• ベストアンサー

邪馬台国

邪馬台国は「ヤマタイコク」なのだから、それらもう「大和国」に他ならず、卑弥呼は、「日巫女」か「妃巫女」であり、個人名ではないでしょう。 なのに、なぜ、「いやーまだわからんよ」と往生際悪く粘る必要があるのでしょうか。 「台」は「と」とも読むらしいし。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.6

困った回答が多いですがw 邪馬台国はヤマト国ですよ。昔からそう読まれてきました、江戸時代も。ところが明治だったか昭和だったか忘れましたが、邪馬台国をヤマト国と言うと畿内ヤマト王朝や日本自体を指す国名と同じで紛らわしい、ってことでワザとヤマ”タイ”国って言うようにしたんです。これは化学を科学と紛らわしいからとバケ学と言ったりするのと同様で、それ自体は悪い発想ではないのですが、ところが松本清張が邪馬台国を一般の人にも広め、そのときこれを(学会に倣って)ヤマタイ国と読むとしたものだから、今では質問者のように邪馬台国の読みをヤマタイ国だと思いこんでいる残念な人が大半になってしまっています。 さらに卑弥呼ですが、これはヒミコとは読みません。こちらはあまり知られて居ないのですが、呼の字は当時の中国での発音は『ホ』であることが知られています。ところが、日本にはハ行の音、つまりハヒフヘホの音が無かったことも分かっています(後述)。で、時代の近い万葉集や日本書紀などを参考にして、呼の字を『ヲ(wo)』の音に当てたのだろうと推測されています。当時のヲの発音は今のオの発音になってますので、卑弥呼はヒミオなのが正しいのです。 でもってこれで、卑弥呼は発音から巫女、ってのは的外れなお話なんです。(でも巫女だったのは確かですが) 南の狗奴国の王の名が、卑弥弓呼です。卑弥呼に1字足しただけの良く似た名前です。よく似ているのは偶然ではなく、何らかの姻戚関係、あるいは少なくとも同一の文化圏内であったことが伺えます。卑弥呼の名前を語るなら、このようなことをちゃんと言えるべきです。 ハ行の音についてですが、当時の日本では今のハ行の音はパ(pa)行の音でした。パピプペポ。卑弥呼がヒミコでもヒミオでも1字目はハ行のヒじゃないか、と思ったかもしれませんが、卑の字は今でもピ(pi)と読むように、卑弥呼の当時の発音はピミオ(pimiwo)です。ピは、奈良期(前後かも?)にフィになり、江戸中期にヒになりました。なので1字目を今風にヒと読むのは良いと思います。 最後に、助言というか、魏志倭人伝ってのはたったの2000字程度で書かれたもので、読んでも1時間と掛からない(最初は対訳を読みながらで2時間くらいかもしれないが)というとっても短い文章です。一度くらいは読みましょうよ。質問を見てて一度も読んだことがないのが分かるんです。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。 教科書まで松本清張に倣ってしまうのですか?。 てことは、畿内大和国と別なんですか?。 魏志倭人伝読んでみますね。

その他の回答 (7)

回答No.8

邪馬台国の当時の中国での発音は、yamatu国です。ですので、発音的にはヤマト国となります。 従い、大和国でよろしいかと存じます。 卑弥呼の発音は、当時の中国語でヒミホとなります。 すると、卑弥呼の職業は巫女で間違いないのですが、新たに謎が湧いて来ます。 邪馬台国の位置については、諸説あります。 卑弥呼が指導者となっている邪馬台国は当初、九州にあった。しかし卑弥呼が指導者をしている頃、九州から畿内に東遷した、という説です。 魏志倭人伝では九州を指している邪馬台国。しかし、国が東遷して畿内に移動しても国名のヤマトを守り続けている。 ヤマト国は戦いを重ねる毎に支配力を増して、稲作に適した土地を求め遂には畿内に遷都を果たした、との説。 魏志倭人伝と古事記に書かれていることを正確に解釈すると、上記の通りとなるという説です。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。 なりすましか、東遷かどうなんでしょうか。

回答No.7

>魏志倭人伝読んでみますね。 ぜひ読んでみてください♪ 読めば、邪馬台国が九州にあったことは分かると思います。それを畿内などというのは、非常に恣意的・非常識な読み方をしなければならないことが分かるでしょう。 魏志倭人伝を読んだことのある人は、おそらく1000人ちょっと程度だろうと私は思っています。そしてそのほとんど9割の人は、さらっと1回読んだだけで終わっている、つまりちゃんと読み込んでいる人は100人も居ないだろうと思っています。邪馬台国とか卑弥呼とか、皆知っているのに、不思議です。 邪馬台(やまと)国と畿内ヤマト王朝の関係ですが、基本的にはつながりはありません。ではなぜ同じ名前なのかというと、畿内ヤマト王朝が三国志(魏志倭人伝)に書かれている邪馬台(やまと)国のことを知って、自分たちの王のいる国をヤマト国と読んだから同じ名前になったのです。畿内ヤマト王朝は、日本が神が創ってからずっと自分たちが支配してきたという神話を作ったのですが、中国の正史である三国志(魏志倭人伝)に倭の邪馬台国の記述を無視できなかったのです。だから自分たちがヤマト国だ、三国志(魏志倭人伝)の邪馬台(やまと)国は自分たちヤマト国のことだ、ってやった訳です。 ちなみに魏志倭人伝の行程記事ですが、2つの別々のルートがごっちゃになって書かれています。魏からの使者が2回あったことは魏志倭人伝に書かれていますが、多くの人はそれらを同一のルートだと勝手に思い込んで、行程記事がおかしいおかしいと言い続けています。おかしいのは、2つの別々のルートがごっちゃになって書かれているから当たり前なのです。それらをちゃんと分けてやれば、福岡平野ルートと佐賀平野ルートの2つに分かれて、どちらも久留米あたりに着くことが分かります。頭のすみにでも入れて、魏志倭人伝を読んでみてください。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。えー、そういう事なんですね。 ちなみに畿内ヤマトは大陸から来たのですか?。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2126/7992)
回答No.5

