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卑弥呼と日巫女について
- 卑弥呼と日巫女について、俗説です。
- アマテラスは日の神なので、その系統を組んでいるかと思うのですが、皆さんはどう思いますか?なにやら、天文学者が、シュミレーションして日食が卑弥呼の時代に起きたという説があります。これを天の岩戸伝説と重ね合わせ、卑弥呼は岩戸の中で政治不振から処刑されたとういう説もありますが、、、
- また、征服王朝の応神天皇が宇佐八幡で、比売大神を監視する役割を果たしているという解釈もあります。邪馬台国宇佐説では、比売大神の三人の姫のうち、一人が卑弥呼?もしくは、卑弥呼の子供?という説もあります。卑弥呼が日巫女なら、この三人の姫のうち一人が日巫女を継承して間違いないと思うので、おもしろく感じるのですが、、、皆さんそれぞれの意見を聞かせてください。もちろん、歴史とは、書いて字のごとく史料の歴なので、史料に無いことは歴史では無いということは、重々承知しています。俗説大好きなので、皆様の意見をお聞かせ下さい。
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まあ、色々な説があるわけですが、どれもこれも他の説を圧倒するほどの根拠に欠けるのが問題なわけで、古墳やら神社やら天皇陵でもっと学術調査や発掘調査が行われない限りは、これ以上どうにもならない問題だと思います。 まあ、それはおいといて・・・ 宇佐が邪馬台国で、比売大神が卑弥呼だというのは高木彬光氏が30年以上前に「邪馬台国の秘密」で発表しているわけですが、宇佐を邪馬台国とするのはともかく、宇佐神宮と比売大神を卑弥呼に結び付けるのは、どうかなと思っています。 ましてや比売大神を応神天皇が監視するというのは今一つ納得し難いのですが。 何故なら宇佐神宮は確かに古いですが、その応神天皇を祭る第一之御殿ができたのは725年で、比売大神を祭る第二之御殿ができたのは731年で、神功皇后を祭る第三之御殿ができたのは823年です。 つまり応神天皇が先に祭られ、比売大神は後から祭られています。監視する側が先に建てられ、監視される側が後から建てられるものでしょうか。 しかも宇佐神宮の公式な見解では比売大神は宗像三女神としています。 そうだとしたら宗像三女神を祭っていて、宇佐神宮よりも100年以上早く、勅許を得て建てられた厳島神社はどうなるの?それより古い宗像神社はどうなるの?というわけで、こうした宇佐神宮よりも古くから宗像三女神をお祭りしている神社にはなぜ監視役が置かれていないの?という疑問が浮かびます。 そもそも宇佐神宮は卑弥呼の時代より約500年も経ってから建てられています。そんなに経ってから征服した相手を手厚く祭るでしょうか。監視するでしょうか。ヤマトに敵対したというなら土蜘蛛や熊襲もそうですが、どちらも比売大神ほどには祭られていません。 卑弥呼をヤマトの敵対勢力として見る場合、比売大神として祭るのは私個人としては今一つ納得のいかないものがあるのですが。 比売大神と卑弥呼が同一だとして、ヤマトの敵対勢力ではなく、ヤマトに連なる者、協力者であったから宇佐神宮、厳島、宗像神社で祭られたという方が、まだ納得がいくように思います。神話もそれを示しているように思います。宗像三女神はアマテラスとスサノオの関係から生まれているのですから。 ただ、どちらかというと私は卑弥呼と比売大神(宗像三女神)はその言い伝え、信仰の性格から別人ではないかと思っています。 また、宇佐神宮が建てられたのは第45代の聖武天皇の時代です。長屋王らが大きな力を持ち必ずしも政情の安定していない時であり、そのような時に、聖武天皇の命により宇佐神宮は建てられました。 もしかしたら聖武天皇は反乱が起きて伊勢神宮という大事な天皇家の宗廟を奪われ敵にその権威・神託を利用された場合を考えてその対策として宇佐神宮を建てたのではないかと私個人は考えています。