勝海舟の人物像
幕末・維新の簡単な通史を読むと、勝海舟について、概略、以下のようなことが出てきます。
(1)ペリー艦隊の来航(いわゆる黒船来航)時に、海防に関する意見書を提出した。
(2)幕府の遣米使節派遣時に、護衛と言う名目で咸臨丸も渡航し、遣米使節の補充員として乗船した。
(3)徳川慶喜に第二次長州征伐の停戦交渉を任される。勝は単身で談判に臨み長州の説得に成功した。
(4)明治元年、官軍の東征が始まると、旧幕府方を代表する役割を担う。早期停戦と江戸城の無血開城を主張、歴史的な和平交渉をなしとげる。
(5)明治維新後は、参議、海軍卿、枢密顧問官を歴任し、伯爵に叙せられた。
しかし、何故か、勝海舟の人物像というのが浮かんできません。勝海舟を主題にした小説を読んでいないからだと思いますが、幕末・維新史への登場が断片的な気がするのです。
ウィキの記述や参考書から、その人物像の一端を、私なりに整理してみました。(下記)
(1) 幕府の要人でありながら、明治32年まで生きたということは、それなりに世渡りが上手かったのか?そのことが、関連するかどうかは分かりませんが、旧幕臣の代表的人物でありながら、なぜか榎本武揚をはじめとした旧幕臣からの信頼も薄いようにも見受けられます。徳川慶喜の信頼は厚かったようですが。
(2) 『明治維新後改名して安芳。勝本人は「アホウ」とも読めると言っている。』……発言の意図は分からないが、多少のユーモアのセンスがあるのか?あるいは、卑下しなければならないような理由・経歴があるのか?
(3) 神戸の港湾としての発展を見越して、付近の住民に土地の買占めを勧め、勝自身も土地を買っていた……お金に無頓着ではなかったということか?
(4) 徳川家の取扱いに関する交渉に当たり、江戸の町もろとも敵軍を殲滅させる焦土作戦の準備をして西郷に決断を迫った。……外交的、戦略的センスがある人物か?
(5) 旧幕臣たちによる「徳川氏実録」の編纂計画を向山黄村を使い妨害している。……幕府の要人であったにもかかわらず、このような行動をするということは、彼の活動の中に、何か後ろめたいものがあるのか?
(6) 「氷川の大法螺吹き」となじられることもあった。……(4)とも関連するが、適切な表現が見つかりませんが、「見栄っ張り」の性格を持っていたのか?
ここで質問なのですが、
(1) 勝海舟の人物像として、上記の(1)~(6)について、どう思いますか?
(2) 勝海舟の人物像について、あなたが知っていること、考えていることを教えて下さい。
(3) 勝海舟の人物像がよく理解できる小説をご存じであれば、紹介して下さい。
ご回答は、上記(1)~(3)の一つだけでもかまいません。
お礼
早々にご回答戴き有難うございました。CiNiiと大学図書館で関連した記事が出てきました。 大学図書館はこれからコンタクトしてみたいと思います。 厚く御礼申し上げます。