• 締切済み

英語→日本語をお願いします

日本語訳をお願いしますm(_ _)m Consider the conversations that we overhere as if we were invisibule, not really there, standing beside someone using a cell phone in a public plac e. The "it" factor is all around us. Earlier this year, at the lical post office, I overheard a man standing that he and his spouse really shouldn't be punching the children because one day the kids might tell their teachers. Observe parents with children in baby carriages or in parks. Many no longer interact with those children, introducing them to the community. Instead, parents are on cell phones, ignoring their public. They are "it's", too. When many of us were being raised, parents who did not interact with us in public were either alcoholic or dysfunctional. And even those thought us three words that saved many of us from injury or death: Look both ways. Children reared by cell phone parents do not look both ways when they step off the curb. Nobody has informed them of the danger.

みんなの回答

  • sayshe
  • ベストアンサー率77% (4555/5904)
回答No.2

◎この文の"it" factorの訳がしっくりせず、また、タイプミスも多い様な感じがしたので、検索すると、元の文が見つかりました。 http://ecologist.testing.net-genie.co.uk/investigations/science_and_technology/83145/electric_cabaret.html 前半を追加で訳してあります、質問の該当箇所は、★以下の部分です。それ以降は、割愛しました。 エレクトリック・キャバレー 私たちのほとんどは、自分のポケットの中でパーティを開いています – 地球村を約束したデジタル・ディバイスのことです。ちゃんと、私たちはその村を見つけました、そして、そこには愚か者が住んでいます。iPodに接続し、手のひらに話しかけ、私たちはあらゆる場所から四六時中私たちを包み込むテクノ麻痺状態の中で自分を見失っています。 携帯電話は、噂によれば、安心感を提供します – つまり、私たちが注意を払っている時のことです。私たちのデジタル機器(←兵器)のすべての道具のうち、これはコミュニティをとりわけ弱体化しました。ほんの数年前には、あなたが人前で携帯電話を使っている誰かに近づけば、その使用者は素早く通話を終えて、彼または彼女の対人空間の中にいるその近づいた人(=あなた)に謝罪したものです。そのエチケットは、すぐに変わりました。通話を邪魔されると、携帯電話の利用者は携帯電話の通話先の人に謝罪するようになったのです。最近では、そのエチケットさえ変わりました – とても変わってしまったので、個人間のやり取りは、そのプロセスの中で無価値なものになってしまいました。 携帯電話の利用者は、現在、聞こえる範囲にいるあらゆる人を一般的に無視します。私は、これを「『それ(=無生物)』要因」と呼んでいます。(携帯電話)利用者は、自分たちの目の前にいる全ての人を、まるでその人が存在しないかのように、無生物に変えてしまうのです。 ★まるで我々が見えなくなって、そこに実際存在しないかのように、公共の場所で携帯電話を使っている誰かのそばに立って、耳にする(携帯電話の)会話について考えて下さい。「それ(=無生物)」要因は、私たちの周囲の至る所にあります。今年始め、地元の郵便局で、ある男性が、ある日子供が彼らの先生に言うかもしれないので、彼と彼の配偶者が子供たちを本当に叩いていてはならないと述べているのを、私は耳にしました。 ベビーカーに子供を乗せたり、公園で子供を連れている親を観察してください。多く(の親)は、子供たちをコミュニティに紹介した後、その子供たちと、もはや、やり取り(会話)しません。その代わりに、親は、自分の義務を無視して、携帯電話を使っています。 彼ら(子供たち)もまた、『それ(=無生物)』なのです。私たちの多くが育てられたとき、人前で(子供の)私たちとやり取り(会話)しなかった親はアルコール中毒だったか、病気による機能障害がありました。そして、こうした人々さえ、私たちの多くを怪我や死から救ってくれる3つの言葉を私たちに教えました:それは、Look both ways.(左右を注意するのですよ。)でした。 携帯電話中毒の親によって育てられる子供たちは、彼らが(道路の)縁石から一歩踏み出す時に左右を確認しません。誰も、彼らに危険を知らせていないのです。

回答No.1

 次のような会話を想像してみてください。私達が本当はここにいない、透明人間にでもなったかのような感じで、(※話している人が、自分の会話をすぐそばにいる他人(=私達)に聞かれていることを全く気にせずに話している様子)、公の場で立ったままで携帯電話を使ってしている会話を。  「それ」の要因は私達の周囲のいたる所にある。  今年の早い時期に、地方の郵便局で偶然聞いたのは、立ったままで男性が奥さんが、自分の子供を本当に叩くべきでないという会話を偶然聞いた。何故かと言うと将来その子が先生に(親に叩かれたと)告げ口をするかも知れないからというのだ。  乳母車や公園で赤ちゃんを連れている親を観察してください。多くは町内で紹介してそれで終わり、それ以上子供とのやり取りをしないのだ。そのどころか、親は携帯電話を話さず、周囲を無視しているのだ。  このようなことも「それ」である。  私達の多くは育てられている時、公衆の面前で私達とやり取りをしない親は、アルコール中毒か障害なのだ。そして、そんな親でさえも私達を怪我や死亡事故から救ってくれる三つの単語を思いつく。「両側を見なさい」だ。  携帯電話の親に育てられた子供達は、歩道から(車道へ)出る時に両側など見ないのだ。誰も危険について教えてくれていないからだ。

関連するQ&A