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昭和天皇の戦争責任追及の動きについて
敗戦後、昭和天皇の戦争責任追及のため、高松宮殿下や政治家が「戦争責任をとって御退位」を唱えていたという記事を読みました。 1945年以降、宮家や保守勢力による昭和天皇の戦争責任に対する動きの実際はどのようなものだったのでしょうか? 参考になる書籍やURLがあったら教えてください。
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米軍占領当時、対日理事会代表のウイリアム・シーボルトの著書「日本占領外交の回想」によれば、天皇退位の「噂」が流れ始めたのは東京裁判のA級戦犯の審理終了後から出始めたようです。 噂の内容は、昭和天皇の友人でもあり助言者でもある木戸公爵の終身刑とフランス判事の天皇責任追及論を受け自ら退位、或いはハラキリを考えているらしい、というものです。 この出所はオーストラリア通信(AAP)の報道でしたが、噂は瞬く間に広がって行った(日本国民よりも連合国関係者の間で)ようです。 この噂は天皇自らが退位を否定する親書をマッカサーに送ることで急速にしぼんで行きます。一説によれば、天皇が退位をすれば、国民は天皇が裁判の結果に不満であるため退位したと捉えられかねず国民の占領軍に対する反抗運動につながりかねないと懸念したマッカサーが、親書を送るよう進言したと言われています。 「戦後直後天皇退位の動きがあった」という噂は今から十数年前にも記事として出ていました。十数年周期で出ては消えを繰り返しているようです。これら記事の情報の出所は何れも海外メディア(AP通信など)であるのが特徴です。 実際には宮中で天皇退位の動きがあったのかもしれませんが、日本国内にはそれを示す史料は見つかっていません。噂が発生した当時、国民よりも占領軍関係者の間でまことしやかにささやかれていた事を考えると、占領軍は天皇退位の動きをつかんでいながら、そういう動きがあったことをもみ消した、証拠を本国へ持ち去った、といった事も考えられると思います。