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フッサールの生活世界は内在なのか超越なのか?
フッサールのいう「生活世界」は、「内在」なのですか、あるいは「超越」なのですか? つまり、生活世界は、「超越論的自我の中にあるもの」なのですか、それとも「超越論的自我 の外にあるもの」ですか? 生活世界が、人間の純粋意識の領域の外にある、つまり超越的なものとすると、フッサールは 外界=客観的世界の実在定立の判断をさしひかえる判断停止(エポケー)を解除して、外界の実在性 を一定限度で容認したということなのでしょうか? ご回答お願いします。
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noname#135843
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- mesenfants
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お礼
「生活世界」の必要から生まれたはずの「科学」が、生身の人間を疎外 するようになった。 そこで、エポケーを解除して、超越をみとめたわけですね。 たしかに、フッセルは「自我の外的対象は、存在可能である」といっています。 つまり、後期フッサールは、ついに「自我の外的対象は、存在する!」という確信をもたざるをえなかったわけですね。 なるほど、納得できました。 わたしは、「純粋意識の領域」だけで勝負しようとした前期フッサールのほうが、カッコイイとおもいます。 ていねいな回答ありがとうございました。