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実践理性批判3
お世話になります。おかげさまで、カントを一冊読むことが出来ました、理解できたかどうかは、また別の話と言うことで(笑 印象としてはキツネに化かされたような感じでしょうか。内容に関しては何が分らないかも分らないような状態です。 そこで、個人的な関心事が、カントとアダム・スミスの関係です。 アダム.スミス 道徳感情論初版1759 国富論1776 道徳感情論6版1790 カント 純粋理性批判1781 実践理性批判1788 判断力批判1790 イギリスとドイツ、遠く離れていましたが、ほぼ同時代の人です、カントの中には経験論(一般的な道徳感情をふくむ)に対する確信的な批判がありますが、私の乏しい知識ではカントがスミスの利益を善とする考えに対して強烈な批判しているような気がします。 カントはスミスの存在を知っていたのでしょうか。 スミスが社会に受け入れられ、経済的発展を促進し、カントは哲学を結果として学問の精密性の中に閉じ込めてしまったような気がします。 もはや、歴史の問題かもしれませんが、学問や知識は人間の心が変えたのか、それとも、人間の心の変化を追認したのか、あるいは、人の心は変わっていないのか。 過去に利益を善としない時代が確かにあったような気がしますが。 とりとめのない質問になってしまいましたが、200年程前、人間の社会に大きな岐路が有ったのでしょうか、カントの理性の王国はどんな社会を作るのでしょうか。
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専門家ではないのですが・・・。 アダムスミス←知り合い→ヒューム←知り合い→カント という関係があるようなので、カントもアダムスミスを知っていたのではないでしょうか。なおヒュームとカントの関係については清水書院の人と思想「ヒューム」を読んでみてください。多分図書館などにはあると思います。 経験論批判は意外にヒュームの影響たっだりして。 ヒュームも面白いですよ。 なおアダムスミスは利益を善としているとは言い切れないと思います。彼が経済学の父と呼ばれるのは、方法的に利益追求とその裏にある倫理を切り離し、経済学に科学性を与えることが出来たからだと思います。 そのあたりのアンビバレンツな思想を「アダムスミス問題」と、スミス研究で著名な高島善哉はそう呼んでいました。 彼はグラスゴー大学では、政治などの社会科学とともに倫理も教えていました。ちなみにグラスゴー大学はヒュームも教壇に立ったことがあります。 グラスゴー大学の講義内容をちょっと参考までにあげておきますね・・・ (1)正義について 公法、家族法、私法 (2)治政について 清潔と安寧 です。
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こんにちは。回答というか、意見交換のような感じになってしまいますが・・・。 >不足を補う為の交換を、スミスが考察したのに 経験論のスミスは、経験として認識できない現象に対して見えざる手といったりしたわけで、たしかに考察ですけど、そこには"自然に調和するでしょう"といったなかば楽観視しているところがありません? それが現在のアメリカの保守系経済学などにも見られるような気がしますけど、どうでしょうか? 私は学生時代にはHayek関係の文献をあたり、卒論を書いた程度なのでカントは知らないんですよ・・・。 >カントの「有限的な理性的存在者」 勉強になりました。
お礼
有難うございます。 不足を補うための交換と、利益を得るための交換。 おかげさまで御礼を考えている内に、面白いヒントを頂きました。 意見交換は此処では禁止ですから・・・、質問の主旨にもどることにします。 スミスは仰る通り、楽観的ですね社会の不平等が結果的に「調和」を不可能にすることを時代の限界でしょうが認識できなかったのでしょうか。 今年は、「アダムスミスの失敗」と言う本を読ませていただきました、スミスが失敗したのなら、同時代のカントは失敗していないのですか。←これがこの質問のきっかけでした。 「カントの失敗」はマルクスの共産主義のように、 「我亡き後に理想よきたれ」なのでしょうか。 >私は学生時代にはHayek関係の文献をあたり、 私も、知らないことばかりで、カントは一冊読んだだけで、ハイエクも、有名な「隷属への道」でしたっけ、その一冊だけで、利子等の研究文献はとても手がでないのです。 経済学は微分積分の前に哲学が必要な気がします、だから、ウェバーはきらいなのです。←余計なことでした、お許しください(誤解かもしれませんね)。 それでは、再度、良いお年をお迎えください。
私の記述に誤りがありました。ヒュームと交流があったのは、ルソーでした。申し訳ないです。 http://www2.chuo-u.ac.jp/library/hume/about/life.htm >ヒュームが経験論を批判 ヒュームはバリバリの経験論主義者ですよ。 近代の科学哲学者などにも影響を与えるぐらいの思想家ですからね。横道にそれると、ルソーはヒュームと仲たがいしたようです。 >スミスはこれを肯定してカントはこれすら否定 カントはまったく詳しくないのですが、スミスに関してはそのとおりかもしれません。 なお、現代における著名な経済学者のアマルティア・センもスミスの影響を強く受けた人のようです。
お礼
お忙しいところ再度のご回答有難うございます。 (ヒュームの影響)を取り違えたようですね。 てっきり、経験論者と観念論者が親友として親交が会ったのかと誤解してしまいました。 ルソーも同時代の人ですか、この時期は、それこそ歴史の話ですが面白そうな時代ですね。 センは確か、「合理的愚か者」でしたっけ、市場における合理的人間を扱っていたような気がしますが、私の関心は市場における選択ではなく、カントの「有限的な理性的存在者」の不足を認めながら、不足を補う為の交換を、スミスが考察したのに対し、カントは同時代に生きながら何も反応しないのが不思議なのです。 それでは、良いお年をお迎えください。 て、フライングですね(笑
- kazhanako
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元哲学愛好者です。 カントと経済の関係について評論を読んだことはありません。アダムスミスは今でいうところのエコノミストではないでしょうか。岩波文庫にありますがマックス・ウェバーがプロテスタントの精神(日々の労働に信仰を見出すと理解)が資本主義の1つの契機になったと論考しています。 ご参考まで。
お礼
ご回答有難うございます。 カントとスミスの関係はネットの検索で色々探しましたが、ほとんど見つかりません、気になる名前は見つかったのですが、著作があるかどうかも分らない状態です。 ただ、ウェバーは後から社会を追認しただけではないのですか、倹約が資本に転化することを宗教は止められなかったのでしょうか。 ゴメンナサイ、私、ウェバーは食わずぎらいです。
お礼
ご回答有難うございます。 ヒュームとスミスは親友と言えるような関係だったらしいですね、でも、ヒュームが経験論を批判したとすると、なんか面白そうですね(また大変だわき道にはまりそうで・笑)。 カントはヒュームやハチンスン(スミスの師)には言及していますが、スミスは無視していますね。 スミスにはカントに関する記述が有るのでしょうかね。 出来れば、スミスとカントの議論が見てみたいものです。 スミスの「パンの話」「見えざる手」利益追求を善とは言わないまでも「次善」として肯定しているような気がするのですが。 「情けは人の為ならず」と言う言葉がありますが、スミスはこれを肯定してカントはこれすら否定したような気がしますが、間違っていたら教えてください。 それでは良いクリスマスをお過ごしください。