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いつかは死ぬのに生きている理由は何ですか?

私は人間が寿命まで生きようとするのは動物的な本能で死ぬことを恐がるためだと思います。 幸せになるために生きていると考えた場合、人間だけにそのような理由が与えられることは不自然だと思います。 なぜならこのように考えると他の生物が生きている理由が分からなくなってしまいます。 いつかは死ぬのに生きている理由は全ての生物が共通である方が自然であると思います。 幸せになるために生きているなどの理由は全て生まれてから付け加えられた理由だと思います。 まとめると人間が生きる意味は本能で死ぬことを恐がるからという理由だけであり、他の理由は本当の生きる理由ではないと私は思います。 この意見についてみなさんはどう思いますか?

みんなの回答

回答No.39

個人的に最もだと思うガイア説という考えがあります。 地球は一つの生命体で、それに住まう私達は地球の体細胞だという考えです。 だとしたら、私達が生きている理由は地球のためです。 (環境破壊をしている人間はむしろガン細胞みたいですが…) ちっぽけな細胞である私達はこんな大きな地球に抗えないのです。 美しい地球を保つ為に生まれ、地球の為に尽くしたら死んでいく。ただそれだけです。 例外として、人間は頭が良いので生きているうちに他のこともできるというわけです。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ガイア説というのは初耳でした。

  • alwen25
  • ベストアンサー率21% (272/1253)
回答No.38

>子孫を残し進化を続けるには 逆にこのようなことをする必要があるかは疑問です。 いつか死ぬなら、寿命前にわざわざ死ぬ必要もありませんし 死ぬために生きているという理由でも良いと思います。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かにいつか死ぬなら今死ぬ理由もありませんね。

noname#194996
noname#194996
回答No.37

NO.36 です。 >日本ではあまり感じませんが、途上国へ行くと生きるために生きている人がたくさんいるように感じます。 それがいきものとしての本来の人間の赤裸々な姿なのでしょう。 人間だって何百万年も他の生き物と競り合いながらそうやってかつかつ生き、種を保存しつづけてきたわけでしょう。 >もしかしたら生きる理由を考えるのは恵まれた環境にいる人の贅沢なのかもしれませんね。 人間がいろいろ知恵を出して助け合って、幸運にも恵まれて、ここ何千年かの間に備蓄して余裕ができて、生きるため以上のある意味無駄な思いをする余暇時間もできるようになったから、哲学が生まれたのだと思います。途上国はむしろ歴史が逆転している感もありますが、不幸なことです。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 とても参考になりました。

noname#194996
noname#194996
回答No.36

人間が生きる意味を求めるのは、なんとなく生きることを正当化したいからでしょう。 生きる意味などない、ということになったら、それこそ自殺する人が今よりも増えて、決して人間を幸せには導かないでしょうし、誰もそういうふうには考えたくないのですが、たぶんそれは真実であり、生きる意味がなくても人間は生きていかねばならないと強く思って生きねばならないのでしょう。 人間に限らず生物は生きる意味などなくても威張って寿命いっぱい生き続けていいのです。人間以外の生物はそうして精いっぱい生きているように思います。 つまり、生物には寿命があり、寿命いっぱい生き続け、寿命が来たら死ぬ自動機械のようなものなのだと私は思います。 この自動機械は繁殖の機能もプログラムされている極めて精巧な機械なのです。 なるべく途中で死なないように、死を回避するプログラムが入っています。 もちろん、その制約の範囲で精いっぱい生きて、いい仕事をし、それを後世に残す。そういうことがその生命に彼ら自身が自己満足する意味を付加して幸せにすることだと思っていいのではないでしょうか。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 日本ではあまり感じませんが、途上国へ行くと生きるために生きている人がたくさんいるように感じます。 もしかしたら生きる理由を考えるのは恵まれた環境にいる人の贅沢なのかもしれませんね。