伊勢神宮を奪われた場合、遠方の九州に、九州に縁のある武の王たる応神天皇を祭った宗廟を建ておき、いざという時はその権威・神託を利用しようとしたのではないかと、私個人は思っているのですが。後に長屋王の反乱はあったわけですし。 比売大神については神社側がより一層繁栄するために土着の信仰を取り入れたのではないか、100年以上経って神功皇后を新たに祭ったのも、栄える手立てに使ったのではないかと思っているのですが。 つまり、私としては宇佐に邪馬台国があったかもしれないが、宇佐神宮、比売大伸は卑弥呼とは関係ないのではないかと思っています。 まあ、私個人の推測ですから間違っているかもしれませんが。 正直、卑弥呼は神功皇后説、熊襲の女酋長説、倭姫説など数多くあり、誰であってもおかしくないような気はします。 邪馬台国の位置にしても宇佐の隣の中津、宇佐の南の別府、宇佐近くの国東半島と、宇佐近くだけでも色々と言われています。というか、九州の場合、邪馬台国があったかもしれない土地ばかりで、そうでない土地を捜す方が大変なような気もしますが。 まあ宇佐市が邪馬台国で、私の考えが間違ってて比売大神が卑弥呼であったとしても、それはそれでよいと思います。一度は宇佐市で開かれている邪馬台国論争大会というのにも出席してみたいとは思っているのですが、遠くて無理なのが残念です。 まあ、私が死ぬ前には何とか邪馬台国の位置だけでも判明しないかと祈っています。
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- 41457
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その「 黒住教 」とは、黒住宗忠、教祖ですが、太陽を飲み込んだとして始まります。 宗忠は、戦乱で、自害して果て、江戸時代末期の教派神道は教勢を拡大できずに終わりました。 京都と岡山に、宗忠神社・宗忠ゆかりの神社が有ります。 * 岡山には、宗忠が宮司を務めた、今村宮も有ります。 黒住ゆかりの子孫ですので、今は、教えとは離れて暮らします。 自害して果てた故。 帝は、冷たく、禁圧で応じたのです。それが、惟神です。これは、太陽神信仰には無い。これを飲まされて、自害するのです。
お礼
たびたび回答ありがとうございます。 「惟神」とは、「かんながら」では無いのですね。 それとも、「かんながら」はネットで調べると「神の御心のままに」でしたので、太陽神信仰に敵対する者に無理矢理従わせる為に「踏み絵」のように、それを飲ませたんですね。こころが太陽神信仰に染まるのを防ぐため、自害という道をたどったと理解してもよろしいでしょうか? なんにしても、あなた様の先祖は壮絶な戦いを繰り広げていたんですね。日本では宗教戦争は江戸時代初期にある程度決着がついていたと思っていましたが、よく考えるとそんなに単純な話では無いですよね。 現代の日本でも、政治が乱れ抑止力を失うと、宗教間の争いは表面化するに違いないですね。あらためて、宗教は本当に恐ろしく感じます。
- 41457
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映画「 ジパング 」が、それっぽい事を見せていました。 さて、比売大神は、復活の女神で、その内の誰かが卑弥呼ではないかと思います。 天照大神は、孫娘でもよいと思われます。が、「 黒住教 」が、惟神を、飲まされている。嫁でもいい訳です。 公武合体の話し、宣下からすると、たかが、将軍に姫を送るとは思えぬ。 そこで、「 王家の犬 」から見る、「 王家 」とは、征夷大将軍その人ではないかと。 つまり、天皇家は既に絶家ではないかと思うのです。孝明天皇で終わり、新王朝が、明治皇室であろうと。
お礼
