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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:代官山の都市空間形成の歴史について(12軒道路))

代官山の歴史と都市空間形成

このQ&Aのポイント
  • 代官山の都市空間形成の歴史について調査中です。旧山手通り沿いには12軒の旧武家屋敷があり、それが12軒道路として知られています。具体的な対象や範囲については不明です。
  • 江戸から終戦までの代官山地域の空間・都市地域形成にも興味があります。武家屋敷が市街地に与えた影響や、他の土地の利用と発展について知りたいです。
  • 代官山の歴史や都市空間形成について詳しい情報を求めています。特に旧山手通り沿いの12軒道路についての具体的な情報が必要です。また、江戸時代から現代までの代官山の都市変遷についても知りたいです。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#224207
noname#224207
回答No.1

ご指示されたマップの旧〇〇邸とあるのは明治以降の屋敷です。 武家屋敷云々と言われますと、江戸期ということになるかと思いますが、当時現在の代官山近辺に武家屋敷はありませんでした。 下渋谷村の入会地でした。 江戸期には現在の旧山手通りに相当する街道はありませんでした。 渋谷界隈を通る街道としては現在の宮益坂、道玄坂を通る相模街道か、現在の赤坂見附から三軒茶屋を経て二子玉川へ向かう大山道でした。 宮益阪の上に茶店や酒亭が数軒ありました。 代官山も含め渋谷近辺が開けるのは明治以降のことです。 江戸時代の近隣の情景としては、江戸名所図絵 巻四 天権之部 第十一冊の高田稲荷、毘沙門堂、富士山、神泉、宮池、宝泉寺というタイトルの風景画(情景)があります。 代官山を含め渋谷近辺の土地の特徴と発展経緯については下記のような書籍があります。 地図と愉しむ東京歴史散歩 地形偏 竹内正浩著 中公新書 (第三章 渋谷は地形の見本市)

shoukun3306
質問者

お礼

丁寧にご回答いただきありがとうございます。 武家屋敷のできたタイミングが判然としていませんでしたが、 理解を深めることが出来ました。 ありがとうございました。