 邪馬台国は「ヤマタイコク」だというのは日本国内だけの話で、海外では「ジャマタイ」と呼ばれていますよね。ジャパンの起源でもありますよね。  邪馬台国も大和国も、音読みでは全然別の国で、似通っているように感じるのは現在の発音で読んでいるからで、実際は別の国と考えた方が良いでしょうね。  日本語も古代語の発音は現在とは違うわけで、現在の共通語の発音は明治時代に作られたもので、江戸時代の日本語とは異なります。江戸時代は各藩で訛りが多くて、それぞれが別の国と呼んでも良いほど発音が違っていたようです。  卑弥呼も古代語での発音は今とは違うと思います。古代語で発音してみないと意味が通じない内容もあるようですし、古代語はアジア的な発音だったはずで、現在の日本語の発音では理解出来ないものだったはずです。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。 ジャパンの語源は日本→じつぽんと聞きますが。邪馬台国がジャパンですか?。

回答No.4

『大和朝廷の他に、ヤマト・ヤマタイに近い発音をする別の滅んだクニがあった可能性を否定できない』からでしょう。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。 しかし、あたかも「邪馬台国の卑弥呼」がいたような錯覚をさせる方がかけはなれが激しいので、現状はあまりよくないと思います。

回答No.3

そもそも古事記や日本書紀に、日向(宮崎)から東遷した と書いているのだから、日向あたりが邪馬台国でしょう。 貴人の名前は直接呼ばず、「肥後守」といったように 土地の名で呼ぶのがならわしであり、日向の古代の読みは 「ヒムカ」=卑弥呼(ヒミコ)なのだから。 卑弥呼の後に男王が立ったがうまくいかず、再び立てた 女王が「伊予」なのも、そうして各地の豪族が持ち回りで 議長を務めていた事実を表しており、魏志倭人伝における 妙に長い距離も、邪馬台国「への」道のりではなく、その 合議制で成り立っている邪馬台国のテリトリーの距離だと 考えられる。 そのそも、「邪馬台国」に対して倭人が「大和」という字を あてて「ヤマト」と読ませた事実が、「邪馬台国は1つの国 ではなく、日向などの多くの小国を大きく和した、合議制の ゆるやかな連邦だという事を示していると言える。 (古代中国もそうだった) ちなみに、大陸にはない火山に対して、日本の先住民族で あった縄文人(ポリネシア系)の言葉の名残りで、アサマ (富士山も元は浅間)、アソ、アズマなど似た名前がついて いるが、ポリネシア語で「噴煙が出る」をアス(灰)マイ (~になる)と表現できる事から、古代日本語には縄文人 のポリネシア語系の言葉が残されていると考えられる。 ポリネシア文化の特徴の1つに、各戸の長が集まって村の 合議をし、村の長が集まって島の合議をし、島の長が集まっ て・・・・という具合に代表を段階的に出して合議する 「マタイ」制度がある。 ポリネシア語で、強調の接頭辞は「ア」があり、「アマタイ」 と言えば「大合議」あるいは「合議する事」といった強調 の意味になる。 中国の使節が日本の中枢を聞いた時に、「合議制(アマタイ) だ」と答えた事は想像に難くない。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。ほおー。 面白いですね。 てことはアイヌ語はポリネシア語と同一ですか?。

回答No.2

当然です。 卑弥呼は個人名ではないです、個人名でない呼び名です。 まあ役職名みたいなものです。 古代では日本では女性は本名はあかしません。 有名な女性の紫式部も個人名ではなく実際の名前はわかりません。 魏に遣わされた使者が個人名を知っているはずがないです。 また卑弥呼の漢字は中華思想によって書かれたもので 卑しいという字を名前に付けるはずがありません。 天照大神は別名「大日孁貴神」と言います。 古事記にもに日本書紀にも書かれています。 この中で大と貴神は尊敬語で 日孁がいわゆる名前で孁は巫女の組み合わせ字です。 日巫女です。 邪馬台国は近畿にあり大和国であるといのは最近の有力な学説です。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうごさいます。 つまり、卑弥呼は、アマテラスのことなんですね。アグリーです。

  • maiko0333
  • ベストアンサー率19% (839/4401)
回答No.1

そういうことをいうから「外人」と言えなくなったのを知っていますか? 日本人が「外人」というとき、「外国人」という意味ですよね。 でも、日本に来て「外人」と言われた外国人が 「外人ってなんだ。人の外だって?人間扱いしていないのか?」とお怒りモード。 どこからどう見たら 邪馬台国=大和国で、 卑弥呼=日巫女=妃巫女なのか。 そんなことを言うから中国食品という中国地方のお店が嫌中国のせいで 国としての中国と関係しているとして、閉店することになったんだよ。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

ありがとうございます。でも、ヤマトタケルノミコトも、日本武尊=倭建命じゃないですか。どこからどうみても同じじゃないのに。だから別に問題ないじゃないですか。

関連するQ&A