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武家の官位、布衣、諸大夫について・・・。
こんばんは。 武家の官位に布衣と諸大夫があります。 これは理解出来るのです。 それが布衣役、諸大夫役となると官職になります。 Wikで調べてもみたのですが、今一判然としません。 例えば、これを会社に置き換えるとどのようなものなのか? 御教示いただければと思います。
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武家のランクは、「官位」と「家格」「禄高」「役職」の4つで、総合的につけられていました。 ぜんぶ密接に絡んでいましたが、外様大名の禄高は高いが役職には就けないというのは有名ですよね。 例えば、阿部正弘は 官位・・・ 従四位の侍従 家格・・・ 譜代大名 禄高・・・ 11万石 役職・・・ 老中 で、武家の官位は、朝廷の「位階+官職」です。実際に官職の仕事はしませんが。 おっしゃる「布衣」の官位は「六位相当」ですが、武家には6位以下の叙任がないので、式典のときに「布衣」を着るのでそう呼んだだけで、正式な「武家の官位」ではありません。 新井白石の思いで話、折たく柴の記下では「その官五位の諸大夫に過ぎず」と書かれています。 ゆえに、武家の官位に「五位の諸大夫」はアリです。 くどいですが、武家の官位は「位階+官職」ですが、布衣役、諸大夫役という「官職」はありません。 武家の役職には、将軍、大老(臨時)から足軽・中間(家格と見れないこともない)までありますが、布衣役、諸大夫役という「役職」もありません。 ひょっとしたら、質問者さんは「布衣の人が就く役職(複数)」「諸大夫の人が就く役職(複数)」というような意味でお使いかなとも思いましたが、どうなんですかね? 会社で言うのは難しいですが、軍隊で言うと、布衣の人が就けるのは下級士官(尉官)、諸大夫の人が就けるのは、上級士官(佐官)というところでしょうか。
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- fumkum
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徳川幕府の職制も多岐にわたりますが、現代の会社に置き換えると、布衣役は課長級、諸大夫役は部長級に相当すると思います。取締役が若年寄・京都所司代・大阪城代あたり、代表取締役が老中、側用人・御側御用取次が取締役秘書室長程度と思います。ただし、以上はおおよその傾向で、個人や時代により力関係は変化します。 さて、本題に戻って幕府の役職には大きく分けて大名が就く大名役といわれる職と、旗本が就く旗本役といわれる職に分かれます(御家人層が就く御家人役というべき役職群もあります)。この旗本役の内、最も格の高い役職が諸大夫役で、位が従五位下で小大名並みでした。諸大夫役より格が落ちるのが布衣役で六位相当ですが、いずれも旗本役中でも数が少なく、顕職であり高級官職とも呼ぶべき存在でした。また、御側御用取次などのように旗本が就任しながらも大名に累進しやすい職や、大番頭や大目付のように初期には大名が就任し、その後旗本役になった職もあります。 諸大夫役に就任する場合、従五位下に叙位され、相当の律令官職に任官し、河内守などを名乗ります。布衣役の場合、布衣の着用を許され、6位に任官したものとみなされました。諸大夫役とはその役職に就任すると諸大夫に任官される役職群であり、布衣役も同じです。 幕府の組織図でいえば、将軍に直接つながる大老・老中・若年寄・寺社奉行・奏者番などは大名役ですが、老中・若年寄の直接支配(直属の部下)はほとんど旗本役であり、おおよそ老中支配は諸大夫役が多く、若年寄支配は布衣役が多い傾向にありました。ただ、若年寄支配でも将軍に近侍する小姓頭取・中奥小姓・小納戸頭取などと、軍事組織の花形である小姓組番と書院番(合わせて両番といいます)の長である番頭は諸大夫役です。 詳しくは下のページで確認してください。 幕府主要役職リスト http://www.interq.or.jp/jazz/rhinoda/edo/bakufu1.html 江戸幕府役職辞典 http://homepage1.nifty.com/kitabatake/edojob.html# 布衣 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E8%A1%A3 以上、参考まで。
お礼
おはようございます。 会社に例えてとても分かりやすいお答えです。 出典リストも教えていただき参考にさせていただきます。 お忙しい中、本当に有難うございました。 お二人がベスト・アンサーと思います。 残念なことにお一人にしか差し上げられません・・・。 2度にわたって、お答えをいただいたfujicー1990さんいと思います。 お許しください。 本当に有難うございました。
- fujic-1990
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補足を拝見しました。 中学か高校の歴史授業で、八代将軍吉宗の事績として、目安箱とともに「足高の制」を習ったと思いますが、あの制度が必要だったことからも分かる通り、江戸時代の役職は官位ではなくて、おおむね「禄高」で決まっていました。 「あの仕事(例えば江戸町奉行)をさせるには官位が低いので、官位を上げてあげよう」という発想にはならず、「その仕事をする間、禄を足して、その仕事ができるようにしてやろう」という発想になったわけですから。 ですから、厳密に言うと、「布衣向きの役職」「諸大夫向きの役職」というのがあるわけではなくて、「禄高500石の家向き役職」「禄高2000石の家向き役職」というのがあった、ということになります。 で、ご希望ですので、結果として布衣や諸大夫の人が就いた役職のうち、手元の資料にはっきりと諸大夫、布衣と書いてあるものを転記してみます。 大番頭 5000石 諸大夫 大目付 5000石 諸大夫 江戸町奉行 3000石 諸大夫 勘定奉行 3000石 諸大夫 作事奉行 2000石 諸大夫 普請奉行 2000石 諸大夫 京都町奉行 1500石 諸大夫 禁裏附 1000石 諸大夫 大坂定番 3000俵 諸大夫 小姓頭取 300~1000石 諸大夫 (小姓 2年で 500石 諸大夫) 御納戸頭取 1500石 諸大夫 勘定吟味役 500石 布衣 諸国代官 さまざま 布衣 小普請支配 3000石 布衣 旗奉行 2000石 布衣 鎗奉行 2000石 布衣 百人組頭 3000石 布衣 持弓頭 1500石 布衣 持筒頭 1500石 布衣 鉄砲方 300俵 布衣 目付 1000石 布衣 写し間違いがないとは言えないので、出典を書いておきますと、稲垣史生著の時代考証事典です。 > ではこれを徳川初期に置き換えるとどうなりましょう? ご主旨がよく分かりませんが、江戸幕府は、徳川家発祥の地というか、松平家だったころの家の職制をそのまま幕政に持ってきたということですので、多少対応禄高が変わっているかもしれませんが、レアケースだろうと思います。 例えば、武鑑には、家康が京都で儀式に参列していて、盛装のまま小便をしたくなった場合に小便用の竹筒を差し出す役とその仕事に就いている(作法を伝える)家の名が連綿として幕末まで載っていたそうです。 それほど制度を変えなかったのだそうです。 したがって、江戸初期に「置き換える」までもなく、そのままだろうと思います。
お礼
再度のお答えをいただき、恐縮しております。 実に良く分かりました。 併せて出典も教えていただき、感謝いたしております。 お忙しい中での回答・・・本当に有難うございました。 とても参考になりました。
お礼
有難うございました。
補足
おはようございます。 どうも私の質問のしかたがまずかったようです。 おっしゃるとおりです。 布衣の人が就く役職、及び諸太夫の人が就く役職・・・。 それを教えていただけたらと思いました。 成程、軍隊は頷けます。 ではこれを徳川初期に置き換えるとどうなりましょう?