ヨーロッパの城郭都市と日本の城郭都市、奴隷
ネットをググってみると、次のような内容が記された記事がいくつかあります。
a,ヨーロッパでは戦争に負けると人民は奴隷になった。
市街地にまで城壁がめぐらされているのはそのためである。
b.日本の戦国時代は戦争に負けると城主は殺されても、下級の兵士や百姓が奴隷にされることはなかった。
そのため日本は城壁が市街地にまでめぐらされていない。
しかし、ウィキペディアにはこう書いてあります。
(1)城郭都市(じょうかくとし)とは、城壁で周囲を囲み堅固に防御した都市を指す 。土塁、堀なども防御施設として用いられる。
(2)戦国時代になり、城が戦国大名の領国経営における支配中枢拠点としての重要性を増してくると、小田原城などに見られるように城下町の周囲に自然の河川や堀、土塁を配した「総構え」という外郭構造が取られる城郭が現れた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E9%83%AD%E9%83%BD%E5%B8%82 より引用
(3)戦国時代後期の都市の多くには惣構と呼ばれる都市全体を囲む防壁があった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%9C%9F%E5%B1%85 より引用
(4)総構え(そうがまえ)は、城や砦の外郭(がいかく)、またはその囲まれた内部のこと。特に、城のほか城下町一帯も含めて外周を堀や石垣、土塁で囲い込んだ、日本の城郭構造をいう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%9C%9F%E5%B1%85 より引用
これらを読むと、bの 「日本の城の城壁が市街地にめぐらされていない」という部分は間違いではないかと思えます。城壁がない場合でも堀があり、堀は城壁同様の防御機能を持っていたのではないでしょうか。
すると「日本の戦国時代は戦争に負けると城主は殺されても、下級の兵士や百姓が奴隷にされることはなかった。」という部分も疑わしく思えてきます。
質問
(い)日本の城の城壁は市街地にまでめぐらされていなかったといえるでしょうか。
(ろ)日本では敗戦した側の兵士や百姓が奴隷にされたケースは皆無だったのでしょうか。
(は)中世ヨーロッパで戦争に敗れた側の兵士や百姓、市民が奴隷にされたケースはあったのでしょうか。
(に)ヨーロッパの城郭都市が攻撃を受けて破壊されたケースはありますか。
具体的な地名や戦の名前、文献名をあげて教えていただきたく思います。