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神護寺の国宝の頼朝像の制作年代について。
鎌倉時代の作とされる神護寺の頼朝像が、本当は南北朝以降に足利直義を描いた像である、との説が出されたことがありますが、その後、その説の評価はどうなったのでしょうか? 昨日、美術館に行ったら、頼朝像の模写が展示されており、原画が「鎌倉時代」となっていました。 学会では南北朝説は認められていないのでしょうか、それとも、やはり鎌倉時代である有力な根拠でも見つかったのでしょうか?
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- TANUHACHI
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こんばんは。京都高雄の神護寺に所蔵されている「伝・源頼朝像」の製作に関する議論ですが、歴史学の立場から一言申し述べさせていただきます。 この作品の成立年代は (1)12世紀の似絵画家藤原隆信による作品。 (2)鎌倉末から南北朝期の作品。 との二種類の見解に分かれ、御指摘のとおり後者は1995年美術史家の米倉迪夫により提起され中世史研究者の黒田日出男によって補完された見解です。 現在の歴史学界ではこの米倉説が有力で、美術館等に展示されている説明は、その作品の元々の伝来及び保存先である寺社に伝わる縁起などから記されるケースもあります。 歴史学では図像資料と文献資料の厳密な照合等の史料批判(テクスト・クリティーク)が重視されます。たとえ対象が肖像画であっても、それに関する文献との照合やらそれが描かれている材質を分析することで成立年代をある程度のスパンの中で決めることも可能です。これに対し異見を主張する方々は専ら「絵の画風」などの主観的要素に依存する部分が多く必ずしも説得力のある対論とは見なされません。 もし本当に決着を付けるのであれば、作品に使用されている顔料及び紙を分析することで年代確定も可能でしょう。けれどもそれを拒否するのは他ならぬ所有者の「神護寺」だけです。寺宝とはいえ現在は国宝指定も受けているのですから国民の共用財産のはずであり、国民はそれについて知る権利を有していることにもなります。了見の狭い寺社にも困ったモノです。