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漢字を盗んだ日本人のアイデア使用の是非を問う
- 「日本人は漢字をはじめ多くの中国文化を盗んだわけだから、彼らのアイデアを使っても大丈夫だ」という発言が問題となっています。著作権についての論議が巻き起こっていますが、著作権は資本主義の発想から生まれたものであり、開き直りの一環と捉えられることもあります。
- 中国の国営中央テレビが日本のお笑い芸人の作品に酷似していると指摘され、盗作疑惑が浮上しました。ネット上では、笑いの要素が類似するのは偶然かもしれないという意見もあり、擁護論も存在しています。
- この問題から、著作権の本質的な意味や創造性の認識、文化の交流という観点での議論が行われています。一方で、著作者の名誉や権利を守るためには著作権の尊重が必要であるという意見もあります。専門家の見解も注目されています。
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ブラジェロン様おはようございます。 NO。10 です。 昨夜はあまりに意気投合してしまったようで、恐れ多いことでした。朝ちょっと反省し、仰るご思想についてもう少し現実に即して考えてみたく思います。 アメリカ主導でこの100年はあまり現状は変わらないだろうと書きましたが、中国の台頭で、これもどうなるか、予断は許さないといった感もいたhしますし。 結局、経済活動に秩序が必要なことは確かです。ようはそれが万民に平等であるかどうかということ、社会正義にのっとっているかということでしょう。不自然なものはいずれ安定な方向へ変化していきます。 文化活動が経済活動と結びつかなければ、これを規制の枠にはめるのは既に時代遅れという先進国間の合意がなされています。しかし文化活動が経済活動と合体すれば、それが巨大ビジネスになって世界制覇へいたるというのは、これが何のための法秩序なのか?逆の意味で社会悪そのものになってしまうのではないでしょうか。強者のための秩序作りとはひとむかしまえの列強帝国主義に変わりません。 これは文化活動にとどまらず、たとえばエイズの特効薬の独占問題にも繋がる巨大企業のエゴイズムにもみられましょう。マイクロソフトの世界制覇もそうかもしれません。さまざまな不平等と悪がこれらで派生しています。 文化活動や学術に関する経済的な権利擁護は、社会正義というよりもその根幹に発案者側のインセンチブの確保、そしてそれによって社会の活性化が損なわれないためというもっともな理屈がついているわけですが、しかし、そうならば今のアメリカの巨大企業群のむさぼりようは、はっきりいってやりすぎい以上のものではない、と思います。ディズニーがミッキーの顔だけで100年も大儲けするのはどう見ても不当です。 ここで代案ですが、 たとえば、権利擁護方は時間でくくるのではなく、その開発費用が10倍になって帰ってきたら消える、というようなものに変えねばならないでしょう。そして、単なるアイデアなら資本がかからないのでモラルに任せるというふうにですね。このモラルが肝心なので、中国もやはり世界標準としてのモラルを遵守してもらいたい。それが出来なければ周囲からバッシングが起き、独自の法規制も必要になって来るでしょう。 現にインターネット上では殆どそうなっているのではないでしょうか。これはいい傾向です。
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- 畑 茂夫(@Flareon)
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こんばんわ。 アイデアを出す方に実例を挙げます。 こちらは円満に解決した方でドラクエえんぴつについてです。 十何年か前にドラクエ鉛筆と言うのがヒットしました。 発売元のメーカーはドラクエキャラクター商品を主に文具として玩具売り場に流通させると言うビジネスを行っていたのですが、事業として成立していても成功とはいえない状態でした。 そのメーカーからの問い合わせに、玩具売り場で売る以上遊びの要素が大切で、ドラクエのゲームはコマンド選択式と言うバトルをするので、鉛筆にコマンドをプリントして、遊べる文房具として売り出すアイデアの一例を示しました。 そのアイデアをそのまま実現したのがドラクエえんぴつです。 このちょっとしたアイデアに私には著作権までもはありませんでしたが、メーカーでは感謝してくれたようで、ヒット商品になるとものすごい品薄で混乱するのが常の玩具で、ドラクエ鉛筆だけは商品発注に対して100パーセントの納品率で大量に販売しました。 1000万以上に利益が出たので版権がどうとかの不満はありません。 このように協力関係が成立すれば経済上は問題がない。 しかしアイデアを生かす工夫に関してはアイデアを出した本人に勝る者はいません。 私のちょっとしたアイデアに対しては、私自身がよりアイデアを深く検討する必要性をメーカーに指摘もしていました。 商品化されたドラクエ鉛筆が実際に弊害を抱えたように、学校におもちゃを持ち込むことは勉強をおろそかにする行為です。 そこを何とかしてこそ円満に商品化できるアイデアで、必要なら私が直々に協力してあげようと持ちかけました。 