• 締切済み

思想の名称を教えて下さい。

仮定の話です。 50年前に戦争をしていたA国とB国があるとします。 その戦争をではA国が敗戦し、B国が勝戦しました。50年を経て、敗戦から復興し、力を蓄えてA国の若い民はB国に対し復讐する事を計画しています。 ここで問題なのですが、復讐を計画するA国の若い民は復讐心こそあるものの実際にB国の民からどのような仕打ちを受けたのか?と尋ねると、「何もされていない」というケースが存在すると思います。 「50年前の戦争でお前達は俺たちにこんなに酷い事をしたんだ!だから俺たちはお前達に復讐する権利がある!」 しかし、実際には50年前の出来事であり、現在を生きる人間がそれを行なったわけではない。つまり行動に対する確証がそこには存在しないのではないかと思うのですが、このような意識、思想をカテゴライズする名称はありますか?

みんなの回答

回答No.6

カテゴリーとしては、自民族および自文化中心主義の一種であるジンゴイズム(Jingoism)だと思います。 カテ的に雑談カテで回答を得るようとするのは不利です。  知識レベルの水準から言って「歴史カテ」で聞いたほうが早かったのではないでしょうか?

kashimaryuuichi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ジンゴイズムですね。この例の場合ですとしっくりハマります。ありがとうございました。 歴史カテで最初に質問していたのですが、哲学に飛んだ方が良いのでは?との意見がありましたのでこちらで質問させて頂いていました。カテゴリー分けは重要ですね。

noname#194996
noname#194996
回答No.5

基本的に、同じ人間は記憶を保持できますが、50年がたてば世代が2.3世代は移ります。その間、そういった記憶を世代間に引き渡していかねばそういったものは存在できません。つまり、A国は意識的に歴史教育としてそういった情報を蓄積しトランスファーしてきたわけです。 国家における歴史問題、あるいは歴史教育の問題ということではないでしょうか。現実にそういった言い方がなされていると思います。

回答No.4

一語のカテゴリー名になりませんが、“歴史の後読み”、or “歴史の後読みの齟齬”という現象というカテゴリ分類もできるかと存じます。

kashimaryuuichi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 カテゴリとは、つまり、人道主義とか国家主義とか、そういった感じです。 大昔のことを蒸し返して責任をとれ!と騒いでる連中みて発想した次第です。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

回答になっているかどうか、自信はないのですが 一応。 国民という概念があります。 これには、二つの意味があります。 (1) 現在存在する国民のことである、とする説。 (2) 過去現在未来を通じて存在する、抽象的統一体としての   意味での国民、つまり歴史的意味の国民とする説。 国民代表という意味の国民とは、通常(2)の意味の 国民を指します。 これは多分に法技術的なものです。 簡単に説明します。 国民は何故法に従わねばならないのだ。 その理由は、国民が選んだ代表が造ったからだ、 つまり国民と同視できる存在が造ったからだ。 自分で造った法律なんだから、自分が守るのは 当然だろう。 と、いう訳です。 そうすると次の問題点が発生します。 選挙時、選挙権が無かった人間、生まれていなかった 人間などには、この理屈は通用しないことになります。 そいつらは、法を守らなくてよいのかヨ。 それで、歴史的意味の国民、という概念が出てきました。 これは、前述したように、過去現在未来の国民を意味 しますから、選挙権が無かったとか、そのとき 存在していなかった、などということはクリアーでき ます。 この説明は長くなりますので、ここら辺りで終わりにします。 で、質問に対する答えですが、 歴史的意味の国民という概念を使えば、現在する国民にも 責任を負わすことは可能になります。

kashimaryuuichi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 国家と国民の考え方、勉強になりました。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.2

被害者意識でいいんじゃなの?

kashimaryuuichi
質問者

補足

かなり近いと思います。 しかしながら、実被害を受けた(戦争の被害は多岐二渡りますが、この場合の細かい被害は省いて考えます。)50年前の人間を第1世代とし、現存する人間を第2世代と考えた場合、第1世代は被害者意識がそのまま復讐、つまり攻撃意識に転嫁する事に違和感はありません。ただ、第2世代の場合被害者意識と攻撃意識は分離し、必ずしも被害者意識と攻撃意識は同居していないと考えます。どちらかというと攻撃意識を納得させる為の道具として被害者意識が存在するようにすら思えます。この感覚をカテゴライズしたいのです。 しかい被害者意識が一番近いのかもしれません。

回答No.1

国家が人権の基盤である以上、国家の過ちは個人に責が及ぶ、 という意味では、国家主義と言いたいところですが、この単語 には、国粋主義的意味合いが強い。 そもそも主義や法制は、国家単位で異なるので、その外との 関係性は、あまり権威のない国際法ぐらいしかありません。 国際法において、戦争賠償などの実定法的に戦争責任は 解決されるもので、質疑にあるような感情的な問題は、あえて 言うなら自然法に属すると言えます。 自然法主義(自然法は実定法に優越する)という言葉があれば、 それが妥当だと言えますが、国際法以前は自然法(か宗教)が 国際関係を裁いた時期もありますが、今は国際法や条約が密に 交わされているので、そのような言葉は国際関係には用いられ ません。 唯一残されているとすれば、人道主義ですが、それが今回のよう な国際法の範疇にあると思われる件に該当するかは微妙です。

kashimaryuuichi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 やはりあてはまるカテゴリーはないのですね。そもそもこの考え方に正当性はまったくないと思っていましたが、国家と国民の考え方を考えるにそれなりの正当性も見えてくるのだなと勉強になりました。

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