• 締切済み

平等

こんばんは 人が経験することについて、それは別に、「人それぞれ」でいいわけです、と思います。 では、「平等」とは、どういうことになるでしょうか。 (豪州流) 「出来る限り、(本人の意思を尊重するのは勿論、した上で)誰でもが「同じこと」を経験出来るように、「配慮」する」

みんなの回答

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.16

No.15です。 流れとしては、質問者様が知りえた(自他含め)経験に対して 先輩が「人非人」と言われたとします。 その経験が、公序良俗に反しない限り「人それぞれ」ですよね。 その場合は、先輩には公平性がなく、人権蹂躙だと思います。 その経験者が、公序良俗に反していても 人権を無視した発言、それ自体が公序良俗に反している。 人を否定・非難・批判は、言うことを避けた方がいいです。 言った方が否定・非難・批判をあびることになる。 人は、だれしも何をもってして平等と言うかを考えた方がいいのでしょうね。 自分を考え直すいい機会になりました。 ありがとうございました(^^)

kurinal
質問者

お礼

kanto-i様、ご回答ありがとうございます。 先学は大変だと思います。 しかし「人非人」といった表現は、前世紀限りということにしておきたいです。 >「人は、だれしも「何をもってして平等と言うか」を考えた方がいい」 「多数決」は「万能」ではなく、 「「多数決」によっても、してはならないことがある」ということを、連想致しました。 ありがとうございます。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.15

>「出来る限り、(本人の意思を尊重するのは勿論、した上で)誰でもが「同じこと」を経験出来るように、「配慮」する」 これは人を平等に扱うさまを表現してありますよね。 平等を調べてみました。 [名・形動]かたよりや差別がなく、みな等しいこと。また、そのさま だそうです。 つまりは、平等とは「何に対して、どのような事柄で」という条件がつくと思います。 質問者様の出されたのは「人の扱いに対して」という条件内での平等だと思います。 ですから、ある一定の条件の中でのみ平等は存在します。 それは状況とか条件から見た全体に対する表現です。 経験の「人それぞれ」は個人の選択や条件の差異が出ます。 つまり個人としての立場から考えた表現です。 二つは、視点が異なるところから出発していますので 最初から土俵に上げるには無理があるものだと思います。

kurinal
質問者

補足

kanto-i様、ご回答ありがとうございます。 >「質問者様の出されたのは「人の扱いに対して」という条件内での平等だと思います。」 仰る通りです。 私共の先輩(たち)が口にしていたという「人非(ニンピ)人」というのは、いかがなものか、と思いますね。 >「経験の「人それぞれ」は個人の選択や条件の差異が出ます。つまり個人としての立場から考えた表現です。」 これも、仰る通りと思います。 ・・・ゆえに、平等ということを考え、というのは、「差異が出ます」から、か。

回答No.14

#13です。 経済力を一例にとりましたが、経済力以外の能力でも同様の不平等が起きています。 知能が高い親に育てられる子供は、知能が低い親に育てられるよりも、圧倒的な確率で知能が高い人間に育ちます。 この格差は人間固有のもので、ライオンの親子を観察しても、これほどの不平等は観察できないと思うのですが、いかがでしょうか? つまり、人間こそがあらゆる生物の中で最も不平等な存在であると考えられるのです。

kurinal
質問者

お礼

Mokuzo100nenn様、ありがとうございます。 「知能が高い」だけが人間ではないと存じます。 70億近い個体数があって、外見的には俗に「世界に3人ソックリさんが居る」などとも言われますが、人種、民族、文化、嗜好、性格、等等を考えると、個体数の通りの「固有の」存在があると言えるのではないでしょうか。 それは、「多様性」というふうにも捉えられると思います。 >「人間こそがあらゆる生物の中で最も不平等な存在であると考えられるのです」 >「人が経験することについて、それは別に、「人それぞれ」でいいわけです」 >「平等であるべきだ、なんて何の根拠もありません」 >「ノーマライゼーションの考え。 その人が「何ができるか」ということにスポットを当て、それを伸ばしていくこと」 >「それぞれが自分の持ち前のチカラをじゅうにぶんに発揮して生きること それが出来るように社会を制度上においても つねに つくりなおして行くことだと見ます」 Mokuzo100nenn様のご回答は、「機会の平等」ということを重視しておられるようです。