それがなかったので、アイデアは100パーセント私の者でも、私には著作権はありませんが、私は学校におもちゃを持ち込む事が気がかりで、商品化のカヤの外に置かれたまま考えを進めました。 私の独自のアイデアであれば、コマンドセンタ気うバトルはヒットポイントを計算して行われるので、その計算の要素を遊びに取り入れればよいと考えました、すなわちサイコロのように鉛筆を振った分だけ数式を書いてその数式を一生懸命計算する事を遊びにすればよい。 そうするとどうなるか、 計算問題が好きになって計算ができるほどドラクエえんぴつに強くなるので、男の子たちがさんすうの授業になると目をらんらんと輝かせて先生の話を聞く。 休み時間に男の子が何か遊んでいるが良く見たら自習していた。 学習教材にもなるドラクエ鉛筆を親におねだりする。 アイデアマンのオリジナルのアイデアだとこのように良い流行を作りそこからさらに進めて遊びと勉強を一致させるおもちゃの革新にまでわたしのじつりょくならはってんさせることができるでしょう。 著作権が著作者にあればそうなってました。 そうすると著作権をおろそかにすることは不幸を招くと言えます。 ちなみに「ときわたり」のほうは、これも商業化されていますが、私がアイデアを主張すると該当企業は弁護士を派遣して訴訟をちらつかせて口封じするような険悪な関係になってます。 私はポケモンじゃなくてもドラクエで実在する妖精を捕まえる事ができたはずですがね。
お礼
ふられおんさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 そうですね。全体として 込み入った事情があると分かりましたが その込み入り方については 残念ながら分かりません。 回答として質問者が取り上げることになるのは 次の箇所でしょうか。 ★ ~~~~ アイデアマンのオリジナルのアイデアだとこのように良い流行を作りそこからさらに進めて遊びと勉強を一致させるおもちゃの革新にまでわたしのじつりょくならはってんさせることができるでしょう。 著作権が著作者にあればそうなってました。 そうすると著作権をおろそかにすることは不幸を招くと言えます。 ~~~~~~ ☆ けれども この点についても どちらとも解釈することが出来るかも知れないといった中身であるように映るのですが これは たしかに自信がありません。 どちらにも解釈しうるというのは 口幅ったい言い分になりますが 《著作権》があって 互いの目の前にちらついているからこそ 互いに話し合いが結着のつかないところに行ってしまった。のかも知れない。こうとも解釈しうるのではないか? と思われたからです。 これはまったくの誤解であるかとも思われます。 そしてこれもそれも 初めに申したとおり 全体の事情 これが分からないというところから来ていると考えます。 ということは 著作権についての実話を交えてのご見解にかんして どの方向において捉えたらよいか 質問者としてはっきりしないという受け止め方にならざるを得ないかと思います。 このように述べて お応えといたします。
- hekiyu
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1,”つまり著作権は 資本主義そのものの発想であって 何でもカネになる・何でもカネにできるという開き直りから 現われた鬼っ子であるに過ぎなくはないか?” ↑ その通りだと思います。 文化や芸術てのは、皆お互いに影響を及ぼしあって 発展していくものです。 悪く言えば、模倣です。 オリジナルと、よく出来た模倣品とでは、芸術的 価値に差はありません。 あるのは、オリジナルが存在しなければ、模倣品も 存在しない、という存在論的な差だけです。 中国が創った漢字ですが、これは日本が盗んだ 訳ではないでしょう。 中華思想をもつ中国ですから、日本が漢字を使うのを 望ましく思っていたはずです。 それに、社会主義とか共産主義という言葉は 日本人が創ったモノです。 2,”果たして著作権は 権利なのでしょうか?” ↑ 現代においては権利ですが、権利とすべきか、と いうことですよね? 権利とは、法的に保護された利益のことですが、 これを全く保護しない、となると専門の著作者 優れた著作者が出なくなる怖れがあります。 かといって、過度に保護することは、人間の 文化活動を萎縮させることになるでしょう。 その間に線を引く、てのが現実的だと思いますが。
お礼
へきゆさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 そうですね。 まづ ★ ~~~~ 1,”つまり著作権は 資本主義そのものの発想であって 何でもカネになる・何でもカネにできるという開き直りから 現われた鬼っ子であるに過ぎなくはないか?” ↑ その通りだと思います。 ~~~~~~ ☆ そのように考えたのでしたが このように《その通りだ》とおっしゃる声を聞くと 印象深くなります。ええっ そうだったの? と一ぺん聞き直さないとならないような。 ★ ~~~~ 2,”果たして著作権は 権利なのでしょうか?” ↑ 現代においては権利ですが、権利とすべきか、と いうことですよね? 