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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:邪馬台国の卑弥呼とは?)

邪馬台国の卑弥呼とは?

このQ&Aのポイント
  • 邪馬台国は、中国側に記述がありながら、日本側には未だ記述が見つからない存在です。当時の朝廷や権力者の関与は考えにくく、卑弥呼自体は偽物が作りあげた架空の人物と言われています。
  • 「魏志倭人伝」においても邪馬台国について触れられていますが、所在地は変えられており、辿り着かないようにしていると考えられます。これは攻め込まれた時に敵に有利な位置を教えないための戦略だと言えます。
  • しかし、邪馬台国についてはまだ解明されていない部分が多く、皆さんの見解も知りたいと思っています。歴史や戦国武将に興味を持っている方々の意見をお聞かせください。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

bigroupさん、こんにちは。  かつて大和朝廷に反抗した豪族の中には女酋を首長に置く地域が少なくありませんでした。殊に九州にはそんな痕跡が多く残っています。彼女らは朝廷から「土蜘蛛」と呼ばれていました。  http://lunabura.exblog.jp/16895784/  田油津姫(たぶらつ)または葛築目    http://lunabura.exblog.jp/20570068/  神夏磯姫(かむなそ)  http://blog.goo.ne.jp/nimojero/e/bbb710a7953b9a1f190e197ab11ebf48  八女津媛(やめつ)  本居宣長は筑紫あたりの(?)女酋が国王を僭称し魏に使いを送ったのではないか、という見方をしています。将来邪馬台国が同定されるとしても、祭祀遺構がポツンとあるだけ、ではないかと思っています。

bigroup
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自分もこの考えに近いかも知れません。反朝廷で大陸から認めてもらうのに、民族が作り上げた人物。 女酋長は居ただろう、けど大陸から認めてもらうのに物足りない。 そこで天照大御神や、壮大な話を参考に 使者に伝え、大陸から認めてもらおうとしたのかな。

その他の回答 (9)

回答No.10

日本の古代史の記録がないのは「記録は死んだ言葉・話した言葉は生きた言葉」との考えがあったからと聞いたことがあります。 言霊ってそうゆう意味なのかなとも思いました。 言葉を記録しだしたのは、「仏教(お経)」伝来のころだという人もいます。 倭国には当時「卑弥呼」がいた国と同じ規模の国が多くあり、戦乱の世の中だったとの仮説があります。(九州・近畿・東北に古代の巨大建造物の複製があると思った。)時代は下りますが、白村江の戦いでは、日本軍の統率がとれず壊滅状態になり、国を統一する機運が高まったのではとの意見もあります。

bigroup
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 当時は戦乱の世の中、まだ一つにまとまっていない状態だと思います。 今も昔も「騙し討ち」や「謀叛」は普通にあったと思います。

回答No.9

まぁ神話の登場人物ですからねw 系図によると天皇の姉ですが 果たして? ヤマトタケルとか聖徳太子みたいな 複数の人物の英雄の話を集めて勇者として作られた人物 的な位置づけではないでしょうか? 卑弥呼はそれの女バージョンとか

bigroup
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 架空の人物かも。 何かロマンを感じますね。

回答No.8

>まず中国側に記述があって、日本側に未だ記述が見つからない。  仕方がありません。当時の日本ではまだ文字が無かったからです。 卑弥呼にしても邪馬台国にしても「卑」とか「邪」をつけるのは 中華思想から来たものです。 卑弥呼とはシャーマンであり巫女であることは明白です。 卑弥呼は日巫女であり邪馬台国は大和国でしょう。 >では「卑弥呼」とは一体誰の事か。 貴方の言われる通り文字はなくともこれほどの人物なら 口伝されるはずです。 日本の歴史書である古事記は口伝されてきたものを 文字であらわしたものです。 日本では西洋と違って、偉大な人物が死ぬと神と して崇められます。 古事記で女性、日、神(女王)を見ていくと天照大神に突き当たります。 天照大神は別名「大日孁貴神」と言います。 このことは古事記に書かれています。 この中で大と貴神は尊敬語で 日孁がいわゆる名前で孁は巫女の組み合わせ字です 日巫女です。

bigroup
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 日本側に文字が無くても、朝廷で大和の国であれば、 後世に、何かしろ伝説、言い伝えが残っても良いのでは?と考えました。