回答No.13

人が個体として平等であるためには、親の経済力によって遺産を相続したり、借金を弁済したりすることが無い制度にしなくてはなりません。 ところが、人類社会の多くでは財産や負債の相続・継承が認められているようです。 換言すると現代の人間社会は、平等を求めない人々によって構築されていると考えるべきでしょう。 「平等」とは「現代の人類が求めていないもの」。

kurinal
質問者

お礼

Mokuzo100nenn様、ご回答ありがとうございます。 また、とてもユニークな回答であると思っております。 相続については、現代の日本民法においても、血縁に拠らない相続ということが、十分に有り得ます。 ・・・「血縁関係による借金の弁済」ということについては、どうしてそうなる前に弁護士に相談しなかったの、という感じでしょうか。 そもそも、遺産の相続や借金の弁済ということが平等に反する、とも言い切れないと思います。 そのゆえに、(過分の)相続に関しては、高額の納税ということが付いて回るのではないかと思います。 (また、過分の借金の弁済ということについては、相続の放棄とか) komaas88様とのやりとりでも思ったのですが、 経済学的には?「それぞれが、それぞれの長所を活かし切れば、「プラス」が最大になることによって、総員が(最も)豊かになれる」ということなのかな、と思います。 それなら、「自由で、平等」ということに、ならないでしょうか?

回答No.12

>様々な(文字通り)自由な主張、それ自体が、認められるか認められないかで、大変なことになる、・・・それは、「「平等」が、自由を束縛する」という以上に、「自由」自身が抱える問題と言えるでしょう。  自由の対立概念が平等なんですよね。人間は元来平等でその対立として自由があるのではないんですね。自由な主張が認めないのは、自由な主張をする側ではなく、それによって平等が侵される側です。 >人が経験することについて、それは別に、「人それぞれ」でいいわけです、と思います。  これは、自由についていっているわけです。  平等でなければならないとする裏には常に自由があります。  自由は元来自由であって追認(改めて自由だとする意味で)するか規制するかだけです。わざわざ追認するのは万人が平等に自由だとし、反対解釈で、その自由を侵す者を排除するということですね。規制は、相手側の自由を認めているわけです。

kurinal
質問者

お礼

ukiyotonbo様、ご回答ありがとうございます。 >「規制は、相手側の自由を認めているわけです。」 「大変だ!」・・・って時には、人間、自然に反応する、とか。 ・・・「予期しない」ってのは、子育ての場面で、よくあると思います。 後から、「そんなことだと判っていれば」と痛恨するのも、子育てですよね。 あ、ちょっと待ってください、脱線してしまいました。 「自由」てのは、それだけのパワーがあるということです。

noname#194996
noname#194996
回答No.11

NO.9 です。 >較べるから苦になるのであって、較べなければ、どうということもない」という境地については、どうお考えになりますか。 それは悟りを開いた選良たる人がいう(いえる)ことであって、私を含めてほとんどの凡人がそれを内心つーか無意識のうちに望んでいながら、やっぱり、比べてしまうんですよ(人間の苦のひとつ、飢餓地獄…涙;;;)。それも人間、というよりそれが人間なのです。それを解決しなければ何の哲学もやくたたずです。 >人が経験することについて、それは別に、「人それぞれ」でいいわけです これを万人に押し付けるわけにはいきません。確かにこれは魅力的な思想であり、幾ばくかの真が含まれることを私も認めます。真されど真。人間は社会的な動物ですから、わかっていてどんぐりの背比べをしなければ成り立たないところ(不条理?)があるのでしょう。

kurinal
質問者

お礼

komaas88様、おはようございます。 ♪「そう あなたとなら いつもかがやいて できることが いっぱい ある そばにいれば わかることかな? しあわせになろう」 ・・・どこか、うさんくさいですね。 ♪「そう きみがいれば ゆめがゆめじゃない しんじるもの いっぱい ある きみとふたり あるくことかな? しあわせになろう」 ・・・やっぱり、「日本人女性」と仲良くするのは、ムズいです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.10

人間は、平等である「べき」だ、と 考えるから、疑問が湧くのではないですか。 平等であるべきだ、なんて何の根拠も ありません。 人は生まれも育ちも違うのですから、ひと それぞれで、平等でなくても構いません。

kurinal
質問者

お礼

hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 「ベストアンサーにしたい!」というようなご回答が幾つもあると、困ってしまいます。 ちょっと疑問に思って、和英辞典を調べてみたところ、平等とは「equality」だそうです。 「イコール」というやつですね。 「=」で結ばれるわけですね。 ここで、hekiyu様の仰られた「平等」は、「「結果」において」ということと思います。