  • corpus
  • ベストアンサー率12% (25/200)
回答No.35

それでは、いつになっても死なないならば、生きている理由はあるのでしょうか?私は理由を必要としなくなると思います。死ぬことがないのならば、生きるというだけで、生きる以外の選択肢もないわけであり、生きることに理由をつけようとしません。でも、この世界も、そうなのではないでしょうか。あるいは、それに近いのではないでしょうか。生も含めて、基本的にすべて惰性だと私は思っています。今日、生きていた。明日も、きっと生きている。これは「保存」の法則です。この回答欄の文字列が変化しないことを信じるのと同じく、生きているということも変化しないと信じているのです。そして、もし、具体的な生き方に焦点が行かなければ、つまり、明日、旅行しよう、とか、パチンコでぼろ儲けしてやる、とか、そういったことがなければ、自然とそういう生きているということってなんだろうと考えます。そして、そこから宗教が答えを見つけてくれます。でも、生きる理由、それを問いかけるその前に、生きる、ということがどういうことなのかをはっきりさせてはどうでしょうか。私は生きているということ以外のことを、私は知りません。生前のことを考えて、100年前に私はいなかったんだ。恐ろしい。こういうふうには考えません。死などないのです。ですから、いつになっても死なないのです。あるいは、自分の死を確認する自分はいないのです。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 保存の法則で考えれば今生きているから次の瞬間も生きていて、今日生きているから明日も生きていると考えられますね。 そして最終的に寿命まで生きていくのかもしれませんね。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.34

[苦労して経験を積むために生きているとしたら、常に自分にとって厳しい道を選択するのではないでしょうか?しかし人間は楽な方に流れて行ってしまいます。 また死んで経験値を持って帰るという表現もよく分かりません。 mmkyは死んだあとどうなると考えているのですか? もしよろしければ回答お願いします。] ○人間も全ての生き物も肉体生命が死んでも本当は誰も死なないんですね。まあ、舞台劇が終わって裏の楽屋に戻るというのが本当は死ということなんですよ。つまり、誰も彼も不死の世界の住人で、人生という舞台劇でいろんな役を演じているだけということなんです。でもね、人生という役を立派に演じた人は、より高い、より立派な世界に戻れることになっているのです。逆に人生という舞台劇の役で楽な方楽な方を選ぶと、帰れる世界はより低い暗い世界に落ちていくことになっているということなのです。より明るい世界のことを総称して天国と呼びますがほんとうは限りない大きさと高さを持った世界なのですね。逆に暗い世界は地獄と呼ばれますね。小さくて暗いゴミ箱の中のような世界です。 生まれて人生を経験することは、天国という世界の全ての住人が平等な機会を与えられるということなのです。低いものもたかいものもより高い世界を目指してがんばれるのですね。当然元いた世界から落ちる場合もありますね。同じ世界に戻れるかどうかが普通の人の場合ですね。 わずか80年ほどの人生でどちらを選びますかということなのです。古来より高い明るい世界を目指した方は「我に艱難辛苦を与えたまえ。」と願って厳しい人生を望みましたね。 より楽な人生、例えばお金等詐欺や盗みで得ればよい。楽で楽しければいいのだ。という人たち、死ねば何もなくなると思ってやりたい放題した人は今現在、ゴミ箱の中のような世界にいますよ。常識的な悪人だけではないですよ普通の人も総理大臣も裁判官も哲学者もですよ。地位や名誉や財産は一切かんけいないのですね。 より、人のために汗をかいた人ほど明るい世界に戻ってますね。 また、ゴミ箱の中からは二度と人間で生まれることはできないのですね。人間で生まれるには少なくとも天国に分類される世界の住人でなければいけないのですね。 というのが本当のところですね。生まれるというのは生まれる前がどうであれ、平等にチャンスが与えられたということですね。人生をどう生きるかで返る世界が違うということですね。これが事実だとすると、あなたはどう生きますか。ということですね。

nikkooo
質問者

お礼

非常に理解しやすい回答ありがとうございます。 頑張った分だけ報われると思うとなんか嬉しいですね。

回答No.33

 ★(No.19お礼欄) ~~~  別に生きたいと思ってない人が生き続けている理由は何なんでしょうか?  そしてbragelonneは人間だけが特別だと考えているのですか?  ~~~~~~~~~~~~  ☆ 《人間だけが特別だ》というよりは 人間はほかの動物とちがうと見ています。  ほかの動物は わたしの答えとしての《生きたいから生きる》ということを思わないからです。  思う・思わないとは別の本能の世界に生きています。  ★ 別に生きたいと思ってない人が生き続けている理由は何なんでしょうか?  ☆ 《生きたいから》でしょう。  あるいは そういう思いや心つもりが ほんとうに ないというのなら 《生きないということをしないから》でしょう。  つまり 大きくは《生きたいから》に入りましょう。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 日本ではあまり感じませんが、新興国などへ行くと人々は生きるために生きているって感じがします。 だから生きたいから生きるというのも一つの理由だと思います。

