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この日本語は正しいですか?
『薫陶を受ける』 この言葉の前には、人物、例えば「田中先生から薫陶を受けた」と使いますね、では (1)「江戸の地で薫陶を受けた」 (2)「この校舎で薫陶を受けた」 (1)(2)は何れも日本語としておかしいですか?
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比喩的表現あるいは、人名等を列挙して補足説明を伴っていれば、日本語としてあり得ない、誤用であるとまでは言い切れないと思います。たとえば、こんな具合。 彼は江戸の地で薫陶を受けた。書はだれそれ、剣はだれそれ、茶はだれそれについた。江戸暮らしで触れ合う市井の人々の美意識、倫理観、価値観までもが彼の生き方、ものの見方に大きく影響したのである。
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>「田中先生から(江戸の地で/この校舎で)薫陶を受けた」 ○優れた人格で感化し、立派な人間を作ること。 ○人徳・品位などで人を感化し、よい方に導くこと。 ○徳の力で人を導くこと。 > (1)「江戸の地で薫陶を受けた」 (2)「この校舎で薫陶を受けた」 ○恩師の言葉を思い出して記します。 言葉は、生きている。 影響力を持つ人が使った事例を研究して初めてそれをよしとする。 だから、貴方ではダメだ! >(1)(2)は何れも日本語としておかしいですか? おかしくはありません。 文言の一端としてとらえた場合です。 従って、意味は十分には通じませんね。 逆に、どんな場面で、誰に、と想像をかき立てますね。 つまり、次にくる文言で完成させる・次来る文言を期待させる表現だと思います。
- bakansky
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(1) も (2) もともに [場所を表す名詞] + 「で」 + 「薫陶を受けた」 という共通のパターンを踏襲しており、つまり両者は [場所を表す名詞] が異なるだけに過ぎません。 さて、goo辞書の 「薫陶」 の項目を見ると、 香をたいて薫りを染み込ませ、土をこねて形を整えながら陶器を作り上げる意から という説明があります。つまり、その人の人格を形成した人の存在が前提とされていることが分ります。 ということは、「薫陶を受けた」 対象たる人は、「誰かに」 薫陶を受けた、というわけであり、その 「誰か」 を抜きにしては、表現自体が無意味な文字の羅列に過ぎないものになってしまうということになります。すなわち、「薫陶を授けた人物」 を明示せずに用いるのは不自然であるということです。 そういう語は、たとえば思いつくのは、「傘下」 という言葉があります。簡単にいうと、大きな会社の系列の下請け会社なんかは、その大きな会社の 「傘下にある」 といっていいでしょう。 その場合、単に 「A社は傘下にある」 と表現した場合、何か変だと思わないでしょうか。つまり、親になる会社が明示されずに用いられた場合、間が抜けているというか、ほとんど意味をなさない表現になってしまいます。「A社はB社の傘下にある」 としてはじめてきちんと了解されることになります。 「薫陶」 も、「傘下」 の場合のように、対象に対して影響を及ぼした存在を抜きにした表現は、文法的にはなんら問題ないにもかかわらず、不自然な表現であるといわざるを得ないと思われます。 説明がくどくなりますが、それにもかかわらず、お示しの表現で問題ない場合もあり得るのだ、ということも申し添えておく必要があろうかと思います。 それは、その文の前に、「薫陶を与えた人」 に言及してある場合です。 たとえば、「彼の師匠はその頃江戸に住んでいた。たまたま近所に住まいしたよしみで、その薫陶にあずかることになったのだ」 みたいな文があったとすると、後半だけからは 「薫陶を授けた」 人物に言及されていませんが、その前にある文の中に、当の人物に関する言及が既に行われている。 そのような場合には、不自然ではない文ということになります。
はい、おかしいです。つーか、そういった言い方はしません。 江戸の地も校舎もいい影響を受けるかどうかは当人次第、つーかニュートラルな性質を持っています。 >田中先生から薫陶を受けた 田中先生に教わり、その優れた人格からいい影響を受けた、と言う意味であり、薫陶(いい香り)をだすような立派な人物からしか薫陶を受けることは出来ません。