noname#194996
noname#194996
回答No.9

ご質問の核心がつかめないのですが、 >人が経験することについて、それは別に、「人それぞれ」でいいわけです これが真とすれば、 平等などあり得ないのではないか? というご質問でしょうか。 「人が経験することについて、それは別に、「人それぞれ」でいい」とおっしゃっておられるのは質問者様他数名? 100%のひとがそういうことで満足していれば面倒はないのですよね。 スタートラインを一緒にせえ、という要求があります。福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず云々」が有名ですね。 途中差が付きすぎたら補正してくれえ、という要求もあります。共産主義から派生した社会主義ですね。助け合いの精神。 それぞれまだ完ぺきなシステムは発明されていません。 結局、完全な平等などあり得ないと私など思うのですがのですが、みんなが身の程知らずでわがままなのでしょう。

kurinal
質問者

お礼

komaas88様、こんばんは。 「較べるから苦になるのであって、較べなければ、どうということもない」という境地については、どうお考えになりますか。

noname#155457
noname#155457
回答No.8

平等という考え自体が間違いです。 金持ちと貧乏人は平等であってはいけません。 金持ちは努力して金持ちになったのです。 これを平等にしようとする考えが共産主義です。 共産主義は極端に貧乏になり、国々は崩壊して行きます。 子供と親は平等であってはいけません。 子供のために親は努力をしました。 だからイエスキリストは『父と母を敬え』と言ったのです。 教師と生徒は平等であってはいけません。 平等の元で勉強を教わることはできません。 PTAが我が子と教師を平等扱いするために、いじめっ子、いじめられっ子が生じているのです。 『三歩さがって、師の影を踏まず。』 これが正しい考え方です。

kurinal
質問者

お礼

MoonStar様、ご回答ありがとうございます。 >「共産主義は極端に貧乏になり、国々は崩壊して行きます。」 「(「努力してもしなくても一緒」ということでは)人々の「意欲」という点で、問題があった」ということのようですが。 >「子供と親は平等であってはいけません。 子供のために親は努力をしました。 だからイエスキリストは『父と母を敬え』と言ったのです。」 (哲学だから、あえて申しあげますが)、例えば、赤ちゃんが放置されたら、生き延びるのは難しいですね。そこに、「「この子を生かそう」という何らかの配慮」があったからこそ、赤ちゃんは死なずに済んだ、ということと思います。・・・しかし「親としての責任を果たせないなら、親権をどうこう」という議論もあるところですね。 >「教師と生徒は平等であってはいけません。 平等の元で勉強を教わることはできません。 PTAが我が子と教師を平等扱いするために、いじめっ子、いじめられっ子が生じているのです。 『三歩さがって、師の影を踏まず。』 これが正しい考え方です。」 誰だったか、戦国時代の武将に「(自分の)手柄は部下に分けてやり、(部下の)失敗は共に責任を被ってやった」という人が居たとか。 こんな私でも、自ずと「三歩下がって、影を踏まないように」と思えるような人が、居ない訳ではありません。

回答No.7

 くりなるさん お早うございます。  ★ 人が経験することについて、それは別に、「人それぞれ」でいいわけです、と思います。  ☆ このままです。このままが わたしの回答です。  一人ひとりがそれぞれ あぁおれは これ以上の人生は送れないなぁという一生を生ききるようなそのときそのときの状態がつづけば よいのではありませんか?    たぶんこれが 平等です。  あとは 話し合いにおいて互いに自由におのがまったき自由な自己表現が特には互いの批判として行なわれ得ること。ここに平等があると考えます。  かさねて述べれば それぞれが自分の持ち前のチカラをじゅうにぶんに発揮して生きること それが出来るように社会を制度上においても つねに つくりなおして行くことだと見ます。

kurinal
質問者

お礼

bragelonneさん、ご回答ありがとうございます。 「哲学」というのは、文字通り「自由」で、いいですねえ!? (ただし、実践してしまったら、それは「哲学」ではなくなる??) ここら辺にも、「「経済的自由」のほうが、より規制される」の理由が、あるのでしょうか。 >「一人ひとりがそれぞれ あぁおれは これ以上の人生は送れないなぁという一生を生ききるようなそのときそのときの状態がつづけば よいのではありませんか?    たぶんこれが 平等です。  あとは 話し合いにおいて互いに自由におのがまったき自由な自己表現が特には互いの批判として行なわれ得ること。ここに平等があると考えます。  かさねて述べれば それぞれが自分の持ち前のチカラをじゅうにぶんに発揮して生きること それが出来るように社会を制度上においても つねに つくりなおして行くことだと見ます。」 はい。「自由って、いいなあ」という感じです。 でも、やっぱりそこには「責任」というか、「「もっとスピードを上げろ!」と言われても無理です」というか、 んー、やっぱり、「無理」は、よくありませんね(笑) ・・・反省が足りないようで、申し訳ありません。

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