権利とは、法的に保護された利益のことですが、 これを全く保護しない、となると専門の著作者 優れた著作者が出なくなる怖れがあります。 ~~~~~~~ ☆ ここですよね? 次に問題になるのは。 まづ それを既得権益と呼ぶべきかどうかは別として いまは当面のあいだ 動かないということでしょうね。逆に言えば そのようにして資本主義市場経済は動いているのであるからには。 その理由として挙げておられる点は どうでしょうか? ★ ~~~ これを全く保護しない、となると専門の著作者 優れた著作者が出なくなる怖れがあります。 ~~~~~ ☆ わたくしが 付け焼刃のごとくに考えるにですが これは半々ではないでしょうか? つまり 《専門家や著作家》は すぐれていればいるほど 名誉のほかは要らないという人びとも 半分はいるのではないか? とも思われました。(感覚としてです)。 ★ ~~~ かといって、過度に保護することは、人間の 文化活動を萎縮させることになるでしょう。 ~~~~~ ☆ いまは 五十年の期間を 欧米のごとく七十年に延ばせという議論も出て来ているとか。そのほか 保護の度合いも重要であろうと。 さて 芸術論です。 ★ ~~~ オリジナルと、よく出来た模倣品とでは、芸術的 価値に差はありません。 あるのは、オリジナルが存在しなければ、模倣品も 存在しない、という存在論的な差だけです。 ~~~~~ ☆ ただちに質問者がでしゃばる恰好になりますが 考えるに 二つの相い反する見方をここで持ちました。 ひとつに この《先か後かの 存在論的差だけある》という部分で とうとさにおいても重大な違いがあるのではないかと思ったことです。言わば派生的な作品を オリジナルは いくらでも生むでしょうが 模倣品は そうはならないのが一般だと思われるからです。 しかも もうひとつに・相い反するような見方も思い浮かんだというその訳は かと言っても そのオリジナルは 歴史的に長い目で見れば やはりじんるい共通の財産の中から《模倣》して創作されたものなのではないか? とも考えられるからです。部分的にでしょうが その《先達》の存在はおおきい。とも考えられます。 あとは 漢字論ですね。 ★ ~~~ 中国が創った漢字ですが、これは日本が盗んだ 訳ではないでしょう。 中華思想をもつ中国ですから、日本が漢字を使うのを 望ましく思っていたはずです。 ~~~~~ ☆ これは 正確にはどう表現したらよいのでしょうね? 《輸入した》のでしょうか? 無償にて? でも《盗んだわけではない》にしても 言ってみれば何もかもを――取捨選択し換骨奪胎をもしたとしても―― 中国からおそわったわけではないですか われわれの祖先は。その恩恵たるや 筆舌に尽くしがたいものがありましょう。 ですから その歴史をもほんの少しでもたしかに慮ったかたちで 中国の模倣芸については コメントをしなければならないというように思います。 ★ ~~~~ それに、社会主義とか共産主義という言葉は 日本人が創ったモノです。 ~~~~~~ ☆ これは 思想を創っておしえたわけではなく 漢字語を造ってそれを輸出したかたちになるようですね。《哲学》も《経済》も そうだと言います。経世済民という言葉は こちらが輸入したものですが エコノミーに経済という漢字語を当てたのは日本人で これを中国は採り入れた。 ふむふむ。思わぬニュースに接して 一夜漬けにもならない状態で設問してみましたが 常識をうたがう哲学としては こりゃあ春から縁起がよいということにて まづは ありがとうございました。 この方向をいちおうの基礎として もう少し何かあるか 投稿を俟つことにします。
- princelilac
- ベストアンサー率24% (1618/6634)
論証に値せず。シナは文化程度が低く、知的財産の概念がない。
お礼
リラ王子さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 さっそく質問者のたたき台に沿って反論しますと: ★ シナは文化程度が低く、 ☆ のその《低い文化》の一環として 日本人は《漢字》を拝借して使い始めたのですよね? ★ 知的財産の概念がない。 ☆ かつて日本人にも この概念がなかったかも知れません。コピー文化がはびこっていた時代がありました。 いまは違うということだと思いますが ここで別の角度から見てみるのですが そもそも《知的財産》とは何か? になって来ます。 もともとじんるいの文化から編み出して来た想像物であり何らかの作品であるということに過ぎないのではないか? つまりはすべての創作物は ことごとく 何らかの《パクリ》である。 ですから もしじんるいにとっての《知的財産》だというのなら 分かりますが――つまり公共の遺産であり財産であると言うのなら納得いきますが―― 或る日或る時 個別の誰だれが創作したからと言って その特定の人物に財産権が与えられるというのは どうもみみっちい考えなのではないか? こう問うています。 なんで共有なのではないか? です。
- kuroboa
- ベストアンサー率27% (3/11)
> 《漢字を盗んだ日本人のアイデア使っても大丈夫》? これは常に OK とは言えません。 なぜなら、日本は漢字を盗んでいませんから。 文字の話なら、英字を使う国ってたくさんあるでしょう?
