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健康障害の及ぼす影響について
健康障害の及ぼす影響について発達段階と関連付けて説明するという課題があります。老年期の発達課題、発達段階は調べました。 発達課題は、統合性である。この時期は、人間の生涯を完結する重要な時である。今までの自分のライフワークや生活を総合的に評価し直すという営みを通して、自分の人生を受け入れて、肯定的に統合しなければならない。統合性を獲得することができれば、心理面の安定が得られ、人間的な円熟や平安の境地が達成される。しかし、この課題に失敗すると、後悔や挫折感を経験することの方が多くなる。すなわち、自分の人生を振り返って絶望を感じることになる。 発達段階は、子育てが終わったり退職したり、公私に渡って役割の方向の転換を迫られる時期である。また、自分の死を受け入れる準備をする時期である。 この時期の危機は<統合性>と<絶望>である。人生の完成に当たって、今まで獲得してきた同一性を振り返る。そして「自分自身のただ一つのライフ・サイクル」「自分のライフ・サイクルにとって存在しなければならないし、どうしても代理のきかない存在として重要な人物」「自分の人生は自分自身の責任であるという事実」39を受け入れなければならない。 なのですが、認知症の場合、発達段階、発達課題を遂行するのは難しく、自分が重要な存在と感じているのか。健康障害が認知症の方にどのような影響を及ぼしているのか分かりません。 認知症で寝たきりという健康障害は、対象にどのような影響が出てくるのか、 どのように考えていけば発達課題と関連付けて説明できるのでしょうか。 なんでも良いので意見を聞かせてください。
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- tumaritou1
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健康障害という場合には、三つに大別可能と考えられます。是は認知障害以前の問題として考えて見た方が全体を把握しやすと思いますので、全体性の把握と言う観点から健康障害と云う事を説明します。 健康であるのかの証明は精密検査において可能ですので、ここに書く事は精密検査をしても何処にも異常が無いにも拘らず『自分で健康状態を異常として訴えている場合のみ』を書いてみます。 こういう意味においての健康状態では『検査をした場合には異常が無い点で』健康と言う結論がでています。と云う事は健康にも拘らず『異常感や違和感』を抱いている例になってしまいますが、こういう場合は『自分で異常感や症状を、頭の中で作り出して自分が、その症状を感じている事』を意味します。 如何云う訳でこういう事になるのかを、脳の機能として説明します。それは人間の脳内に二つの意識が存在しているからです。人間の脳の機能の説明です。ウイキペデアからです。 ”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。” 自我意識は『顕在意識や自我意識』と言われている意識ですが、その機能は言葉にして感情やその他の事を理解する機能です。 右脳の意識は『命そのものの働きとして、生命を維持する機能です。』そうして言葉を持っていない事がその特徴です。先ほど書いた『健康障害』に付いての原因を作っている張本人です。 右脳の意識は『無意識の人間や無意識的な時の人間の』体の機能も、行動面も、精神面も全て支配している存在です。この事の理解が出来ているのか出来ていないのかが『健康障害』と云う事の理解に非常に重要な位置を占めています。 普通の人間は『意識する自分』と『無意識の時の自分』の境目が分りません。意識の切り替わりは『分らないように巧妙に出来ています。』この判らない場合を健常者と言っています。 右脳の意識は『人間の生命活動のいかなる分野』にも関わっています。自我意識も同じですが、自我意識はその監視役として働いています。 人間の性格として『不安になり易いとか、神経質な性格』と言う場合は、この二つの意識の違いに気が付いた人と言う言い方が出来ます。 この気が付いた内容がその症状名になっている事が分るからです。 大別した場合に『生命体としての機能』に違和感を抱いたり疑う場合に、体の機能の異常が訴えられています。大抵は自律神経や交感神経や副交感神経の場合が多いですが、腰や肩や腕や指などにも異常感を感じる場合も在るようです。 この自分の体の機能に『違和感を抱く事によって、症状として感じる場合を』自律神経失調症と診断しています。 『生命体としての行動面の異常』として訴えている場合は、その異常感の克服をするために自問自答や強迫観念が強くなっています、何故なら『自分の行動面において疑いを抱いているからです。』その疑いを克服するために、自分自身の全てを注ぎ込んで『内部抗争に明け暮れる事になることから』行動面では行動出来難くなって、生き難い思いが募る事になります。行動面を疑う場合を、神経症と診断しています。 『生命体としての心や精神面を疑う場合、精神や心が異常なのでは無いか』と訴える事になりますが、この訴える内容が『症状名』になっています。この場合が心や精神を病むといっています。 この三つの健康障害には共通点が在ります、それは何処にも異常が見つけられない事です。それは頭の中で作られているからです。そういう場合を妄想と言っていますが、本人は『現実にその症状として感じています』 そういう事が現実に現れる背景を書いてみます。それは人間の脳内の二つの意識の情報交換を間違って受取っているためですが、その情報交換のやり取りをしている動画を乗せて見ます。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM この動画から読み解く事は、自我意識と、右脳の意識の機能が違っている事です。自我意識には湧き上がる感情を『只受取るのみ』と云う事です。 脳梁から伝えられる情報を嫌って受取ろうとしない場合が『健康障害』の元になっている事を意味します。 自我意識は感情が沸かせられている側の意識という事になります。暑いところにいた場合では、汗を流す仕組みと涼しい所や冷たい飲み物を探す様に支持を出しています。 排便をするような指示も出しています。高いところやスピードを出し過ぎた場合では、怖いと言う感情を湧きあがらせながら具体的な高さの把握やスピードに付いても教えています。 これ等の情報の受取りを拒否する場合が『恐怖症』と云う事になります。高いところの情報の受け取りの拒否が『高所恐怖症』人に会った印象と言う情報の受け取りの拒否が『対人恐怖症』と言う具合です。 右脳の人格は仏教では仏や仏性に当たります。キリスト教では神です。 自我意識が一人で暴走している場合には、右脳の意識がその暴走を止めに入ります。それが『漠然とした不安や生き難い想い』です。この三つの健康障害に共通する事が、この『漠然とした不安や生き難い想いです。』 この解消方法が『心の矛盾の解消』です。仏教的な言い回しをするなら『感情を湧き上がらせている者と仲直りをする事』です。この場合を生死の問題が解決したと言う表現です。キリスト教も同じです、神と和解するです。 その結果も同じです。自我が一歩引いて生きると言う意味です。『命の働きのの前にでしゃばらない生き方』です。 脳科学の観点から書くならば、右脳と左脳の間にホットラインが構築される事によって、二度と二つの意識の間には『齟齬』が生じなくなると言う意味です。心は二度と争う事が無くなるというほどの意味です。 涅槃と言う場合の心持です、心が幼子のように『静かになる』と言う意味です。 そうなった場合には現実の目の前と、『頭の中の世界が』一つのものになると言う意味になります。 三つの健康障害が完治するという意味です。何故ならば始めから何処も悪くなかった事を了解するだけだからです。 今の医学は妄想の研究をしているように見えますが如何でしょうか?