集落)

縄文時代の集落の特徴とは?

このQ&Aのポイント
  • 縄文時代の集落について、竪穴住居が隣接しているのではなく、ポツンポツンと離れて建っていた例もあるのか、またその理由は何かについて知りたいです。
  • 縄文時代の集落では、一軒ずつポツンと離れて建つ例もありました。これは、縄文時代の人々が何を考えて離れて暮らしていたのか研究の対象となっています。
  • 縄文時代の集落では、縄文中期以降になると、世帯単位でまとまって暮らしていたという説もありますが、一軒ずつポツンと離れていた例もあるようです。なぜ縄文時代の人々がこのような暮らし方を選んだのか、その理由には何があるのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.3

No.2の続きです。 ●この質問のベストアンサーに疑問をもちました。 ○なるほど、その疑問は正しいです。この回答のうち「近所でも300m程度の距離は想定されます」というのは間違いです。  300m位離れて集落があることはよくありますが、100~200mの範囲に広場を囲んで数軒の住居があるのが一般的です。  30mの間違いか、集落間の距離を誤解したものと思われます。  確かに復元図はデフォルメされているので実際のスケール感とはかなり差がありますので、復元図ほどは近接していませんが、離れていてもせいぜい数十mです。 御所野遺跡 http://www.town.ichinohe.iwate.jp/goshono/mura/mura.html 大船遺跡 http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/minamikayabe/i_oohune_c2.html 上野原遺跡 http://www.jomon-no-mori.jp/uenointr.htm 同時期と考えられる住居跡が復元されていますが、300mも離れてませんよ。

kouki-koureisya
質問者

お礼

解りやすい遺跡の例を提示して下さってありがとうございます。 私もいろいろ検索したのですが、このような解りやすいサイトを見つけることができませんでした。 お手数をお掛けしまして恐縮です。 どの例を見ても300mも離れていないことがよく解りました。 ただ、同じ集落の竪穴住居が隣と300ほど離れている遺跡があるかも知れませんので、しばらく締め切らずにおこうと思います。 遺跡公園として整備する場合は、見学しやすいように、また予算の都合で復元した住居は隣接させることはあるでしょう。 今後はこのようなことも考慮して遺跡を見たいと思います。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (3)

回答No.4

No.3の続きです。 ●同じ集落の竪穴住居が隣と300ほど離れている遺跡があるかも知れませんので ○最初に回答したとおり、よほど特殊な構造の住居であるとか、土器片や石器が接合したということでもない限り「300m離れた場所にある住居」では単に「同一時期にあった住居」という捉え方しかできません。  せめて「同一地形」の中にあることが条件となりますが、縄文時代の集落は丘陵地を選ぶことが多いので300mも同一の地形ということはあまりありません。 ●遺跡公園として整備する場合は、見学しやすいように、また予算の都合で復元した住居は隣接させることはあるでしょう。 ○そういうことはほぼありません。  近年の整備は、「景観の復元」が重要視されていますので「同時期にあったと考えられるものを同じ場所で復元する」ことがほとんどです。  遺跡の整備が目的ではなく一般の公園としての整備の中で住居跡も復元した、ということであればそういうこともあるかもしれません。  いずれにしても現代考古学の手法では「300m離れた場所で発掘された住居」が「同一集落」であったことを証明する術は持ち合わせていません。そもそも年代の指標となる土器ですら数十年の幅を持たさざるを得ませんので、300mも離れた同一形式の土器が出土する2軒の住居が「同時期・同一集落」であることを証明するだけでも大変かと思います。

kouki-koureisya
質問者

お礼

何回も回答して下さってありがとうございます。 よく解りました。  >近年の整備は、「景観の復元」が重要視されていますので「同時期にあったと考えられるものを同じ場所で復元する」ことがほとんどです。 そうですよね。指摘されて気づきました。 北海道上之国勝山遺跡などヘンな復元をしてやり直したケースもあったことを思い出しました。 吉野ケ里遺跡も3階建て建物にクレームがついていますね。 私のような素人の思いつきの質問に親切に答えて下さって本当にありがとうございました。

回答No.2

「1軒1軒が300mほど離れてポツンポツンと建っていた」というものを「集落」の一単位としてとらえられるかどうかは難しいところです。単に「同時期に存在した」というだけにすぎないこともありえます。 また、現在行われている発掘調査は開発に先立つものがほとんどなので発掘調査がかならずしも「集落範囲すべて」とは限りません。1軒しか出土していなくても未調査区域に存在していないとは断言できません。 古代でも1軒だけ孤立して建てられている住居もあるので「生活形態」でそうなっていたことや「山小屋」「猟小屋」「産屋」という「住居ではない」ことも考えられます。 いずれにしても「結論の出ていない問題」かと思います。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 実はこの質問は、9月15日の歴史カテ「この時代の人たちの性的なことについて」に関連した質問です。 この質問のベストアンサーに疑問をもちました。 私は教科書の絵を真に受けていたので、「縄文集落」は、数軒の家が近接しているものだと思っていました。 ところがそうではなく、離れ離れに家があるとすれば、いったいどのような理由なのだろうと思って質問しました。 地方自治体の公式HPには遺跡から推定した「縄文集落の絵」や復元した住居を見つけることができますが、私が見た範囲では、住居は近接しています。 「結論の出ていない問題」かも知れませんが、いろいろ疑問が尽きません。 9月15日の質問。 http://www.mag2qa.com/qa7699048.html

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

下記は先史時代の居住形態です。     https://www.google.com/search?q=prehistoric+dwellings&hl=en&client=firefox-a&hs=Lx7&rls=org.mozilla:en-US:official&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=YsVXUJ-HO8v3igKqo4DYDQ&ved=0CCAQsAQ&biw=1580&bih=880     多重住宅になっているのはアメリカのコロラド、ニューメキシコ、アリゾナなどに見られる、アナサジ文化などの遺跡ですが、岩壁にそった地形で、場所の余裕が無かった場合で、他は、ご覧のように一戸建てが個人住宅の基本のようです。     おそらく現在の都会における我々のような密度の高い集落は不必要で、ごく最近まで離れた一戸建てが普通だったと思われます。プライバシーの面からもある程度の距離を置くのは当然でしょう。     経済形態が農業になると定住し住居も大きくなりますが、移動の多い狩猟、または牧畜経済ですと、大きな住居は持ち運びに不便ですから、簡便なものが使われたと思います。     アメリカ先住民の中でもアナサジは早くから農業に従事したのではないかと考えられ、それと定住性、多重住宅、が関連するのではないかと思います。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 アメリカの先史時代の例ですね。 農耕を始めると定住するようになって、それまでの「一戸建て」から「多重住宅」に変わった、ということですね。 そして、一戸建てでは、「プライバシーの面からもある程度の距離を置くのは当然でしょう」ということで、 日本の縄文時代にもこの考え方はあてはまるのではないか。 なるほど、と思います。