  • eroero4649
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回答No.7

当時の日本は、未開の部族です。自分たちの言葉はあるものの文字は持っていませんでした。というか、実は日本語に文字はありません。は?お前なにいってるの?といわれそうですが、漢字は中国の文字で、ひらがな、カタカナも漢字を元に作られたので日本語には(オリジナルの)文字がないのです。 「文明国では、出来事を文字に書いて残している」ということを中国から教えられて「じゃあオラっちたちの国も記録に残すべさー。これでオラっちたちも文明国の仲間入りだ」ということで作られたのが「古事記」と「日本書紀」です。ですから古事記以前の日本というのは、まあなんというか、いやそういわずにはいられないのでいいますけれど、乞食みたいなものだったのです。 未開の部族の人に「君たちはどこから来たの?」と聞いても測りの単位がある社会ではないですから「東から3日歩いてきた」くらいの答えしか返ってこないでしょう。邪馬台国と魏の出会いは、今の文明社会とアマゾンの未開の部族との出会いみたいなものですよ。一般的には文明社会側が学術的探究心のような気持ちで記録を残すことでしょう。 「邪馬台」を古代中国語で読むと、「ヤマタォ」という発音になるそうです。私はそれを知って「じゃあ、大和じゃん」と思いました。現代日本語読みにするから話がややこしくなるのですが、現代日本語で「やまたい」と読むのは基本無理があります。考古学者ってわざとそうしているのかどうか分かりませんが、国際的な視点に立って研究することを決してしない人たちです。まあきっとそういう視点が持てる人なら他の分野を研究しているんでしょうね。というわけで、邪馬台国を日本視点だけで考えてもあまり意味はないでしょうね。 卑弥呼=アマテラス説は昔からありますけれど、否定する資料もないものの肯定する資料もないのでなんともいえませんね。というのも、卑弥呼の名前が記録に残っているからといって彼女が当時の邪馬台国での歴史的カリスマだったとは限らないからです。先代の巫女のほうが当時の日本人にはカリスマだったかもしれません。 よくブッダやイエスやムハンマドなんかを架空の人物とする説が出たりしますが、架空の存在ってそこまで人々に強烈に記憶には残らないんですよ。少なくともモデルとなる人物が存在しないとね。戦国時代の話でいうと、「日本人奴隷がヨーロッパに売られた」というフェイクニュースがあります。これは私が調べたところではおそらく徳富蘇峰がでっち上げたフェイクニュースだと思うのですが(調べると全て徳富蘇峰が書いたものに当たるが、徳富蘇峰が何を読んでそれを書いたのかの資料が全く出てこない)、ネットで真実であるかのように話す人たちも少なからずいるものの、それが「事実」として認識されるには至りません。必ず私みたいな「それ、フェイクやで」って言い出す人が出てくるのです。 もちろん、伝説は伝説ですよ。でも存命中の人物でも「ファウルチップを打ったらボールが焦げる臭いがマウンドまでした」なんていう伝説をお持ちの方もいますからね・笑。 >現に「孫子の兵法」で確証済み。 日本に孫子の兵法が伝わったのはおそらく平安時代だろうといわれています。私が知る限りで孫子にまつわる日本のエピソードで一番古いのが、前九年の役のときの源義家に対して「好漢惜しむらくは兵法を知らず」といった人がいて、そのときに源義家が学んだ兵法が孫子だったといわれています。 また現代に伝わる孫子の兵法は、あの曹操が編纂させたものを原本としているそうです。つまり曹操版孫子が最古の孫子の兵法になるということですね。 古代日本史においては畿内と九州ばかりが注目されますが、私はキーになる国は出雲であると思っています。古代日本で最もテクノロジーが進んでいたのは間違いなく出雲だったはずで、その「最大の工業国」がなぜ歴史の表舞台から消されてしまったのか非常に興味深いですね。

bigroup
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 う~ん、発音から大和ですか。当時は日本に文字が無くても「古事記」や「日本書紀」の時代に、伝説や言い伝えなどで登場しても良いのではと思いました。(笑) それと「孫子の兵法」は伝わって無いのは知っています。 自分が言いたかったのは、今も大昔も、相手を騙して「騙し討ち」するなど歴史上、日常茶飯事的な事を言いたかったです。謀叛とかも当時からあったと思います。言葉足りなくてすいません。   あっそれと出雲の話も気になりますね。

