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初めて日本に入ってくる外国語って。。
いつも不思議に思っているのですが、初めてある国の外国語が日本に伝わって来たとき、その単語の意味はどのように知りえたんでしょうか。 最初に日本に入ってきた外国語が中国語だと仮定すると、例えば「本」という漢字(言葉)がなぜ日本語の「ホン」だと分かり、「要」は、「ヒツヨウ、カナメ」の意味だと分かったのでしょうか? また、江戸時代にオランダ語が入ってきたときも、膨大な単語の一つ一つ、それに対応する日本語の意味をどのように知りえたのでしょうか? 何でも良いですが、waarschijnlijkと言うオランダ語に初めて出くわした日本人はその意味をどのように。。。 やっぱり語学の天才やすごい人物がいて、留学などして全て学んできてしまうのでしょうか。そう言う人が辞書を作ったり?? あるいは、オランダ-中国語辞典などを利用していたのでしょうか。中国語でしたら当時の知識人は漢文としてかなりのレベルだったと思うので。 また現在学ばれている主要言語も、初めて入ってきたときはどのように日本語に翻訳されたのか。。 やはり中国語やオランダ語と、入ってきた外国語との辞書を見ながら研究でしょうかね? 私は韓国語勉強中ですが、やはり韓国語も韓中辞書みたいのを頼りに翻訳していったのかなー? 今の我々は辞書のおかげであっという間に未知の言語でもその意味を知ることが出来ますが、その辞書の無い時代にはどうだったのか、知りたいです。 それから、現在もアフリカの奥地など、知られていない言語の場合、そう言う言葉の意味はどのように知りえるのでしょうか。 なんだかまとまりのない質問になってしまいすみません。 (予想も含め)分かる範囲でお答えいただければ幸いです。
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日本の番組で、たとえばある日本の家族がアフリカの部族を訪れて、1週間程度滞在する番組などを見ていると、初めはやはり指で人や物を指して、その発音を聞き取り、自分の国の物にあてはめ自分の国の言葉(日本語だったらカタカナなど)で書いていたりします。 最初の最初は、やはりそういった個々のもの名称や意味を手探りではじめ、それを蓄積して紙や頭脳の中でデータベースを作っていくところからはじまったと思います。 その後、大量に集まった語句やセンテンスを誰かが分類・整理し、辞書や文法書が整ってくると、次第にネイティブに近い用法や慣用句、微妙な発音を相手に確かめながら修整できるようになり、さらにテキストブックや問題集などもできてくると、外国の地における外国語習得が可能になってきます。 幕末に英国から来日したアーネスト・サトーは、9ヶ月で日本語を話せるようになり通訳もできるようになったといわれていますが、当時はオランダ系の書物はあったとしても、英語そのものと日本語の対訳や辞書はなかったでしょうから、すごいことです。 彼は自分から積極的に日本人と交わっていき、日本人を観察していたことが彼の著作にも残っています。 ところで、そういった単語の収集や、辞書や文法書の充実だけで、外国語がわかるようになる人が急に増えるのだろうか、という疑問も残りますが、その答えが今日偶然に読んだNews Week誌に書いてありました。 テーマは日本人がなぜ英語の習得がへたか、しかしなぜ子どもは習得できるのか、ということでした。 ある年齢を越えた人間が外国語を習得する場合は、その文法や構造、単語の意味などを頭の中で組み立ていかないと頭脳が処理できず、処理がおいつかない場合は意味もわからない、発音もできない、となるそうです。 しかし、子どもは、その意味や構造がわかっていなくても、とりあえず目から耳からどんどん外国語の単語や文章を取り込んでいくだけで、今後は頭脳がその某大なデータベースから、言語の必要な法則性を自然に組み立てることができるそうです。これは子どもだけの能力だそうで、人によってこれができなくなる年齢は異なるようです。 ちょっと前に「小さな留学生」というドキュメンタリーがありましたが、中国から来た女の子が、たった1年で日本語がぺらぺらになったのは、この作用なのかもしれません。 つまり外国語も、もし昔のその最初の頃の時代に子どもが外国人に日常生活で接触していたり、その外国人が日本人と結婚して子どもが生まれた場合、子どもたちは自分の頭脳のデータベースから言語の法則性を引き出せるため、自然に話せるようになるわけです。 こういった人が、後の人のために言語を教えたり、通訳になったり、辞書編纂に関わったりすれば、急速な外国語の浸透もなんら不思議なことではないと思います。
