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昔の人の授乳について。

昔の人の授乳について。 昔の人は、母親が亡くなった赤子に何を飲ませて育てていたんでしょうか。 ここでいう昔とは、粉ミルクもなければ医療も発達していない、江戸時代とか室町時代のことです。 少し調べていたんですけど、乳母を探して乳母に頼んでいたケースがよく見つかりました。 でも、誰もが代理の母に授乳をしてもらえた訳ではないですよね? その場合は一体、何を与えられていたんでしょうか。 重湯?牛乳? 気になったので、ご存じの方は回答をお願いします。

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  • asebi-0806
  • ベストアンサー率39% (1265/3233)
回答No.1

私の義母(夫の母)は戦時中に生まれました。 いろいろと事情があり生まれてすぐに実母と離され、養母に育てられました。 養母は当然母乳は出ないし、物がなくミルクも満足に手に入らなかったそうです。 それでミルク代わりに飲まされたのが米のとぎ汁だったと聞いています。 実はほかでも米のとぎ汁を赤ん坊に飲ませたという話は聞いたことがあります。 義母はそのせいで虚弱体質になったと言っており、実際に血液の濃度が薄い?とかで貧血もちです。 本当にそのせいなのかはわかりませんが、十分な栄養を乳児のときに摂れなかったのは確かなのでしょう。 それにしても江戸時代や室町時代では哺乳瓶すらもなかったことでしょう。 もらい乳をして生きのびられた子供は幸運だったでしょうが、1歳未満の乳児の死亡率が今では考えられないほど高かった理由の一つに母親の産褥死も含まれるでしょう。 感染症に対しての対策がほどんどできなかった時代ですから、産後の感染症で亡くなる母親も多かったことでしょう。 無事に産まれても感染症により命を落とす赤ん坊も多かったでしょう。 乳児の一年後生存率は4分の1ほどだったと何かで読んだことがあります。 たとえ母親が健在であっても栄養状態の悪さから満足に母乳の出ない母親も多かったでしょう。 牛やヤギなどを飼っていればその乳を飲ませることもあったでしょうが、数としてそう多いケースではなかったでしょう。 白米自体を口にできる庶民も少なかった時代です。 やはり米のとぎ汁や重湯程度が精いっぱいだったのではないでしょうか。 赤ん坊が無事に生まれ無事に育つのが当たり前のように認識する事は、たとえ現代であっても間違っているのかも知れませんね。 そういう意識が子供の虐待増加の一因であるのかも、と蛇足ながら思います。

kurusutown
質問者

お礼

お礼が遅くなりましてすみません。 とても詳しい回答をありがとうございます! そうですか、やっぱり米から出た栄養素を何らかの方法で与えていたのですね。 ただ、よく考えれば、asebi-0806様のおっしゃる通り、 確かに米自体手に入らないことも多かったはず… 米があったとして、重湯だけでなく、とぎ汁を飲ませていたということにも驚きました。 今では本当に考えられませんよね。 「え?とぎ汁?」って。 これだけ色々揃ってる時代ですし、逆に今だからこそ農薬やその他の影響も考えると、 赤子にとぎ汁を飲ませるなんてことはもうないと思いますが。 だからこそ、この時代に生まれてこれたことが本当に恵まれているんだなぁと思いました。 生死、あるいは生涯に関わる問題ですしね。 改めて、回答ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • marun_2008
  • ベストアンサー率26% (268/1004)
回答No.4

うちのばあちゃん(今は90超えてますが)は 乳がよく出る人だったので近所に(あげる方で)「もらい乳」を したと言ってましたね。 「報酬として米をたくさんもらった。米よりもち米が 乳が出るようになるのに」と言ってました。 ばあちゃんの友達は「自分は乳が出なかったので、米をすり潰して 湯がいた汁を飲ませていた」と言ってました。 栄養のない戦時中でしたからねー今よりもっと乳の出ない人は いたでしょうね。 医学的にはたしか2万人に一人乳が出ないそうです。 おばあちゃんご存命でしたら一度お話聞いてみたら面白いと 思いますよ。

kurusutown
質問者

お礼

お礼が遅くなってしまいすみません。 回答ありがとうございます! marun_2008様のおばあさまは実際に「もらい乳」をなさっていたお方なのですね! やっぱり乳が必要なご家庭からはお願いをされたんですか~、 そういうのって近所で話がまわって、頼まれるものなんですかね。 そして米の種類でも乳の出が変わるとは…。 乳の変わりには、米の栄養素を諸々の方法で与えていた、とみなさんおっしゃってくれてますね。 でも、医学的に出ない人がいることは初めて知りました。 おばあちゃんは生きていますので、機会があったら聞いてみたいと思います。 改めて、回答ありがとうございました。

noname#129050
noname#129050
回答No.3

こんにちは。 >でも、誰もが代理の母に授乳をしてもらえた訳ではないですよね? 「もらい乳」で検索してみてください。普通にもらい乳をしていたと思いますよ。運良く近くであればいいですが、苦労して探し歩くこともあったのでしょう。 あとは重湯、米のとぎ汁...家畜の乳。家畜ったって、今のように酪農をしているわけではないでしょうから、乳牛というのはいませんよね。農耕馬・牛の乳、それも子馬・子牛がいるタイミングでないと乳は出ませんからね。大変ですよね。 こんな切ない民話があります。 http://www.kiryu.co.jp/kurobeinotengu/tibo/index.html

kurusutown
質問者

お礼

お礼が遅くなってしまいすみません。 回答ありがとうございます! 「もらい乳」のキーワードは頭になかったので、助かりました。 さっそく調べてみたいと思います! リンク先のページも読んでみましたが…凄いですね。 やっぱり昔は、赤子を育てるのはほんとーーに大変だったことがわかりました。 与えられるものがないなんて… それと、家畜の乳に関しても時期が関係してましたね。 すっかり失念していました。 酪農してるのは一部に限られていたでしょうし…参考になりました。 改めて、回答ありがとうございました。

  • papanda26
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回答No.2

義祖母が若い時に、近所の方が母乳が出なくて(詳しい事情は分かりませんが)他の家からヤギの乳をもらって赤ちゃんに飲ませていた。と言っていました。 実祖母の親(つまり曾祖母)世代では、米のとぎ汁を飲ませたり、同じ地域で赤ちゃんを産んだ母乳の出の良い人に分けてもらったりしていたと聞いたことがあります。 江戸時代以前のことではないので直接の回答でなく、ここからは推測にすぎないのですが 昔は1、2歳までに命を落とす赤ちゃんが今よりずっと多かったでしょうから 飲ませる赤ちゃんはいないけど母乳の出る方がいたのだと思います。 さらに今よりも子供の数も多かった&地域が密着していたでしょうから、乳母探しもそこまで難しくなかったのかもしれません。 それでも乳母がいないなどの場合は、家畜の乳を代用していたのではないでしょうか。

kurusutown
質問者

お礼

お礼が遅くなりすみません。 回答ありがとうございます! そうですね、改めて考えてみると お母さんではなく赤ちゃんが亡くなられたケースも、昔は随分と多かったんですよね。 地域密着のことも考えると、乳母も見つけられる…すごく納得しました。 乳母が見つかることは赤ちゃんにとっては助かるけど、 母乳を与えるお母さんはやっぱり複雑な気持ちだったのかなぁと思うと、 なんだかやるせないですが。 仕方ないですよね。 粉ミルクもない時代に、ヤギの乳もなんとか?利用できたようで良かったです。 改めて、回答ありがとうございました。

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