回答No.5

 はじめまして。  私はそのころ、日本は小さな国の乱立状態だったと考えています。その中のどれかのお姫様のことを「卑弥呼」と表記したんでしょう。  意外と考慮されてないな、と思うのは「魏志倭人伝」を書いた人物がいい加減なやつで、大陸から東にあたる島々を回った記録をちゃんとつけてない、という可能性です。  近隣の国の名前として、漢字は忘れましたが、当時の発音で読むと「ホカタ」という発音になる国名が記載されているんだそうです。そして当時の大陸には「ハ」と発音する文字はなかったそうで。これを以て九州説の根拠としている人がいましたが、倭人伝を書いた人物が「あ、そうそう、ホカタってところも通ったなあ。どっかに入れておかなくちゃ」と、適当なことを書いた可能性だってあると思うんです。  当時の日本は小国がたくさんあるだけでしたから、その小国にしてみれば大国から大軍勢が押し寄せることは恐ろしかったでしょう。しかし当時豊かな大国の人間だった「倭人伝」の記録者から見て、日本は大軍勢を渡海させてまで欲しい土地だったでしょうか?山岳国で平地が極端に少なく農業に向かない、家畜として価値のありそうな特段の動物もいない、島国よりさらに東に広い土地があって足がかりにできるわけでもない・・・「どうでもいいや、こんな国」というのが倭人伝を書いた人の正直な気持ちだったかも知れません。  歴史的文書を、歴史的文書であるというだけで正確なものと判断するのは時として間違うと思います。

bigroup
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 当時の記録っていい加減な可能性は絶対ありますよね。しかも日本なんて、そんなに欲しい土地でもない。なるほど現実的な考えで良いと思います。 自分は、戦の駆け引きに偏っているのでしょうね。 いい加減な記録=何か理由がある。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.4

bigroup さん、こんにちは。 卑弥呼がもらったという「親魏倭王」という金印が出てくると、解明されると思うんですがね。

bigroup
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 金印が出てきたら世紀の大発見ですね。真実は一体・・・。

  • IDii24
  • ベストアンサー率24% (1597/6506)
回答No.3

卑弥呼とは姫巫女の事であり、いろいろな地方に存在があります。ですから一人ではなくたまたま大陸側から見たときに相対した姫巫女の居た場所ということになるでしょう。 邪馬台国が朝廷であったかのかもわかりません。たまたまその地方で栄えていた民族とも考えられますのでその存在に意味があるのかも良く分かりません。

bigroup
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 大陸から見ると日本なんか小国。表現の仕方を一括りにされても、おかしくないです。 民族なら熊襲が有力かも知れませんね。   

回答No.2

 日本に当時の文献がないのは、単に日本に文字が存在していなかったことが理由です。民謡や儀式などは全て口頭伝承でした。だから当時の文献は文字文化であった漢や魏などの歴史書を頼るしかないのです。  卑弥呼が実在の人物だったとして、「魏志」の中で「卑」の字を一国のリーダーの名前に使ったり、「邪」の字を国名に混ぜたりなどしているのは、中華思想を広めるために意図的に書かれたと考えられるのです。さらに邪馬台国の位置が不明であるのも、「皇帝の威光が、東夷(東方に棲む獣)にまで及んでいる」というイメージを創り上げたのです。そのため、差別的な文字を使い、位置や方角は敢えてデタラメに書いたと考えるのが自然のようです。  現在もそうですが、シナでは国が交代するたびに現権力の正当性を誇示するために、旧権力を徹底的に破壊し、関係者は全員殺戮される運命にありました。その時に歴史も新権力を称える形で書かれます。  神道の祝詞から連想すると、太古の時代には、現在の皇室の源流に当たる祖先は九州から発祥したのではないかと思われます。

bigroup
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 史実は、当時の権力者達に変えられていきますね。 自分は九州なので、邪馬台国や卑弥呼が実在したならば 九州であって欲しいです。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

そもそも日本にあったという証拠はないし、研究家たちが勝手に日本だろうと推測しているだけの話。本当のところは分からないし、多分永久にわかることは無いと思う。

bigroup
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 永久にわからないですよね。(笑) こうやって答えが無いものを、考えるって無意味かも知れませんが、なんとなく楽しいです。