- 締切済み
城郭の枡形の構造
江戸時代に造られた城郭の枡形はおもに ・外からみて堀の橋を渡ったところの手前の門は小さな門(高麗門、冠木門) ・枡形の奥の門は大きな門(櫓門)です。城郭の解説書でも虎口の最終形とか最も厳重などと書かれています。 http://www.viva-edo.com/e_masugata.html http://www.hat.hi-ho.ne.jp/moch/castle/castle_klg03.htm http://www.geocities.jp/akitasaisei/sonota/matimoto/siro/10syasin.html これだと外側からみたときに小さい門が見え、櫓門は枡形で折れ曲がっているので妻側が見えるので、景観は今一つです。 http://blog.goo.ne.jp/luckyhillson/e/df40078f4e5e4264880420d92ef94b17 城にもいろんな形式があり、 ・堀の橋を渡ったところに大きな門(櫓門) がある城もあります。 水戸城、土浦城、佐倉城、新発田城です。 http://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/sonohoka/kyoudo/inbanuma/sakurajou.html http://www.city.shibata.niigata.jp/html/index02/shibatajo/rekisi/rekisi7.htm http://japancastle.net/tsuchiurajo/tsuchiurajo4.php http://san-san.on.arena.ne.jp/san-san/CCP004.html 景観なら、手前が櫓門のほうが見栄えがいいです。 http://www.mapple.net/photos/H0000174636.htm これらの城の虎口はどうなっていたのでしょうか。櫓門の奥が枡形になって奥が小さな門だったのでしょうか。防御力は弱いのでしょうか。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
みんなの回答
- black-40
- ベストアンサー率12% (4/33)
どうも枡形の機能をあまり理解していないようなのだが・・・。 枡形には外枡形と内枡形があるが、どちらも枡形内を高麗門などの外門と、 櫓門などの内門で形成し、門以外の部分を石垣・土塁・堀などで締め切った もので、枡形内に進入した敵を櫓門及び周囲の石垣などから攻撃できるよう にしたもの。 要は枡形内に進入できる敵の数を限定した上で、枡形内の狭い空間で行動を 制限して袋叩きにする二つの意味合いがあるので、外門を厳重な櫓門にし、 内門を突破が容易な高麗門にすることは、枡形の意味が無いことになる。 もう一つ、枡形の内門と外門は多くは直角に配置。または平行であっても 位置がずらされているが、これは折れを強制することによって敵の直進 させないことと、大砲などによって直撃されないための工夫でもある。 従って、この点でも外門を櫓門にすることはそもそも意味がない。 ちなみに件の 水戸城 / 書籍により確認 佐倉城 http://ameblo.jp/hiibon33/image-11336906348-12168068457.html 土浦城 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Ibaragi/Tsuchiura/Photo/Nawabarizu.jpg 新発田城 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Hokuriku/Niigata/Shibata/Photo/Zu1.jpg の各城も大手門はいずれも枡形を形成してるようである。 ただし新発田城の大手門は、どちらかというと角馬出に近い形をしており、櫓門の外側に 左右二つの高麗門があったようである。 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Hokuriku/Niigata/Shibata/index.htm