回答ありがとうございます。 私には、勉強不足で良くわかりません。 黒住経とは如何や? アマテラスを信仰しているのはわかったけど、、、 >惟神を、飲まされている。嫁でもいい訳です。 かんながらを飲まされている?ということは、神を宿っているということ? 旧約聖書なんかにもでてくる預言者のこと? すみません。宗教は良くわかりません。仏教学んだことありますけど、、 >公武合体の話し、宣下からすると、たかが、将軍に姫を送るとは思えぬ。 そこで、「 王家の犬 」から見る、「 王家 」とは、征夷大将軍その人ではないかと。 つまり、天皇家は既に絶家ではないかと思うのです。孝明天皇で終わり、新王朝が、明治皇室であろうと。 絶家どころか三王朝説を唱える人もいますし、天武朝も実は皇族で無かったと言う人(←天皇家)もいます。天皇家は、その権威で儲ける人がいる限り「万世一系」だと思います。
日巫女が、おそらく近代史に登場する女官。 卑弥呼が、侵略者なのでは? 卑(怯な)弥(生人)を呼ぶ、で充てられていたりして。 日本史は、天皇家や宮内庁を中心に構成されたインチキな書簡であり、史実を書き綴られた 竹内文書の多数(千冊あまり)は旧日本軍によって灰になっています。 そこに天皇の素性が明記されていた筈。 藤原 不比等の悪戯書きだけ残っていても役に立たず、日本書紀、古事記。 どの道、昭和天皇は契約の箱を見付けられなかったと言う史実が世界史に書き込まれた。
お礼
回答ありがとうございます。うーん。おもしろいですが、卑弥呼はあくまで、中国の魏で書かれた言葉なので、彼らのご立派な中華思想により、卑弥呼も犬畜生扱いだったのでは?藤原不比等の悪戯書きというより、権力者に媚を売る為に編纂した、、、悪戯書きと言われれば悪戯書きですね。 >昭和天皇は契約の箱を見付けられなかったと言う史実が世界史に書き込まれた。 って言うのは本当ですか。ということは当時の日本は、世界中で関心が高かったってことなんですね。
- onbase koubou(@onbase)
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邪馬台国所在地論争は百花繚乱です。 わずかでかつ概要しか書かれていない魏志東夷伝倭人条だけでは特定することは無理ですし、考古学的手法では状況証拠でしか追及できないのでこれも特定・断定するのは困難です。 「アマテラス」についても8世紀に編纂された時点での思想ですからそこから500年前の状況をどれだけ反映していたかはわかならないでしょう。 ●俗説大好きなので、皆様の意見をお聞かせ下さい。 ○読み方も近いですし、そう主張する人もいますから歴史学から離れてフィクション(俗説)でなら面白いとは思います。
お礼
回答ありがとうございます。そうですよね。なにか文献か石碑か大量に出土しないですかね。たとえば、桓武天皇が燃やしたという天皇家のルーツとか、実は燃やされず保管されていた。なんてことにはならないかな?
- ota58
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卑弥呼と天皇を結びつけようとするから話が難しくなるわけで、ある地の部族長程度だと思えば、九州でも大和でも四国だろうとどこでもいい話です。 倭人伝でいう美人だったから鏡を遣ったですむことです。 現在皇記2700年、つまり西暦700年当時の天皇の命令で作った日本書紀または古事記の年代に紀元前700年の日本から調査する自体が無理です。 現在の科学をもってしても忠臣蔵の実際を調べろといっても無理、たかが明治初期のことを偽りなく調べろといっても無理があります。
お礼
回答ありがとうございます。ご意見いただき感謝しています。
補足
回答ありがとうございます。そうですね。無理があるのは当然です。でも、こういう仮設(俗説)からエジプトの王家の墓が見つかったりしているので、あながち無駄では無いと思います。とかいっても、一般人の私が調査することなんて、まず皆無ですけど。すみません。俗説好きなので、、、
お礼
回答ありがとうございます。 貴重な意見ありがとうございました。邪馬台国論争大会。観てみたいですね。私なんかあっちの意見にフラフラこっちの意見にフラフラで、影響されまくりになると思います。 >私が死ぬ前には何とか邪馬台国の位置だけでも判明しないかと祈っています。 私も切に願います。