お礼
くろぼあさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 そうですね。《ぬすむ》とは どういうことか? の問題でしょうか。 ★ なぜなら、日本は漢字を盗んでいませんから。 ☆ そうですね。ただちに反論するとすれば 《もらって来た》ということでしょうか? あるいは《使わせてもらっている》と。 そうしますと 例の中国のコメディアンは 日本のお笑い芸人からネタをちょっと《拝借しています》と返答してくるでしょうね。 これで 双方まあるくおさまるという話になりませんか? むろん それでよろしいというお考えであれば そのように受け取ることになります。 ★ 文字の話なら、英字を使う国ってたくさんあるでしょう? ☆ いや もともと英字が ほかから《使わせてもらっている》わけですから。ローマ。ギリシャ。フェニキア。アッカド(?)。エジプト(?)。シュメール(?)。・・・つまりそう考えるなら 《漢字を盗んだ日本人のアイデア使っても大丈夫》? に対して ★ 常に OK と言 ☆ えるというように思えて来ます。あれぇーっ。どこかでまちがいましたか?
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お礼
回答 No.11のぶーたーさんへの返答として 次のように課題をまとめました。 ☆☆( No.11お礼欄) ~~~~ 焦点あるいは争点は ふたつありましょうか。 ○( A ) 当座をしのぐためのそしておカネのための文化活動と そうではなく じんるいにとって所謂る古典となるような作品にかかわる文化活動とを分ける。前者には 生活の安定のためなどの理由によって 著作権をみとめる。 ○( B ) 文化活動を区分するのではなく つまりその中身が長く残るものであることを意図するかどうかを別として 人間の中には 仕事の効用とその持続効果にいたく関心を持つ場合があると考えられる。その場合があるのなら これを無視するわけに行かない。よって 著作権かそれに匹敵する権利が必要であるかも知れない。 ~~~~~~~~~~~~~~ もうひとつ あると言うべきでしょうか? ○( C ) ~~~~ 先行投資を回収するに足る報酬を創作物をめぐって要求してもよいはずだ。それには ひとつに売上げ価格に盛り込むことと もうひとつにその先行投資無しで創作物の類似品をつくられては困るのでその保障を法律で明文化することと。 これは 著作権と言うよりも 特許権などなのでしょうか? あるいは 新製品の研究開発費用は やはり売上価格に織り込むはずですが それでもあたらしい創作物にかんしては 著作権ないし特許権という法律の保護が必要となるのか? ~~~~~~~~~ さあて こまあすさん こんにちは。俄然いそがしくなってまいりました。まづは ご回答をありがとうございます。さらに現実的に練り上げていただきました。 そうしてしかも ( C )の課題をも含めて きちんと答えてくださっています。何と気が利くお人であることよ。 ★ ~~~~ ここで代案ですが、 (1) たとえば、権利擁護方は時間でくくるのではなく、その開発費用が10倍になって帰ってきたら消える、というようなものに変えねばならないでしょう。 (2) そして、単なるアイデアなら資本がかからないのでモラルに任せるというふうにですね。 (2-1) このモラルが肝心なので、中国もやはり世界標準としてのモラルを遵守してもらいたい。 (2-2) それが出来なければ周囲からバッシングが起き、独自の法規制も必要になって来るでしょう。 (2-3) 現にインターネット上では殆どそうなっているのではないでしょうか。これはいい傾向です。 ~~~~~~ ☆ ( B )の《仕事の効用とその持続効果にいたく関心を持つ場合》にも そのような《インセンチヴ》の問題としてご見解を明らかにされました。 ★ ~~~~ 《争点 B 》:文化活動や学術に関する経済的な権利擁護は、社会正義というよりもその根幹に発案者側のインセンチブの確保、そしてそれによって社会の活性化が損なわれないためというもっともな理屈がついているわけですが、 (3) しかし、そうならば今のアメリカの巨大企業群のむさぼりようは、はっきりいってやりすぎ以上のものではない、と思います。