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昔の出会い

今はネットなど通信網が発達したおかげで世界中の人達が簡単に出会えるようになりましたね。 ではそれらが発達していなかった昔はどのように出会いを行っていたのでしょうか。 江戸時代以前の農村など、私は村全体が一つの親族、みたいなイメージなんですがどうしていたんでしょうか。

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  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.6

出会いもへったくれも、結婚式のその日に結婚相手の顔を初めて見たなんてのが今から60年くらい前では普通のことでしたよ。今と違って美人なんてのは映画スターくらいしか見る機会がなかったですし、付き合う機会もないまま大人になったのですから、結婚相手がブスだとか美人だとかいうのは比較対象がほとんどありません。 男も女も結婚しなければ生きていけない時代でした。掃除は掃除機なんてないし、洗濯も洗濯機はなく、冷蔵庫もないから食べ物の保存もできないし、ヘタすりゃご飯を炊くのも竈に火を入れなければなりません。洗濯して、掃除して、食事の用意をして後片付けすればそれで一日が暮れます。 三島由紀夫の短編「音楽」には「最近の若い奴ぁ好きな人と結婚したいとかほざいているが、結婚なんてもんは一緒に暮らしていればなんとかなるもんだから恋愛結婚だなんてわがままいってんじゃねえよ」みたいな一文が入っています。昭和39年の作品ですね。当時の保守的な人の価値観だったと思います。 円谷幸吉が自殺したのが昭和43年。その一因は好きだった女性との結婚ができなかったからです。「オリンピックがあるから結婚を2年待ってくれ」と頼んだら、その女性のお父さんが「バカいってんじゃねえ、2年も待ったらウチの娘は嫁き遅れになっちまうじゃねえか!」と激高して破談になり、その女性は(親の命令で)他の男性と結婚してしまいました。女性の平均結婚年齢が24.4歳の時代でした。 昭和の頃は、女性はよくクリスマスケーキに例えられました。いわく、「24までは高値で売れるけど、25になったら価値がなくなって投げ売りになる」 逆に言えば、出会いなんていらなかったということです。本人が努力しようがしまいが周囲(主に親)が勝手に決めてしまった(あるいは決めてくれた)のです。

tomato0810
質問者

お礼

恋愛結婚が当たり前、となったのはごくごく最近なんですね。 クリスマスケーキの例えは今でもたまに聞きますが、時代にそぐわなくなってきているかもしれませんね。

その他の回答 (6)

回答No.7

「夜這い」なんて言葉はご存じないでしょうか?  庶民にいたるまで、現代の形式でのお見合いによる婚姻が主流だったのは、近代以降~戦後の高度経済成長の中頃ぐらいでしょう。現代まで通じる(今となっては全く弱まったとはいえ)倫理観や貞操観と言ったものが近代以前から連綿と続いていてきたなんてのは全くの誤解です。  近代以前は、地域の多様性は現代とは比べ物にならないものでしたし、社会階層も分化していましたから一概には言えないのですが、農村なんかでは、一般的だったでしょうね、「夜這い」。妊娠して初めて婚姻と言うケースも当たり前。  男と女がいて、やることはやる。どんな時代でもそれは変わらないでしょう。  その手の良書を私は知らないのですが、「若衆宿」「若衆組」辺りを調べてみるのも面白いかもしれませんね。

tomato0810
質問者

お礼

「夜這い」は昔の農村に残る風習、という感じで記憶していましたが、そこまで一般的だとは思いませんでした。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

1,出会い、って男女の出会いですか? 昔は、見合いが殆どでしたよ。 愛情が結婚の絶対条件になった、なんてのは つい最近のことです。 親や親戚の人脈を使って、相手を捜したのです。 2,男女以外の出会いは、あまり無かったでしょうね。 封建時代は、土地や人民は領主の所有物みたいな ものでしたから、やたら出歩くことなど出来ません。 逃げれば罰則が待っていました。 その為、農民などは、一生その村から出たことがない、 という人も多かったのです。 後は、せいぜいお祭りですか。 伊勢参り、なんてのもありましたね。 祭りで知り合ったとなり村の若者、娘、 村名主のところへ行ったら旅の行商人が居た、とか。 村の鍛冶屋。 町なら寺子屋の同級生てのも考えられます。 農民でも、村役人ともなれば、商人や武士とも関係が あったでしょう。

tomato0810
質問者

お礼

「男女の出会い」のつもりで聞いていましたが、「男女以外の出会い」も聞けて大変良かったです。 お見合いがある分、男女の出会いの方が機会が多かったのかもしれませんね。

