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いつかは死ぬのに生きている理由は何ですか?

私は人間が寿命まで生きようとするのは動物的な本能で死ぬことを恐がるためだと思います。 幸せになるために生きていると考えた場合、人間だけにそのような理由が与えられることは不自然だと思います。 なぜならこのように考えると他の生物が生きている理由が分からなくなってしまいます。 いつかは死ぬのに生きている理由は全ての生物が共通である方が自然であると思います。 幸せになるために生きているなどの理由は全て生まれてから付け加えられた理由だと思います。 まとめると人間が生きる意味は本能で死ぬことを恐がるからという理由だけであり、他の理由は本当の生きる理由ではないと私は思います。 この意見についてみなさんはどう思いますか?

みんなの回答

noname#187573
noname#187573
回答No.9

早く来て欲しいですが近いうちにハルマゲドンが起きて善人は生き残るそうです。 そして楽園になるそうです。そして善人は永遠の命を授かるそうです。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • eco_yan55
  • ベストアンサー率27% (6/22)
回答No.8

質問者さんの考えは理路整然としてるようにもとれますが、読んでいて「そっか、なるほど」と言う気がせず、気持ちが沈んでしまいます。なぜか悲しくなります。 説明は出来ないけどそれはやっぱりどこか少し違うからなような気がします。 本能的に、与えらた命を大切にするようにできてるから…かな?

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そして暗い気持ちにさせて申し訳ございません。 死を恐れるから生きると考えるよりも命を大切にするから生きると考えた方が温かい気持ちになりますね!

  • cleodc
  • ベストアンサー率30% (53/175)
回答No.7

人間が生きようとするのは、他の生物と同様生存本能に基づくものです。 それ以外にはあり得ません。 ですから人間を含め全ての生物が生きる意味は共通です。 幸せになるためだの、死が恐いだの、生きる意味だのは、全て後付けの理屈です。 死を回避しようとするのは、自らの種を残そうとする本能によるもので、死を恐れるからではありません。 質問者さんの言う「死への恐怖」というのは、「潜在的」であって「本能的」ではありません。 生きていく中で後天的に刷り込まれ、意識の奥底に沈んでいるものです。 幼い子どもには死を恐れる気持ちは有りません。死に際して有るのは苦痛であって、恐怖ではありません。死への恐怖が本能的なものではないからです。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 死を回避しようとするのは種を残すためという考え方に納得しました。 人間の3大欲求に生きることと関係ない性欲が入ってるのもそのような理由からだと考えると面白いですね。

noname#173608
noname#173608
回答No.6

本能で死ぬ事を怖がっているわけではありません。 動物も人間も、本能で生きる為に食べるか飲むかするので、結果的に生きているだけです。 生きている理由となると、「食べるために生きている」または、飲むために生きている」です。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 結果的に生きているという考え方は私にとって新鮮でした。 ただ動物が自分よりも強い動物と遭遇した場合、死を恐れて本能的に逃げると思います。人間も死に直面した時、できるだけ生きようとすると思います。 だから食べるために生きているとは言えないような気がします。 もしよろしければ意見を聞かせて頂けるとありがたいです。

回答No.5

人が生きているのに理由はありません。 人生に目的も意味もありません。 世の中には、答えのない問題、正解のない 課題などはいっぱいあるんです。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私も生きている理由などないと考えている時期もありました。 しかし多くの人が死を選択せずに生きようとしています。理由が無ければ死を選択する人がもっと多くいると思います。 だから私は人間が生きる理由は死を恐がる本能からだと思うようになりました。 これについて意見を聞かせて頂けると嬉しいです。

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2313/7949)
回答No.4

どう思いますか?という回答には、 太古の昔より論じられていて決着しない議論なのに、未だに納得しないのは、包容力のない偏狭だと思います。 私にとって、きのこの山とたけのこの里論争と変わりません。 宮崎駿が風の谷のナウシカの原作でこう描いています。 >墓の主 >「お前は危険な闇だ。生命は光だ!!」 >ナウシカ >「ちがう。いのちは闇の中のまたたく光だ!!」 >「すべては闇から生まれ闇に帰る。お前たちも闇に帰るが良い!!」 >墓の主 >「お前は悪魔として記憶されることになるぞ。希望の光を破壊した張本人として!!」 光は闇の中でしか輝かないし、光が強いほど影は濃くなる。 理由や意味は常に後付けです。両方、ただ在るのです。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自分なりに生きる意味について深く考えたくて質問させて頂きました。 産まれた後に死ぬことも選択できる中で生きることを選ぶ理由はどう考えていますか? 私はその理由が動物的な本能だと考えています。 あと私も宮崎駿が好きです!

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.3

楽しいと「死」の選択肢は生まれませんね。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 それは間違いありませんね。 ただ楽しいから生きていると考えてしまうと、つまらない人生を送っている人は死を選択してしまいます。しかしつまらない人生を送っている人でも生きている人はたくさんいると思います。だから本質的な理由にはならないと思います。 決してtoshipeeさんの意見を否定したい訳ではなく、もっと意見を聞きたいだけなので反論をお許し下さい。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.2

理由付けより先にまず生まれているからではダメですか?「だって産まれちゃったんだもん」が本音では。だから、後付で理由を探しているヒトは大変だと思います。

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに産まれたから生きているって人は多いと思います。 産まれた後に死ぬことも選択できる中で生きることを選ぶ理由はどう考えていますか? 私はその理由が動物的な本能だと考えています。

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.1

生きてないと 死ねないからです\(^^;)...マァマァ

nikkooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに生きてないと死ねないですね。 しかしその考えでは死ぬために生きることになってしまうのでは?

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