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人間の本能とは何か
- 人間の役割は種の保存・管理にあると思いますが、人間はその役割を本能としてません。
- 人間はあらゆる想像性を活かしたクリエイティブな種の管理に従事しています。
- 人間の本質はどこにあるのか、皆さんの意見をお待ちしています。
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質問者が選んだベストアンサー
面白い質問を沢山されているので、こちらにも意見しようと思いました。 文字制限で書ききれなくなりそうなため、細かい意見や反論は省きます。 質問を簡潔にすると 「人間は地球最強で暇だ。弱い動物の世話をしないと」 という考えに聞こえます。(説明のためなので暴言失礼しました。) 新しい考え「種の管理が本能」とするなら、もう少し裏付けのような考察が欲しいです。 1、 生き物は知能が高いほど遊びます。例えばイルカのように。 最高の知能を持っている人間が遊ばないで何をすればいいのでしょう。 知能が低い生き物達が必死になって働いたり、子孫を残すことによって人間は生きています。 人間は地球上で最大の受益者ではないでしょうか。 もし、人間が遊ばずに種の管理で働いてばかりいたら、何のために地球が存在するのでしょう。 地球自身と生物を長生きさせるためだけに存在するのか。 地球と太陽が自然崩壊するその日まで。 生物と仲良く「地球号」をするのも良いと思いますが、 「地球が存在する意味は」と考えるとどうでしょうか? 私の勝手な考えですが、人が今を楽しむために存在すると考えます。 私は宗教は信じませんが、言うなれば地球では人が神です。 生物を苦労して方舟に乗せても、何万年か延命出来ますがいつかは死にます。 せっかく生物達から自由と利益を貰っているのに(人は君主でもあります) その奴隷の生物達に良い顔するために働いてしまったら、 「地球上の生物は全員、地球を延命するための単純労働者」 になってしまいます。(これが真理かもしれませんが・・・) 2、人はどこから来て、どこへ行くのか 地球に何も居なくなれば、勝手に再生され緑豊かな地球に戻ります。 (科学的には同じ地球になるとは限らないですが、考えとして。) そこには人間も今の動植物もいません。 新しい生命の新しい住処となります。 そういう考えをすれば、人間の役割・本能はむしろ「地球と種の破壊」ではないでしょうか? そう考えると人間は本能通りに行動してきた。 例えば種の保管をしないというのも本能。環境破壊も本能。 それを今さら本能とは違う環境保護や生物多様性を守る。 本能と外れるどころか、中途半端に地球を破壊しただけで無責任です。 極論的な考え方なので分かりやすく言うと「地球は老朽化したボロ家」です。 改修工事より建て替えたほうがしっかりしたのが出来ます。 回収しても何万年かすれば人間なんて居なくなりますから、地球保護を言うなら早いうちが良いです。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 追記: 自然や生物を破壊するのは心が痛みます。 その代償として人間には特権として「遊ぶこと」が許されているのかもしれません。 読み返して気づいたのですが・・・ 地球を再生するために種を破壊、その後に全滅することが本能だとすると、 まさしく「地球を延命するための単純労働者」ですね。 こういう考えも出来ますというレベルの回答ですが、water-さんの考察の参考になれば嬉しいです。 ちなみに私は地球環境や生物は大切にする者ですので、心ない人の反論は勘弁です。
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- eye3
