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「内在的に理解する」とはどういう意味か
何かを「内在的に理解する」とはどういう意味でしょうか? 「内在」は「ある領域内にあること」だから…などと考えたのですが、いまいちわかりません。 どなたか教えてくださると助かります。 よろしくお願いします。
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- toast5
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蓮實重彦は、作者や時代背景や制作プロセスを斟酌することなく、実際に映画館で体験した映像と音声それ自体を、それだけを見る/体験する/批評の対象にするべきだ、と唱え、その主張を「表層批評宣言」と名付けました。 表層というのは外側ということです。 蓮實重彦は作品の成立背景などを「内情」とみなし、それを捨象した作品自体を「表層」と呼んだわけです。 一方#5さんご紹介の広辞苑(2)は、作品自体を見ることを逆に「内在批評」と呼び、 成立背景などを絡めて見ることを「外在批評」と呼ぶんですね。 また一方#4さんのご紹介では、成立背景などを絡めて研究することを「外在批評」と呼び、 観客自身が自身の内面と深く向き合って作品に対峙することを「内在批評」と呼ぶ、と。 なるほど。おもしろいです。
- Postizos
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内在は宗教用語にも哲学用語にもあるのですが ない-ざい【内在】〔哲〕 (2) ア.汎神論的な形而上学において、神が世界の本質として、世界の内に存在するという考え方。 イ.存在論では本質が個物に内在すること。例えばアリストテレスの形相。 ウ.認識論(特にカント)では可能的経験の範囲にあること。 エ.現象学では認識の対象が意識の内部に志向的に存在すること。⇔超越。 これじゃあないですか? ないざい-ひひょう【内在批評】‥ヒヤウ 1.ある学説・思想などを、その前提となるものを一応認めた上で批評すること。 2.文芸批評の一種。個々の文学作品を、作者や時代環境から切り離して、その形式や技巧や主題の性質だけから批評すること。⇔外在批評 〈広辞苑〉 元の文を読んでみないことにはなんとも言えないと思います。 文学の話なら2が当てはまりそう。
- WiredLogic
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面白そうなので、「内在的 理解」で検索して、片っ端から読んでみたら、 ただ、雰囲気的に難しそうな言葉だから、使ってみましたけど^^ みたいなものもないではありませんでしたが、 共通な部分として、#2さんの回答のような、辞書的な意味が根底にある、 しかし、ジャンルごとのテクニカルタームとして、個々の意味の幅は、 結構ありそう、という印象でした。 一番メジャーに使われていたのは、宗教学関係のギョ~カイ用語^^として、 歴史や社会学的な考察と、宗教を擦り合わせて、研究する、 宗教史や、宗教社会学という、学問ジャンルがありますが、 それとは別に、宗教者自身の、経験・言葉・記録などから、 宗教者自身の内面を理解し、宗教を理解していく、という ふうな意味で、「内在的理解」という言葉が使われている ようでした。
- toast5
- ベストアンサー率37% (239/638)
「内在的に理解せよ」と誰かが言ってるとしたら、 「お仕着せの解釈に頼るのでなく、自分の頭で実感もって理解せよ」 みたいなことが言いたいのかなあ、と、僕なら思います。 ついでに、曖昧でブンガク風な言い回しを好む人だなあ、とも思います。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
「内在」を辞書で引いてみました。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%86%85%E5%9C%A8&stype=1&dtype=0 「そのものの中におのずから存在すること」 「現象がみずからの内にその根拠・原因をもっていること」 といった説明があります。 あくまで一素人の推測にすぎませんが、「内在的に理解する」は、「理屈を他者から聞かされなくても、内在している自らの能力だけによって理解する」 といった意味になるのかもしれません。 思いつきの例をあげると、たとえば、「犬のうなり声を聞けば、何かに怒っている・警戒していることが理屈抜きで理解できる」などという場合。
- olutier
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それほど決まった用法のある語ではないと思いますが… たとえば、ある文学作品を、 「そんなきれいごとを書いてたって、作者は○○をやらかしたじゃねーか」とか、「いまどきこんなことあるわけねーよ」「誰それの何々って作品の方が優れてらあ」とかいうのは、作品の外にあるものを持ってきて批評しているので、外在的な理解と言えます。状況設定や登場人物たちの気持ちや行動を、ひとまず額面通りに受け止めて、「そうなのかー、それならこうだよなあ…。でもこことここは矛盾してないかなあ…」などと考察してみるのが、「内在的に理解」することと言えるでしょう。 あるいは、錬金術にたいして、 「非科学的wwwバカスwww」 などと言うのは、自然科学という、錬金術とは無縁の体系を持ってきているので、外在的な理解となります。 「錬金術の前提ではこうなっているので、それに照らし合わせてみると…」などと考察してみるなら、それは「内在的な理解」を試みていることになるでしょう。