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実践理性批判について
先日、古本屋でカントの「実践理性批判」を見つけて、ひまなときにでもと、買って置きましたが、感性を快・不快の一種類と述べるなど、興味深い文章なので真面目に読んで見ようかと思っています。 そこでお聞きしたいのですが、カントの哲学は、現在の生理学や遺伝子学の発達による、新しい発見との整合性に問題点は起きていないでしょうか。 100円一寸で今年一杯持ちそうなのに、贅沢を言っている私をお許しください。
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こんばんは、いい買い物をしましたね。 わずか数百円あるいは100円で、あらゆる現代思想の根底となっているカント自身の哲学に触れることができると同時に、時間を有効に使えるというのは大変幸せなことです。 さて、中島 義道氏のカントの人間学についての本が何年か前に出たと思いますが、現代において生理学や遺伝子学が如何に発展しようとも、カントの感性の学に問題があるとは思われません。 「快か不快かの感情」(Gefuehl der Lust oder Unlust)は、おっしゃられるように「感性」の問題なので、後の『判断力批判』(1790年)では「感性の学」(エステティク)として美について論じられます。この「エステティク」が日本語では美学と訳されています。 つまりカントのテーマは、最終的には芸術の哲学となるので、「感性」の問題では、「身体」が生理的に欲求するものと「理性」が道徳的に(精神的に)要求することが相違しているという点が解れば良いのでしょう。 もちろん、当時の生理学の確立者であるハラーの学説がこの約200年間のうちに批判されてきたことはあるでしょう。しかし基本的には、精神の快が体調を良くして、反対にストレスで身体が不調になるということ、あるいは、勉強したいと思っていても、睡魔には敵わないなど、日常の生理学は今でも同じですよね。 私が言えるのはこれくらいです
お礼
ご回答有難うございます。 >「身体」が生理的に欲求するものと「理性」が道徳的に(精神的に)要求することが相違しているという点が解れば良いのでしょう。 これって難しいことですよね、解説にも理性の二通りの使用方法があるなんて書いて有りましたが、「本当の私はどっち」て考えてしまいそうで。 睡魔は私自身か、睡魔と怠惰に負けずに最後まで読めるようがんばって見ます。 それにしても、200年以上も耐えられる創造物が100円チョイ、200年前の人には想像できなかったことでしょう。有り難い事です。