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- musikayo
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福沢諭吉(だったと思うんですが)が初めて英和辞典を作ったときに、英語→オランダ語(中国語)→日本語に変換して考えたという話を聞いたことがあります。 といっても、直訳だと意味は通じないし、適した日本語がなかなかなかったらしくかなり苦労したようです。 (例えば、「自然」=natureですが、日本語には元々「自然」という考え方がなく(花は花、鳥は鳥と、ひとくくりでいえる単語がなかった)、考えに考えて「自然」になったそうです。確かに自然の意味って難しいかも) 参考までに
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- sacristain
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幕末、日本が開国して明治維新を迎え、西洋文化がどっと入ってきた時、 それまで日本語にはなかった考え方や言葉が当然、山のように入って来ました。 明治の先人達は、そのひとつひとつに「訳語」をつけてくれています。 今、私達が日常的に使っている「政治」「経済」「自由」「概念」「美術」等。 「銀行」は渋沢栄一が考案した言葉と言われてますね。 中には「自由」のように、英語のfreedomやlibertyとは違った意味の仏教用語を借用したり、 中国の文献から言葉を取った例も多いようです。 いずれにしても、日本語の場合、 明治の先人達が日本語に置き直してくれた言葉が定着して、 今の語彙に大きく貢献していると思います。
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突然ある国に外国語のある単語だけが飛び込むということは例外中の例外だと思います。言葉にはその言葉を話す民族と文化が伴います。言葉が違っても人間として基本的な発想や行動は同じですから100%理解不能ということはありえません。従って異民族同士が出会った場合、意思疎通がかなり可能です。意思疎通が出来ればやがてお互いの言葉を少しずつ理解していきます。 実際には言葉の違う異民族が出会うケースは少なく、物々交換なので顔見知りの部族が徐々に言葉も覚えていくケースと白人の世界征服、探検の例に見られるように (歴史の教科書には述べられていなくても)必ず現地人の(隣接する民族)ガイド兼通訳を伴っています。 恐らくローマ人がヨーロッパに進出したときもそうだった筈です。コロンブスが始めてカリブ海の島で原住民に 出会った時は言葉が通じなかったでしょうが、当時のヨーロッパ人は異民族との接触は、ローマ或いはそれ以前から慣れていることなのでボディランゲージで意思疎通を図っています。コルテスが20年後にメキシコのアステカ帝国を征服したときは、現在のカンクンに近い島に漂流してマヤ語を覚えたスペイン人とマヤ語とアステカ語の出来る女性を介して三言語によるコミュニケーションをしています。 書類がある場合はもっと簡単でしょう。時間をかけて あらゆる手段を使って解読することが可能だからです。 オランダ語から「解体新書」を翻訳したときの苦労話が有名です。種子島に漂着したポルトガル人、黒船のペリーなどは中国人を伴い筆談をしています。漢字が日本へ伝わるはるか前から大陸と日本人は交流しているので、 ある日突然漢字と漢語に接したわけではない筈です。 知られざる民族と接する場合 まず知らないのは遠くの民族(例えばヨーロッパ人)であり、隣村の部族は知っている訳です。従って彼らを通じて意思疎通は可能です。現にブラジルではアマゾンの奥地の原住民とそのように接してきています。 意思疎通とは必ずしも言葉が出来ることではありません。最初は敵意がないことを理解させるだけで十分です。一旦接触が出来れば時間が解決します。
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これは バイリンガルの人たちに負うところが大きいと思います。中国語なら、中国留学から帰ってきた日本人と日本在留の中国人がおります。 >現在もアフリカの奥地など、知られていない言語の場合、そう言う言葉の意味はどのように知りえるのでしょうか。 これは英語・スワヒリ語、フランス語・ハウサ語というように2ヶ国語を介在する場合も多いですね。
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