ディズニーがミッキーの顔だけで100年も大儲けするのはどう見ても不当です。 ~~~~~ ☆ へきゆさん(回答 No.3)のご見解も 法律による保護が過度に成らないようにどのあたりに線を引くかが課題であると言います。 すなわちさらにつづけて ★ ~~~~~ (3-1) 文化活動が経済活動と結びつかなければ、これを規制の枠にはめるのは既に時代遅れという先進国間の合意がなされています。しかし文化活動が経済活動と合体すれば、それが巨大ビジネスになって世界制覇へいたるというのは、これが何のための法秩序なのか? 逆の意味で社会悪そのものになってしまうのではないでしょうか。強者のための秩序作りとはひとむかしまえの列強帝国主義に変わりません。 (3-2) これは文化活動にとどまらず、たとえばエイズの特効薬の独占問題にも繋がる巨大企業のエゴイズムにもみられましょう。マイクロソフトの世界制覇もそうかもしれません。さまざまな不平等と悪がこれらで派生しています。 ~~~~~~~~~ ☆ 自由の国アメリカの光と影 影の部分がおおきく《成長》して ほかの国々にとっては壁のごとく立ちはだかって来ているようです。 かくなる上は TPP では むしろ日本資本主義のよさをじゅうぶんアピールして 《売り込み》を堂々と大々的にやりはじめなくては行けませんね。生活の安定のためには 雇用の安定 そのためには 選択の自由の上に終身雇用制を採り入れたほうがよいと考えられて来ます。 かつては あたらしい発見や発明をした場合会社員なら 一銭も個人には報いがなかったようです。特許権は必要かどうか分かりませんが その発明によって一個人が報酬を得るというのは――これも 度合いによりましょうが―― あまりピンと来ません。 個人だけで発明を成し得たという見方は なかなか納得が行きません。また 自分のため・会社のために仕事をすることは 社会のためでもあるという前提に立つならば 特許を得るほどの発明でも 仕事は仕事そのものでむくいを受けていると思われます。そうでない会社の制度や社会の仕組みであるとすれば そちらを直す必要がある。個人を特定してむくいるというやり方は 社会における間違いを隠ぺいしてしまうのではないか? 法律ないし裁判も どこまで信用できるかという問題になりませんか? (仕事じたいは いくら集団志向でチームワークと言っても 一人ひとり個人がおこなっているというのは 大前提です)。 もっともすべては――いくら富が偏って溜まってしまうと言ってもすべては―― 等価交換をつうじてその結果を生んでいる。ということになっている。 なにかおかしい。どこかおかしい。何がおかしいか? どこがおかしいか? 本源的蓄積があったからか? 勤勉が産業を生んだのか? そのむかし国家になった途端(もしくは 国家を形成して行く過程で) たとえば巨大古墳を造ってしまった。いわば高度経済成長であった(?)。けれども これは 等価交換をつうじてそうなったのだろうか? いまも仁徳天皇陵を初めとする古墳は 私有財産である。学術調査も ほとんどままならない。 そのような古代からの財産とは別に その財産をも凌いで 勤勉市民は 産業人となったのか? 日本では 国家の政治権力とからまっていたらしい。 一人ひとりの市民発明家がそれぞれ 企業のために社会のために国のために 金銭的報酬を受けずに その仕事をのこした。それも 本源的蓄積に与かっているだろうか。それらの貢献をも――おそらく初めから無名のままであるのだろうが――いまでは ないがしろにしてしまう個人主義的私有財産主義(*)的資本主義に片向いて行くのだろうか? ほかの国はいざ知らず 日本人はそうでなかったはずではないか。日本資本主義 ここにありと言って行ってもよいのではないか? それとも 諸行無常 なにごともほろびゆくものだろうか? * 私有財産主義的:これは いわゆる《自我》ということばが この個人主義を 人びとに納得の行く妥当性のあるかたちをとることなく 勝手に増長させて来ているのではないか? (個人ないし家族の所有は 大前提です。それゆえ そこにも社会性があるという見方です。この見方をこわして来ているのではないかと)。