回答No.32

回答が多いので被ると思いますが、 寿命まで生きようとしている人だけではないですよね。 なにかあると死んじゃいたいみたいな人もいるわけで。 動物だってレミングスみたいに何故か 全員水に飛び込んでみたり。 なので(じゃないかも)いつかは死ぬのに 何故生きるの?ではなく、 生きている物はいつか死ぬです。 これなら生き物全てに適用できます。 生きている理由は分かりませんが、 生き続けている理由で最も多いと 思われるのは、子孫を残す事ですが、 結構子孫を残すとすぐ死んじゃう動物も 多いですし、単純な物は自分のコピーを 作るという増え方をします。 まあ、遺伝子といえばそうなんでしょうが、 謎だらけです。 本題の人が生きる理由は様々ですよ。 もちろん、死にたくないというのはありますが、 生きているのか死んでいるのか分からないという 意見もたぶんにあります。 人間は複雑すぎて、その辺が非常に 分かりづらいと思いますが、 本当の理由ってのは、誰も知らないと 思います。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 回答を見るうちにそれぞれの人がそれぞれの生きる理由を持っていていいと思うようになりました。

noname#155689
noname#155689
回答No.31

外部から無理矢理生命活動を停止させない限り、我々は遺伝子のプログラムに従って成長し、遺伝子のプログラムに従って衰退します。 > いつかは死ぬのに生きている理由は何ですか? このように理由を求めてしまうのも、遺伝子のプログラムによって脳の左半球にそのような機能が発生するからです。 > 幸せになるために生きているなどの理由は全て生まれてから付け加えられた理由だと思います。 全ての理由は、理由を求めるという機能によって後からつくりだされるものです。「動物的な本能で死ぬことを恐がるためだと思います」という理由も、理由を求めるというあなたの脳の機能がつくりだしたものです。そして、その機能が衰退するまで、あなたの脳は理由をつくり続けます。 > 他の理由は本当の生きる理由ではないと私は思います。 つくりだされた理由どれも、その時のその人にとっては本当です。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 生物が遺伝子のプログラムに従って生きているとすれば、本能によってのみ生きているとも捉えられませんか? もしよろしければ意見を教えてください。

回答No.30

ご質問の意味がいまひとつはっきりつかめないのですが、少し述べてみます。 「死ぬことが怖い」から「生きている」とするならば、 「死ぬことが怖くない」なら「生きるのをやめる=死ぬ?」ということになり、ちょっと違うかなあと思われます。 また、「死ぬのが怖い」というのが「生きる理由」だとしても、その場合、 「死ぬのがなぜ怖いのか」という問題が残り、その問いに「生きていたいから」と答えたら、一種の循環論法になる惧れがあるのではないでしょうか。 ここで、開業間近のスカイツリーを想像してください。人生は、あのてっぺんからまっ逆さまに落下しているようなものだと。 死はすぐそこまで迫っています。 その落下中、迫りくる地面を目の前に「生きる意味とは何か」を問うでしょうか。 この問いは「生きている者」にとって「遅すぎる」というか、「生きることに対し、どこか頓珍漢な感じ」がします。 あるいは、江戸前の芸人・談志師匠なら、この問いが「絶妙のギャグ」になるコンテクストを案出したかもしれません。 「生きる理由」の答は、何を基準として考えればいいのでしょうか。 いいかえれば「説得される」基準の相が見えない問いとでもいいましょうか。 あなたはなぜ歩いているの? 「学校へいくため」 あなたはなぜ食べるの?   「太りたいから」 行為が何かの途中なら、その行為について「理由」を答えることができます。 「生きる」は「何かの途中」とは言い切れない分、どうしても答が曖昧になります。 「中学校では何がしたいの?」 「高校では何がしたいの?」 「結婚したら何がしたいの?」 「引退したら、80歳になったら、85歳になったら、……」 こうした問いには何かの答が可能です。 「生きているうちに何がしたいの?」 にもたぶん可能です。 「生きる理由は?」 は何を問う問いなのか、 そこにむずかしさがあるようです。 参考になれば。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 行為の途中なら理由を答えることが可能であるという部分がとても参考になりました。 人間は日々死という行為に向かっていますが、死ぬために生きているわけではないので非常に理由を考えるのは難しいですね。

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