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室生犀星の抒情小曲集中の詩「流離」について

室生犀星の「抒情小曲集」という詩集の中の、「流離」という詩について質問です。 この詩の現代語訳と、文中に出てくる「すくみごゑ」とは一体何か、教えて頂けると幸いです。

みんなの回答

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.2

#1です。 >詩全体の現代語訳を教えて頂ければ幸いです。 わたしの朝のすずしいこころに あざやかな芽生えの薄緑 苦がいのだが 嬉しくも沁みて来るのだ この上ない勤しみを以て 青く静かな洋紙を確かに延べたのだ それは巡礼の歌声を聞くごとくに 私の早春(陰暦2月)の哀調であり 別れようとする古き都に 止まり得ない心でもある ああ よく晴れ上がった空の下 私の旅の終わりなのだろうか 小鳥も鳴き声を竦ませつつ消えても行くのだ 現代語に置き換えようとすると、いかにも微妙な言葉の働きが、明治45年の19歳の情感の瑞々しさと命の輝きが、日本文学のもっとも美しい青春抒情の息遣いが、すべて失せて往ってしまうことがお分かりいただけましたでしょうか。 言葉を訳して解かろうとすることは余りにも姑息でしょう。 「抒情小曲集」の示す何という感性の煌めき、感情の渇望、魂の切実な咆哮であることか。これが今の若い世代において、青春の琴線に響くとことはもはやないのでしょうか。 彼は老いていた若い身空で、君を故なく去らせるほどに。エリュアール 二十歳が人の一生で最も輝かしい時だなどと誰にも言わせまい。P・ニザン われは語らず、われは思わず、われただ限りない愛 魂の底に湧き出るを覚ゆべし。A・ランボー

mor-non-aka
質問者

お礼

ありがとうございます。 私自身の未熟さ故に、自身の感じ入った部分を、より詳細且つ明確に原文で捉える事が出来ず、また自身の現代語訳ではあまりにも稚拙な表現しか出来ずに、無粋だとは知りつつも今回このような質問をするに至ってしまいました。 趣味として読む詩は、時に不思議なほどの激情をもたらしてくれます。 もしもまだ私に青春が残っているのなら、確かにそれに響いていると思いたいです。 このような質問にも丁寧に答えて下さり、本当にありがとうございました。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.1

この「すくみごゑ」は「竦み声」とあてて、小鳥の鳴き声が徐々にか細くなっていくことを指していると思います。 春浅い朝のすずしさ、芽生えの薄緑にあって、晴れ上がった空の下、小鳥の囀りもすずやかに細鳴(さなり)消えていくごと、今「わが旅のをはりにや」と。

mor-non-aka
質問者

補足

ありがとうございます。 小鳥の姿は見えているのでしょうか。 あと、厚かましいのですが、詩全体の現代語訳を教えて頂ければ幸いです。 申し訳ありません。 お時間がありましたら、よろしくお願いします。