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前の回答の追加です。 自分の意見に必死で「種の管理・生態系の維持」について意見していませんでした。 すみませんでした。 今の生態系がベストではありませんし、百年前の生態系がベターでも無いと思います。 生物多様性などと言うなら、恐竜を生き返らせろという話になるのではないでしょうか。 (あくまで考え方として言っているだけで、生物多様性に関しては専門教育も受けました) 「生物多様性を守ろう」 と言っているのは外面は地球保護であったり、生物保護です。 しかし、結局は人間の生活に深く関わっているから。 くじらの捕鯨やイルカの捕獲にうるさい世の中になりましたが、 確かにくじらやイルカが居なくなると、生活に影響しますし個人的には寂しいとも感じます。 それならマラリアを持っている蚊を絶滅させようというのはどうか? というと、別に絶滅すればいいのでは。という意見が出ます。 生物多様性は自然のためでもありませんし、地球のためでもありません。 人間のためです。 人間のために種の保存をするため、それも本能かもしれません。 もう一度書いておきますが、私は自然好き生き物好きの者です。
お礼
人間のために種の保存をすること。 これが本能だとしたら人間はやはり最高に利己的な人間ですね。。 人間はなんて罪深い存在なんでしょう。 懺悔したくなる気持ちが少しはわかった気がしますが、崇められてる神すら元人間ならもう何が何やらわかりません。 eye3さん、長々とお付き合い頂き大変ありがとうございました。 言わば人間の暇さから生まれた質問なんで、すぐにでも明日に生かせるとかそんな知識でもないですが、昨日より毎日を大事に生きようと思えました。 ありがとうございました。
種の管理ってなんでしょうか? 滅んだ方が良い種も、滅んだら困る種も、人間の尺度でしか定められないと思います。 人殺しの毒虫も、花からみたら花粉を運んでくれるお友達だったりしますし・・ なので、種をもてあそぶ、と言ったほうが僕はしっくり来ます。 あと、本質は猿だと思います。猿の仲間なので。 それか、もてあそぶ が本質かと思います。 生きるのに必要以上の知恵がついてしまって、もてあまして、世界のいじりかた(都合よく環境を変える)を覚えて、知恵のはけ口として世界をもてあそぶ というイメージです。 けどそれは僕が有る程度裕福な国にくらす、額に汗しないタイプの人間だからそう思うのかもしれないですね・・ 今もどこかで一生懸命はたらいてるわけですし。遠くの国の奴隷の子供とか・・。 あと少し反発したいんですが、生存以外に時間の多くを費やせるのは、仕事を他のだれかに任せてるからですよ、絶対。 偉いサルが偉くない猿に木の実を育てさせて、とりあげて食べる。 これのスケールが地球範囲まで広がったのが、近代からの国際社会じゃないでしょうか。 僕たちに普段見えないだけで、生きるだけで精一杯のひとなんていくらでもいて、むしろそちらが人の本質だと僕は思います。 ※いま思いつきで書きました。
お礼
確かに、種の管理より生態系の維持という方が適切ですね。 種を弄ぶのが人間の本質だとしたら、他の生物は神を恨みたくなるでしょうね。私は人間がより有意義な存在であると思いたいです。 あと暇と言うのは、時間ではなく精神の暇さ、言い換えれば心の余裕です。人間は他の生物と違い心に余裕があります。ですから生存本能だけには追われない理由をうかがっているつもりです。
お礼
素晴らしいご意見感謝します。この応答こそQ&Aサイトの醍醐味ですね。 よく考えたら、私の種の管理なんて考えは所詮人間の尺度でしかないので不完全ですね。 人は神で他は奴隷。圧倒的思想ですね。我々は自然に日々を過ごしてますが、改めて口に出すと恐ろしいほど圧倒的思想です。 「地球と種の破壊」 言われてみるとぴったりな表現ですね。 迎合するわけではないですが、いずれも理論として矛盾はなく、むしろ全体を通じて読むことによって筋道というか流れすら感じます。 まとめると、人間は「地球の延命と破壊を司る快楽者」というのが最適でしょうか。矛盾をはらんだ存在だからこそ悩み苦しむのかもしれません。 そして神なら働く意義も生きる意味も各々で見出だすのがベストなのかもしれません。 本当に人間は異常に自由な存在ですね。 ただ心が痛む代償が、遊びではないと思います。私は他人が死のうとどっかの国でオゾン層に穴が空こうが心は痛みません。他の動物は同族を慈しみそうですが、人間は違います。少なくとも私は見知らぬ他者の死を悼みません。