- ベストアンサー
権力と、自由と平等と
昨今の、令和SNS一揆を見ていて思ったのですが、要は書き込んでいる人たちの意見を要約すると、「自由」と「平等」が叫ばれています。 私の記憶が確かなら、自由はローマの時代から叫ばれ、平等はフランス革命あたりから叫ばれていたような気がします。 自由と平等という矛盾に古今東西に取り組んできたわけです。 それで思うが、自由も平等も、国家権力や資本家の権力というものがあってはじめて叫ばれるものですよね? この、権力と、自由と平等との関係性についてなにか思うところ有りましたらお聞かせ頂けないでしょうか?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>自由はローマの時代から叫ばれ、平等はフランス革命あたりから叫ばれていたような気がします。 ローマ人が考えた「自由」と、現代人の我々が思う「自由」はだいぶニュアンスが違いますし、フランス革命で掲げられた「平等」も現代人の我々とはかなり意味が違います。 平等に関しては、「機会の平等」を求めるかそれとも「結果の平等」を求めるかという根本的な違いがあります。 機会の平等を求めたら、その人が若かろうが老いていようが、男性だろうが女性だろうが、その国で生まれた人だろうが外国人だろうが等しくチャンスが与えられることになりますから、ある人たちから不平等に感じます。俺達の仕事が外国人にとられる、みたいなね。でも考えてみれば、日本語しか話せない人と日本語とどこかの国の言葉が話せて同じ能力がある人だったら、複数の言葉に通じている人のほうを雇いたいですよね。その「結果」は不平等です。 もし結果の平等を選ぶなら、それはとっても不平等になります。コロナの給付金がその典型でしたね。あれは当初、コロナで収入が減ってしまった人を対象に給付されるはずでした。ところが「お金がもらえる人ともらえない人がいるのは不平等だ」という声が高まり、公明党が一律給付金にしないと連立解消も辞さないと一律給付金を強硬に主張したので、一律に10万円が給付されることになりました。 コロナで収入が減った人たちは、本来30万円がもらえたはずが10万円に減りました。10万円と30万円じゃ大違いですよね。一方で、これといってコロナで収入が減ったわけでもない人たちはこの突然に降って湧いた「ボーナス」で何を買おうかとワクワクしたわけです。 本来の「コロナで生活が困窮した人を救済する措置」が、だいぶ方向性が変わってしまいました。これが「結果の平等」です。 ざっくりいうと、機会の平等は能力が優れている人にとって有利なシステムで、結果の平等は能力が低い人が救済されるシステムになっているといえます。資本主義経済は、機会の平等を原則とするシステムですね。
その他の回答 (4)
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6890/20373)
広島県 安芸高田市の石丸市長さんが最近 you tube で話題になっていますね。
お礼
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6890/20373)
>「政治家 財産 ランキング」で検索すると、政治家にも1億の壁?みたいなもんがあるんですかね 表向きに見せるラインですね。 財産の名義を本人以外にしておけば 財産を隠すことができます。 政治資金団体の名義にしておけば 財産隠しだけでなく 子孫に相続税 ゼロで引き渡すことができます。安倍晋太郎から安倍晋三にとか。
お礼
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6890/20373)
政治家に権力を持たせているのは 政治をスムースに行うことだけに使うことを許している。調査権とか ところが 選挙という手法を使うことで勘違いする輩が増えてくる。 自分は選ばれた者である という勘違い。選ばれた結果権力を与えられたと勘違いして自分のために権力を使う輩。それを支持する利益享受者 それが現在の政界。 政治家とは代議士 代議士の代は 代表の代ではなく 代理人の代。 人口が増えて 自分たちで直接政治をすることが困難になったので 代理人を選んで代わりに政治を担当してもらおう という意味でできたのが現在の選挙というシステムです。 政治家とはただの代理人。
お礼
補足
私の理解(正式に政治を学んだわけじゃないので、理解ではなく「イメージ」かもしれませんが)では、自由経済にすれば格差が広まり、格差を是正しようとすれば自由が損なわれる。政治のさじ加減も大変なんでしょうね。