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昔の日本の世界観
いつもお世話になっております。 ふと気になったのですが、地球は丸いとか、地動説とかがハッキリわかる前…昔の日本人って、世界をどのように考えていたのでしょうか? 仏教伝来のころや、元にせめられたころ、江戸時代と、時代によって様々だったとは思いますが、いろんな時代における「世界観」についてどうか教えてください。 また、参考になるようなページなどもありましたら、勉強していきたく、よろしくお願いいたします。
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*縄文時代は記録がないので考古学、地名学、言語学などからの推定になります。当時の日本列島はメソポタミア文明の影響を受けていたようです。縄文人といえども この列島以外に優れた文明を持つ民族がいることは分かっていたでしょう。 *縄文時代の終わりから弥生時代の始めに朝鮮半島から多くの渡来人が西日本各地に来るようになり、やがて仏教が伝えられました。大和時代の人々は朝鮮、古代中国、インドまでを世界として認識していたと思われます。 *16世紀はじめにポルトガル人、やがてオランダ人、更に英国人の漂流者や交易人が現れ日本人は漢天竺の他に優れた国(世界)が存在することを知りました。彼らを通じて、当時のヨーロッパ人が認識していた世界を知ることが出来たので17世紀には世界のレベルに達していたといえるでしょう(一部の指導者層) *江戸時代には海外の物産がいろいろなルートを通じて 日本へ到着したので庶民もおぼろげながら地球上にはさまざまな国があることを知るようになりました。外国や外国産を現す言葉は時代とともに変わっています。 朝鮮・・朝鮮人参、朝鮮朝顔など 漢(唐)・・から芋、玉蜀黍(とうもろこし)漢字など 天竺・・テンジクネズミ、天竺木綿、天竺葵など 南蛮(ポルトガル・スペイン)南蛮絵、南蛮漬け、南蛮人、南蛮人がやってきた地域(フィリッピン、タイ地方)の物産も南蛮ものとよばれました。 紅毛人・・オランダ人を指す。後に欧米人もこう呼ばれました。紅毛碧眼 室町時代の人々は世界とは日本、唐、天竺の三地域から成っていると思っていたようで、「三国一の花嫁(世界一の花嫁)」という言葉が残っています。50年ぐらい前まではまだ使う人がいました。日本人は鎖国中も物品を通じてアジア、ヨーロッパと接点を保っていたにもかかわらす、精神構造は室町時代あたりで止まっていたのではないかと思われます。
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No.2補足します。 元は中国の王朝のひとつですから三国に代わりはありません。古代日本をアイヌや隼人が支配しても中国や朝鮮から見れば大和の国に違いないのと同じです。 当時は天竺、唐を冠する物は舶来品、外国産という意味であり、原産地が本当にそれらの国かどうかは関係なかったのです。ちょうど田舎のおばあちゃんがイタリア人やフランス人を見てアメリカさんだという感じで受け止めていたのでしょう。
お礼
よくわかりました。本当にありがとうございました!
- h13124
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古地図を見るとその時代の世界観の参考になるかもしれません。
お礼
早速のご返事、ありがとうございます。 リンク先の地図がすごい!貴重な資料ですね。
お礼
詳しいご説明ありがとうございます。非常~~~に参考になりました! ちょいと補足しますので、よろしければまたご教示をお願いいたします。
補足
仏教伝来後、「朝鮮、中国、インド」で三国という世界観になったとすると… 元寇の「元」なんかは、いかがなもんでしょう? これはインドや中国の一地方といった認識だったのでしょうか?