回答No.4

諸説あると思いますが、お見合い的なものがあったんだと思います。 今の人が、江戸時代にタイムスリップしたらどんな出会い方してたんですかね?(笑)←質問に質問返し(笑)

tomato0810
質問者

お礼

お見合いが一般的だったんですね。

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.3

村のご隠居さんや庄屋さんが結婚情報センターみたいなものなのです。親や兄が、相談するのです。「うちの娘(妹)がそろそろ年頃なのじゃが、誰か適当な若者はおらんですかな。」 その前にご隠居さんや庄屋さんが、その親や兄の家に相談事や囲碁や将棋などの目的で遊びにいった時にお茶を出したり、お菓子をだしたりする雑用を娘(妹)にさせて、さりげなく存在をアピールしておくわけです。娘(妹)もその雑用の意味が分かっているから、気がきくところや愛嬌があるところを振りまいたりします。 「そうじゃのう、おややさんだったかな。そろそろ良い相手を探してやらねばなるまいな。その話は私に預からせてもらおうか。」 ご隠居さんや庄屋さんには隣村(もいくつもあるわけが)に人脈があるわけです。隣村のご隠居さんや庄屋さんも同様に若者側の話を預かっているわけです。そうして身分、家柄、家格がつりあう相手を結びつける企画を立てます。そこでさりげなく2人を引き合わせる計画を立てます。ここが腕の見せ所。例えば○○神社が主催する奉納相撲大会に男を出場させる。女には神社の手伝い要員として送り出す。話が駄目になってもお互いが傷つくことの無い出会いを設定するのがポイントなのです。次の段階に進みます。「隣村で一週間ばかり稲刈りを手伝って欲しいといってきてるが、おややさんどうかな。」そこで、「すまねねえが、おややの奴このごろ気分がすぐれなくて。」となれば、この話はそこまで。そこで「それはありがたい。おややは最近はりきってますで。」となれば、この話は進みます。 とこんな風に段階的に話が進んでいきます。 実際にこうであったかどうかまでは分かりませんが、昔は人が仲介して出会いの場を設定していたということなのです。祭りや盆踊りや綱引き大会な喉自慢大会など、それなりに相手を探す機会もあるのです。 こんなんでイメージつかめるかな。

tomato0810
質問者

お礼

今よりも人の交流が少なかった分、祭りなどは貴重な出会いの場でもあったのですね。 そういった環境づくりをご隠居さんや庄屋さんが担っているとは思いませんでした。

  • 1951715
  • ベストアンサー率20% (124/609)
回答No.2

そうですね。あくまで想像ですが、その時代は、まず、字の読み書きができる人はごく一部の人だと思います。通信手段として手紙が書ける、読める人でなければならない。又、各街道筋で、江戸時代の大名、参勤交代での他藩の武士との出会い、交流や、宿場町の本陣、大名や豪商人、庄屋、ぐらいで農民などはその村だけで、交流というのはなかったのではないかと思います。ましてや「藩」を抜けるのは「脱藩」で死刑に相当します。江戸時代以前も、普通は金持ちでなければ旅も出来なかったと思います。

tomato0810
質問者

お礼

自由に移動も出来ないし、読み書きも出来ないと会う人間も限られてきますね。

  • GRIIMALDI
  • ベストアンサー率23% (20/85)
回答No.1

基本的にお見合いがほとんどだったかな? お家同士で許婚きめてたり

tomato0810
質問者

お礼

やっぱりお見合いがほとんどだったのでしょうか。

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